第3話 クミ

 ノブヤンに誘われディレクターズ・カンパニーに入った、クミこと伊藤久美子が、最初にくっついたのは俺だった。

 俺の第3作は『不純異性交遊』という、にっかつロマンポルノかATG映画のような、またも暗い内容だった。高校生の恋愛と妊娠を描くもので、当然ラブシーンもあった。

 当時映画監督になる方法は、自主映画で注目を浴びるか、にっかつロマンポルノで助監督から昇進する、どちらかだった。自主映画からは大森一樹や森田芳光が、ロマンポルノからは根岸吉太郎や金子修介が出て来た。俺も、ロマンポルノからの道を狙っていた。

 主演は、ボビーこと篠原誠が前のめりで手を挙げた。女優は、純真そうな女の子でラブシーンOKとなると難しかった。クミは顔も性格もキツい女だったから、似合わなかった。

「絶対見つからないでしょ。私やるよ」

 狭い部室でタバコを吹かしながら、クミはそう言った。

「ただしコージ、あなたが主演するのが条件」

 ボビーがいない部屋で、クミは俺を相手役に指名した。人前でラブシーンなど冗談ではないが、脚本も書いた俺に選択肢はなかった。




 クランクインすると、クミはほとんど化粧のない顔で、純情な女子高生になり切った。声もしゃべり方さえ変えて、変幻自在なカメレオン女優ぶりを見せた。

 主役二人が初めて結ばれるシーンの撮影前、クミが俺に小さな紙を渡した。

「上半身裸になって、わたしの制服とブラを脱がせて」

 脚本では、服を着たままキスをしてベッドに倒れるだけのシーンである。

 言葉を返す前に、クミは逃げて行った。ノブヤンのカメラがスタンバイして、セーラー服のクミが俺に前に来た。うつ向いて、ひとり言のような小声が囁いた。

「言うとおりにしないと、わたしやめるから」

 どちらが監督かわからなかった。覚悟を決めて、「よーいスタート」と自ら言った。

 俺はシャツを脱いで肌を出した。ノブヤンがファインダーから目を離し こちらを見たが、何も言わず すぐに姿勢を戻した。

 クミは俺を見ていた。セーラー服のファスナーを下ろしてやると、クミは自分でそれを脱ぎ捨てた。また俺を見て、自分の胸に目配せした。これも脱がせという合図。ためらいつつ、フロントホックのブラを外した。

 大きくも小さくもない真っ白な乳房が目に入ってきた。クミが俺にしがみついて来て、一瞬でそれは消えた。

 俺はノブヤンを気にしたが、カメラはクミの背中を写していて、ノブヤンからは俺の顔しか見えなかった。

 キスをして抱き合ったままベッドに倒れたところで、俺は「カット」と言った。すぐクミに服をかけてやり、ノブヤンに見られないよう隠した。もちろんリテイクはしなかった。




「あの時はビックリしたけど、俺もカメラマンとして何があっても止めちゃいけないと思ってさ」

 今は特撮のプロフェッショナルであるノブヤンが言った。

「お前に殺されるかもと思ったよ」

 今は仮釈放中の犯罪者が言った。

 もちろんノブヤンの気持ちは知ってたから、クミの突飛な行動を拒否することも考えた。しかし、俺の中にあった別の感情が抗えなかった。




 撮影の後、クミはまた別の紙を渡してきた。それは地図だった。

 その日の夜、俺は地図に導かれて、真新しいアパートの部屋番号にたどり着いた。

 鍵は開いていた。クミは撮影の時に着けていた白い下着姿だった。

「来てくれないかと思った」

「地図もらったから」

「子供みたいな言い訳ね」

「クミ、お前にはノブヤンの方が」

「友情を選ぶ?」

 その日二度目のキスがクミの方からやって来たとき、俺は友情を選ぶのをやめていた。白い下着を千切るように外して、今度こそ乳房の形をはっきりと見た。

 待ち切れず最後の物は自分で脱いだクミは、とっくに潤っていた。俺もまた、地図を持って歩いている時から、すっかり準備は出来ていた。俺たちは朝まで何度も同じことを繰り返した。




「今さらながらあらためて聞くけど、お前もクミを狙ってたのか」

 すっかり酔って赤い顔をしたノブヤンが尋ねた。

 もう今では思い出せなかった。初めて見たとき、キレイな女だとは思ったが、自分など相手にされないタイプだと直感していた。そのあとすぐノブヤンに打ち明けられたから、争おうなんて思わなかったし、『不純異性交遊』がなければあんなことにはならなかっただろう。

