第2話 ノブヤン
翌日から工藤倉庫で働き始めた。
工藤さんの会社は、主に衣料関係の得意先から在庫を預かり、出荷の代行などをしている。奥さんが経理をやっている以外は、10人の従業員は男ばかりだ。
朝礼で紹介をされた。工藤さんが保護司をしていることは皆知ってるだろうから、俺の素性も薄々わかっているのだろう。挨拶をするまでは、穴が開きそうなくらいの視線を感じたが、その後は誰もが無関心となった。
午後からは、教習所へ連れて行かれた。フォークリフトの免許を取らなければいけないそうで、しばらく通うことになった。
健康保険証をもらったので、さっそく自転車でツタヤへ行って、レンタルビデオの会員になった。
14年前、家庭用ビデオはまだ普及途中だった。レンタル店はあったが、いかがわしいアダルトばかりだった。普通の映画がレンタルされるようになったのは、俺が刑務所に入ってからだ。
初めて店に入り、並ぶタイトルを見ているうちに軽いめまいを感じた。こんな名作の数々が、名画座まで通わなくても自宅で500円で観られるとは。
大学時代、昔の映画を観るため、「ぴあ」を買って名画座のプログラムをチェックした。早稲田松竹や飯田橋佳作座、大塚名画座などに足しげく通った。五反田だろうが大井町だろうが、遠くでも観に行った。どこの名画座にもかからない映画もあった。そんな時はテレビ放送を待つか、観ることをあきらめるしかなかった。
目移りする中、実は一番に借りる作品は決まっていた。
『ゴッドファーザーPARTⅢ』。
『PARTⅠ』『PARTⅡ』は高校時代に池袋文芸座で観て、わがベストワン映画になっていたが、1990年に公開された完結編はリアルタイムで観ることが出来なかった。
刑務所でも月1回の映画上映会があったが、犯罪ものと、長い作品はやってもらえなかった。
工藤さんがアパート用にくれたテレビは、ビデオ一体型のうれしいものだった。小さなブラウン管を名画座のスクリーンに見立てて、約3時間コルリオーネ・ファミリーの終焉を堪能した。
実兄までも冷酷に抹殺してきたマイケルが、最愛の娘を殺され慟哭する姿に、因果応報という言葉を思い出し、見事な幕引きだと感じた。劇場の大画面で観たかった。
だが、若い頃と違う感情に襲われていた。
『ゴッドファーザー』シリーズのクライマックスは、子供の洗礼を受けたり自宅で過ごしているマイケルの姿と、手下たちが抗争相手を殺戮して行くシーンをカットバックで描くのが恒例だ。このカットバック手法が好きで、自作で真似たりもした。
『PARTⅢ』のクライマックスも同様であったが、今回そこにカタルシスを感じられなかった。コッポラが悪いのではない。俺の問題だった。
人が殺意を持って相手を襲い、人が血を流して命を落とす姿を、見るのがつらかった。
胸に今も残る、相手を何度も殴った鈍い感触と、自分が引き起こした赤黒い血の海の視覚と、相手や周囲の悲鳴が渦巻く聴覚が、映画に重なった。何度か目をそらした。
刑務所で犯罪映画をやらない理由がわかった気がした。映画はよく出来ていたが、自分に起きた予想外の反応に衝撃を覚えた。
金曜日、西池袋の居酒屋をやっと見つけて入ると、ノブヤンは待っていた。
最後に面会で会ったのは2年くらい前か。ノブヤンは年に1回くらい面会に来てくれたが、会う度に太っていく。ダウンジャケットを脱いでも、トレーナーがボンレスハムのように膨れていた。顔の下半分がヒゲだらけで、『ディア・ハンター』のデ・ニーロのようだった。
笑うと細くなる目が俺を出迎え、アメリカ映画のように抱擁し合った。
「うれしいよ」
ノブヤンの目が涙で光っていた。鼻をすすってから言った。
「まずは乾杯だ」
俺とノブヤンは、それぞれ自分で書いた脚本を監督する映画を交互に作った。
