第9章:守られる温かさ

 カイ様からの突然の求婚に、私の心は揺れに揺れていた。


 妃になるなんて、考えたこともなかった。私はもう、貴族社会のしがらみからは解放されたはずだったのに。でも、カイ様のまっすぐな瞳を見ていると、彼の言葉が嘘や気まぐれではないことが痛いほど伝わってきて、どうしたらいいのか分からなかった。


 返事を保留させてもらったまま、数日が過ぎた。その間もカイ様は毎日店にやってきて、ただ黙ってクッキーを買い、私の仕事が終わるのを見届けてから帰っていく。その無言の優しさが、私の心をさらにかき乱した。


 そんなある日の夕暮れ時。店じまいをしようと、最後の片付けをしていた私の店に、見知らぬ男たちが三人、ずかずかと入ってきた。


「ここが噂の薬草店か?」


 リーダー格の、目つきの悪い男が、下卑た笑いを浮かべて店内を見回す。身なりは粗末で、腰には錆びた剣。ひと目でゴロツキだとわかった。


「……何か、ご用でしょうか」


 私は警戒しながら、カウンターの向こうから応じた。店の外はもう薄暗く、人通りもまばらだ。アンナは買い物に出かけていて、今は私一人。嫌な予感が背筋を走る。


「嬢ちゃんが店主か? なかなか良い女じゃねえか」


 男たちはじりじりと私に近づいてくる。その目に浮かぶのは、明らかに悪意に満ちた光だった。


「あんたの店、最近儲かってるらしいな。ちょっとばかし、俺たちにも分け前をくれねえか? そうすりゃ、荒っぽい真似はしなくて済むぜ」


「お断りします。お引き取りください」


 私が毅然と言い放つと、男の表情が一変した。


「んだと、コラ! 生意気な女だ!」


 男がカウンターに乗り出し、私の腕を掴もうと手を伸ばす。


「やっ……!」


 恐怖で体をこわばらせた、その瞬間だった。


 店の入り口から、氷のように冷たい声が響いた。


「――その汚い手を、どけろ」


 声の主は、カイ様だった。いつものように私の様子を見に来てくれたのだろう。彼は店の入り口に静かに立っていた。しかし、その全身から放たれる怒気と殺気は、尋常なものではなかった。銀灰色の瞳は凍てつくような光を宿し、ゴロツキたちを射抜いている。


「な、なんだ、てめぇは……!」


 ゴロツキの一人が虚勢を張って凄むが、カイ様は一歩、また一歩と、音もなく距離を詰める。その動きには一切の無駄がなく、まるで獲物を狩る黒豹のようだ。


「俺の女に、指一本でも触れてみろ。その腕、二度と使えなくしてやる」


 あまりの迫力に、ゴロツキたちの顔から血の気が引いていく。リーダー格の男が震える手で剣を抜こうとしたが、それより速くカイ様が動いた。


 閃光のような一撃。ゴロツキの腕が明後日の方向に曲がり、鈍い音と共に男が床に崩れ落ちる。


「ぎゃあああああっ!」


 残りの二人も、カイ様が動く前に、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。カイ様は彼らに一瞥もくれず、私の元へ歩み寄ると、震える私の肩をそっと抱き寄せた。


「……すまない。怖い思いをさせた」


 彼の腕の中は、驚くほど温かくて、安心できた。さっきまでの恐怖が嘘のように溶けていく。


「カイ、さま……」


「もう大丈夫だ。俺がいる」


 カイ様は私を背中にかばうように立つと、床でのたうち回るゴロツキたちに冷たい視線を向けた。


「誰に差し向けられた」


「ひ、ひぃ……! 王都の……リ、リリア様って女から……。この店の評判を落として、潰してこいって……」


 リリア様……。やはり、あの人の仕業だったのか。私のささやかな成功すらも、彼女は妬ましく思ったのだろう。


「そうか」


 カイ様の短い返事には、地獄の底から響くような怒りがこもっていた。彼はすぐに駆けつけた衛兵にゴロツKツキたちを引き渡し、事後処理を命じた。その手際の良さは、さすが騎士団長様と言うべきだろう。


 すべてが終わり、静けさを取り戻した店の中で、カイ様は改めて私に向き直った。そして、私の頬にそっと触れる。


「君を傷つける者は、誰であろうと許さない」


 その力強い言葉と、私を見つめる真剣な眼差し。


 もう、迷いはなかった。この人の傍にいたい。この温かい腕の中で、守られていたい。


 私の心は、確かに決まっていた。

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