 関係が出来てからも撮影は続いた。俺もクミも表には出さないようにしていたが、周りにはすぐにわかったようだ。

「そりゃわかるよ。俺なんか必死になって観察したからさ、次の日すぐにわかった。こいつらデキちゃったなって」

 前の日までクミに触れる手がよそよそしかった俺が、何のためらいもなく肩や手を触っているのが感じられたらしい。ノブヤンのカメラはそれらを全部とらえ、『不純異性交遊』は迫真のラブストーリーに仕上がった。

 俺の代表作となり、俺とクミの濡れ場は校内で何度も人目にさらされた。「ぴあ」のコンテストにも出品され、不特定多数の人たちがクミの恍惚の顔を目にした。




 ノブヤンが着ている水色のトレーナーが、〝Boat House〟なのを笑った。

「昔よく裏返しに着てたよな」

「それが流行りだったろ」

「裏起毛をわざわざ外側にする意味がわからない」

「暑い時は、脱いで肩に背負わせたりしたよな」

「やってた」

「あれがカッコいいと思ってたんだ」

「それ、昔着てたヤツか」

「丈夫なんだよ。過酷な現場にはこういうのがいいの」

「女はよく変えるけど、着る物は持ちがいいんだな」

「お前だって、アーノルド・パーマーの傘のマークのセーター。着てる奴、10年ぶりくらいに見た」

「これ、直子が買ってくれたんだ」

 笑い転げていたノブヤンが黙った。数秒間、互いに言葉を探した。

「彼女、あれからどうなったか知ってるか」

 俺がそう尋ねると、ノブヤンは今日初めてタバコを取り出して火を点けた。

「いや、知らんな」

「何も?」

「あの後すぐに大学をやめた。それからは知らない」

 ノブヤンは少し目をそらしながら、ひとり言のように言った。

「実家でも帰ったんじゃないか」

「誰か知ってるやつはいないか」

「俺以外にか。そりゃあ、ヤスさんもボビーも、クミも知らないと思うな」

 ノブヤンの腰が落ち着かなくなり、声が2トーンくらい低くなった。

「みんなは今どうしてるんだ」

「卒業してからは、誰とも会ったことない。年賀状出してるから、住所は知ってるけど」

「みんなの連絡先教えてくれ」

 ノブヤンが俺を見た。顔に笑みがなくなっていた。

「どうするつもりだ」

「何か知ってるか聞いてみる」

「聞いてどうする」

「直子に会いたいんだ」

 俺はやっと、今日ノブヤンに一番話したかった言葉を口にした。

「会いに行きたい」

 ノブヤンがいら立つようにタバコを消した。

「今さら会いに行ってどうする」

「ムショにいても、そればかり考えてた」

「14年も経ってるんだぞ。気持ちはわかるが、行かない方がいい」

 ノブヤンの反応は予想していたとおりだった。そして、常識的に誰が考えてもそう言うであろう台詞であった。 

「彼女の人生を狂わせた。俺のせいで、彼女が不幸に生きてるんじゃないかって」

「田舎で幸せに暮らしてるよ。忘れろ、コージ」

「頭から離れないんだ」

「お前が現われたら、彼女の幸せが壊れるかも知れないだろ」

「幸せになっているのなら、何もしない。この目で確かめられれば、それでいい」

「もし不幸せだったら」

「俺が幸せにする」

「お前にそんな資格があるのか!」

 ノブヤンの声が静かな店内に響く。

 俺は、氷が溶けて量が増したジンジャーエールを飲み干した。

「あんなことをした俺に資格はないと思う。でも、償いだ」

 ノブヤン、落ち着こうとタバコを手に取るが、もう1本もない。いら立ちながら、店員に注文する。

「お前の人生だって十分犠牲になってる。自分の人生早く立て直した方がいいよ」

「俺は自業自得だ。彼女のために、出来ることをしなきゃいけないと思ってる」

「それは、単なるお前の未練だろ」

「違う。よりを戻したいわけじゃない。直子の幸せを確認したいだけだ」

「黄色いハンカチなんか、出てないぞ。お前、落胆することになるかも知れない」

「構わない。そんな覚悟は出来てる」

 ノブヤンは、深くため息をつくと、今日3杯目のビールを空ける。

「昔と変わらないな、お前。そうやって、自分より人のことにむきになるとこが」

 険しい顔がゆるみ、目を細めて俺を見る。

「どうせ、俺がやめろと言っても、やめるお前じゃないんだろ」

「住所、見せてくれ」

 ノブヤン、ダウンジャケットのポケットから手帳を取り出す。

「そう言えば、クミは引っ越したんだ」

「クミはいい。会うつもりはない」

 ヤスさんとボビーの住所をメモに書き写す。

「直子ちゃん、いい子だったよな」

 しみじみと、ノブヤンがつぶやく。

「どうしてあんなことに・・・」

 俺に顔を背けて、ノブヤンは新しいタバコを開ける。

「俺がお前でも、ああしてただろうけどな」

 その言葉は、俺をまた15年前に引き戻した。



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