8ミリカメラは、俺が父親から大学の入学祝いに買ってもらった富士フィルムのシングル8を共用した。フィルムは高価だったから、それぞれ自作分をバイトで稼いだ。
1年生の時に、まず俺の脚本・監督・主演で『異常な性格』という映画を撮った。気の弱い孤独な大学生が、自分を虐げたり馬鹿にする人物に対し、一人ずつ制裁を加えて行くという内容だ。
沢田研二の『太陽を盗んだ男』や松田優作の『野獣死すべし』のような、孤高の犯罪者が主人公のハードボイルドを目指した。ノブヤンは「暗過ぎて、くせになる」と評した。
次はノブヤンの『悪夢の惑星』。子どもの頃やってた『ウルトラセブン』の中でも伝説的な回『第四惑星の悪夢』の、よく言えばリメイク、悪く言えばパクリだ。
ノブヤンが「暗い」と言ったので、俺の次の作品『マスターピース』はコメディにした。脚本家志望の若者が書いたシナリオの主人公が、結末で自分を殺すなと作者に抗議に来る話だ。
これは当時俺がかぶれていた、つかこうへいの台詞劇と大林宣彦のノスタルジーを混ぜ合わせたような物語だった。ノブヤンは「パクリだけど、泣ける」と評した。
ノブヤンの次の映画は『液体人間』で、これも昔の東宝映画『美女と液体人間』や『ガス人間第一号』のパクリだ。コマ送り撮影やミニチュア、爆竹、血のりなど、ノブヤンの特撮魂が炸裂した。爆竹は大学の植木を燃やし、ディレカンは大目玉を喰らった。俺は「パクリだけど、笑える」と評した。
俺たちの映画は、大学内でも教室を借りて上映したが、ぴあが主催するコンテストなどにも応募した。なかなか予選さえ通過しなかったが。
「徹夜は当たり前で、週に2回家に帰れればいい方でさ」
そう語るノブヤンは生き生きとしていて、昔の映画小僧のまんまだった。
「日本の特撮も昔はおもちゃみたいだったけど、今は違うんだ。CGってわかるか。コンピューターグラフィックスって、コンピューターの中で作るアニメーションみたいなもんだ。ミニチュアなんか作らなくても、これで何でも再現出来るんだよ」
最新の特撮事情について熱く語った。昔 爆竹で失敗したことなど忘れているようだ。
CGは知っていた。刑務所で『ターミネーター2』と『ジュラシック・パーク』は観た。
以前ジョージ・ルーカスが、次の『スター・ウォーズ』はコンピューターグラフィクスで作ると言っていた。その頃『トロン』というコンピューターゲームみたいな映画があったが、そんな感じにするのかと不思議に思った。
恐竜でも何でも、コンピューターが本物のように見せてくれるというわけだ。『E.T.』や『グレムリン』をぬいぐるみで動かしていたのが、14年の間にそこまで進歩したのか。近々CGを使った『スター・ウォーズ』の新作が作られるという。
二人だけでは映画は撮れないので、仲間を集めた。
俺は、ヤスさんという、同級生だが年は三つ上の、関西出身の男を誘った。
ヤスさんこと鈴木恭明は、別の大学を3年で辞めて、わざわざ再入学して来た変わり種で、その分だけ老けている。さすがに授業は熱心に受けているが、年の差のせいか輪に入らず、いつも一人でいた。
たまたま彼が机に置き忘れた文庫本を見つけ、後を追いかけて渡した。それが『ブレードランナー』の原作、フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電子羊の夢を見るか』だったことから、映画の話をするようになった。
フェリーニやヴィスコンティなど芸術的な映画を好むようだったが、『仁義なき戦い』などヤクザ映画にも詳しい偏りぶりで、気が合った。
無口で何を考えているのかわからないところもあったが、何を言っても「ええよ」と断ることがなく、サークルに誘った時も快く応じてくれた。意外にも手先が器用で、小道具やらミニチュアやらを上手に手作りした。
