第10章:あなたの隣で

 翌日、私はカイ様を店に招き、淹れたてのカモミールティーを差し出した。二人分のカップが、小さなテーブルの上で湯気を立てている。


 私の向かいに座るカイ様は、どこか緊張した面持ちで私を見つめていた。昨日の今日だ。私の答えを待っているのだろう。


 私は一度、深く息を吸い込んだ。


「カイ様。昨日は、本当にありがとうございました」


「礼には及ばん。君が無事でよかった」


「……あの、お妃様にしてほしいというお話、まだ有効でしょうか?」


 私の言葉に、カイ様の銀灰色の瞳が大きく見開かれる。彼の表情が、驚きから、じわりと喜びへと変わっていくのが分かった。


「もちろんだ。……では、」


「はい。お受けいたします。不束者ですが、カイ様のおそばに、置いていただけますか?」


 私がそう言って微笑むと、カイ様は安堵の息を漏らし、それから、今まで見たこともないような優しい、柔らかな笑みを浮かべた。氷の騎士と恐れられる人の、初めて見る笑顔。私の心臓が、きゅっと甘く締め付けられる。


「……ああ。ありがとう、エリアナ。必ず、幸せにする」


 彼はテーブル越しに私の手を取り、その甲に誓うように口づけを落とした。その仕草に、私の頬が熱くなる。


 少しの沈黙の後、私は意を決して、ずっと胸に秘めていたことを打ち明けることにした。


「カイ様にお話しなければならないことがあります。私は……実は、いいえ、皆さんが思っているような、悲劇の令嬢ではないのです」


「……どういうことだ?」


「私は、アルベルト王子との婚約を破棄されるために、わざと『我儘で嫉妬深い悪役令嬢』を演じていました。王子妃になるのが嫌で、自由になりたかったから……。だから、追放された時も、悲しむどころか、心の中では喜んでいたんです。こんな私でも、カイ様は……」


 私の告白に、カイ様は驚くだろうか。幻滅するだろうか。不安に思いながら彼の顔を窺うと、彼はきょとんとした顔で私を見ていた。


 そして、少し困ったように眉を下げて言った。


「そんなことは、最初からわかっていた」


「……え?」


「君が、演技をしていることくらい、見ればわかった。君の瞳の奥にある優しさや聡明さは、どんな演技をしても隠しきれるものではない。俺は、君の本当の姿だけを見ている」


 彼はこともなげにそう言った。


「君が自由を望むなら、俺は君を帝国に縛り付けるつもりはない。帝国に来ても、君はこの店を続けていい。君がやりたいことを、好きなようにやればいい。俺はただ、君の隣で、君が笑顔でいられるように、支えたいだけだ」


 その言葉に、私の目から涙が溢れ出した。


 私のすべてを、この人は分かってくれていた。私の演技も、私の本当の願いも、すべてお見通しだった。その上で、私を丸ごと受け入れて、愛してくれている。


「……ありがとうございます、カイ様」


「カイ、でいい。これからは、そう呼んでくれ」


「はい……カイ」


 名前を呼ぶと、彼は嬉しそうに目を細めた。私たちはどちらからともなく立ち上がり、そっと抱きしめ合う。彼の胸に顔をうずめると、安心する香りに包まれた。


 もう、一人で頑張らなくていい。この人の隣でなら、私はもっと強く、もっと優しくなれる。


 辺境の街で手に入れた自由。そして、氷の騎士様がくれた、温かい愛。


 私の幸せは、ここから始まるのだ。


 二人だけの、静かで温かい婚約の誓いだった。

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