ノブヤンが連れて来たのは、篠原誠という1学年下のキザな男だった。
ロックスターか野口五郎かという長髪で、学校でも薄い色のサングラスをかけていた。俳優養成所に通っているとかで、演技が出来る人間がノブヤンは欲しかったらしい。
俺は自作にだいたい主演もしていたが、ノブヤンはカメラの前に立つのを拒否した。俺の映画に脇で出そうとしたが、絶対に嫌だと言った。
『悪夢の惑星』も『液体人間』も篠原が主演した。本人はもっと二枚目の役がやりたかったらしいが、もっぱら特撮映画で逃げ回る芝居ばかりだった。
女たらしのプレイボーイを自認し、自らを〟ボビー〟と呼んだ。アメリカ人はロバートという名前をボビーと呼ぶから、ロバート・デ・ニーロでも気取ってるのかも知れないが、理由はよく聞いたことがない。
俺にとっては、気に入らない人種だった。
ノブヤンは2杯目のビールを頼んだが、俺は昔から飲むとアレルギーが出るのでジンジャーエールだ。
店に流れる音楽は、さっきから知らない歌手のものばかりだった。ミスター・チルドレンだのキンキ・キッズだの安室奈美恵だのと教えられてもわからない。中森明菜やチェッカーズはもういないのか。
ノブヤンは面会に来ても、結婚や子供の話は絶対にしなかった。友人から家族写真入りの年賀状が届くたび破り捨てていた刑務所仲間がいたが、そんな心境を察することが出来る男だった。
初めて子供たちの写真を見せてもらった。今度浦和に家を買ったらしい。映画バカの爆竹野郎が、手に職を付け、伴侶を見つけ、家庭を築いていた。
わかっていたことだったが、今見せつけられた気がした。まっとうに生きている35歳の男というのは、こういうものなのだろうと感じた。
「俺の女房、久美っていうんだ」
「クミ?」
「あのクミじゃないぜ」
〝あのクミ〟というのは、ディレカンにいた伊藤久美子のことだ。ノブヤンと同じ学科で、キタキツネのような顔をした北海道出身の女だった。
ノブヤンは入学時からの一目惚れで、下心を隠して女優として引っ張って来た。『液体人間』の溶けて行く役でデビューした。
「よほどクミって名前が好きなんだな」
「いや、違うよ。むしろ、久美って呼びにくくてさ。どうしても思い出すもんな」
ノブヤンはビールを飲み干してから言った。
「いい女だったけど、お互いふり回されたよな」
何年かぶりにクミの顔を思い出そうとしていた。顔より先に、白い肌や着けていた下着などが目に浮かんだ。どちらかというと、忘れたいと思っていた女だ。
「あいつが来てからかな、俺の運命が動き出したのは」
ノブヤンにではなく、自分に向かってそう言った。
『ゴッドファーザー』殺戮シーンの血は、俺をあの日にフラッシュバックさせた。
真っ赤に染まった我が手を見ながら、自分が今しでかしたことが理解出来ないでいた。
カメラマンが、頭から血を流して倒れていた。「殺した」とか「死んだ」とかという声が、周りから聞こえた。
直子が泣いていた。床に座り込み、顔を隠して泣いていた。
俺は直子を守ったのか。直子を助けるため、あの男を殴ったのか。
それとも自分のため、あいつを殺したのか。直子を奪われたこと、大切にしてきた直子を傷つけられたことが許せなかったのか。
わからなかった。時間を戻したいと思ったが、それは出来ないことだった。取り返しのつかないことをして、もう自分は昨日までのように生きていけないのであろうことは、ゆっくりと理解し始めていた。
泣き声はいつまでも聞こえた。次第に遠ざかって行くようでもあった。
直子が泣いていた。俺の直子が・・・。
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