第25話 「――私は、あなたのことが」
オーウェン様とアリエッタ様の処刑は、それから時を待たずに行われた。
王宮前広場での斬首。
お父様は立場上、立ち合いに出かけたけれど、私は行く気になれず朝から部屋に引き籠っていた。
朝から窓の外を眺めて過ごした。外は雨が降りそうな曇り空。
正午に刑の執行があると聞いていた。
お昼を告げる鐘が鳴り、私は机に突っ伏して目を閉じた。顔を上げると、穏やかな自室の時間が続いている。だが、今、王都の広場では――。
「お嬢さま、軽食をお持ちしましょうか」
外が暗くなったころ侍女のアンナが心配そうに部屋を訪ねてきたけれど、私は「ありがとう」と首を振った。食欲がなかった。
「あなたももう家に帰っていいわよ」
「そうですか……」
心配そうに何度も振り返って彼女は帰宅して行った。
オーウェン様のことは婚約者として、当然の程度に好きだった。幼い頃から将来結婚することが決まっていて、花や手紙を贈り合ったり、庭園を散歩したりして親しい時間を過ごしてきた。彼には婚約者として欠けた部分はなかった。――最終的には、罪を着せられて殺されかけたけれど。
でも、もうそんな彼もアリエッタ様もあっけなくいなくなってしまった。
窓の外を見ると、暗い空にぽつぽつと雨が降り始めた。重い雨雲が頭の中にまでたちこめるような、そんな気持ちになる。
ジェイクが来てくれなかったら、今日、広場で振り上げられる剣の下に跪いていたのは私だったのかもしれないのだ。
「なんだか、長い夢の中にいたみたい」
そう呟いた。
オーウェン様の婚約者として生きてきた自分の今までの時間が長い夢の中の出来事で、急に起こされて現実に戻されたようなそんな気持ちを感じた。
「もう、寝たほうがいいわね」
そう呟いて立ち上がった時、ノックの音がした。
「大丈夫ですか?」
ひょっこりと姿を現したのはジェイクだった。
「――アンナから、何か聞いた?」
「――ええ、お嬢様が元気がないようだ、と心配していました」
ジェイクは心配そうに眉に皺を寄せると、小さい子に話しかけるように言った。
「何か温かいお飲み物でもお持ちしましょうか」
「お願いするわ」
温かいお茶は、気分が和らぐ優しい花の香りがした。
私は無言でそれを飲む。
ジェイクが遠慮がちに聞いた。
「旦那様のお帰りは、明日の夕刻くらいになるそうです」
「そう――ジェイク、クワトロをお父さまと一緒に行かせたでしょう」
ジェイクは驚いたように目を大きくした。
「お気づきでしたか」
「ええ、だって、いつもあなたと一緒にいるのに、今はいないんだもの」
いつも仕事をきっちりこなす彼の事だから、事の顛末を最後までしっかり見届けるのではと思っていた。
「――見たの? その――オーウェン様たちの、様子を」
「……はい」
「――そう」
私は黙って下を向いて俯いた。詳細を聞きたいとは思わない。
けれど、オーウェン様とアリエッタ様の最期は、どんな姿だったのだろう。
心配そうなジェイクの声が上から降ってきた。
「――大丈夫ですか」
「――大丈夫、」
そう呟いてから、私は頭を抱えた。
「――じゃないかもしれないわ」
私の返事に慌てたような表情になったジェイクを見上げる。
「ねえ、ジェイク――あなたはこれからどうするの?」
「これから」と復唱して、ジェイクは襟を正すように私に向き直る。
「――私のやりたい事は変わりません。お嬢様や旦那様にお仕えし、お嬢様がお幸せになる姿を見届けること――」
小さい頃のように、地団太を踏みたくなる。
「あなたの考える『私の幸せ』って何?」
「何不自由なく、あなたを大切に思ってくれるご家族と一緒に安寧した日々を過ごして――」
「それは、わかってるわ! あなたの、その気持ちは、とても嬉しいけれど……」
私はうまく言葉に表せないまどろっこしさに胸が苦しくなって、立ち上がった。
「――私は、あなたのことが好きなのよ、ジェイク」
言ってから口を押えた。
今こんなことを言うつもりじゃなかったのに。
――けれど、私の言葉の意味を考えるような様子のジェイクを見て、深呼吸をすると、言葉を足した。
『気持ちは伝えられるときに、伝えておいた方がよいと僕は思うよ』
先日のマーティン様の言葉を反芻する。
この人にはたぶんしっかりと言葉にして伝えないと伝わらない。
「家族としてとか、そういうのじゃなくって――特別に好きよ、男性として、昔から、あなたに恋をしているわ」
ジェイクは困惑した表情を浮かべていた。しばらくして、
「――私は、使用人です」
とだけ言った。
私はまた地団太を踏みたくなった。
それは、そう。自分の仕事をよくわきまえている彼なら、当然そう言うだろうなとは思っていた。――だけど。
「それはわかっているわ。でも、あなたの前世は物語に謳われる勇者・ルーカスなのでしょう? ただの使用人ではないわ。マーティン様も、あなたが望むなら、相応の身分を用意するつもりがあるとおっしゃっていたわ。もし、そうしてくれたら、私は」
私は首を振った。さっきから私ばかり話している。
「一方的に話して、ごめんなさい。――でも、私は、あなたが私の事をどう思っているのか、知りたいの。前世とかそういうことじゃないくて、私を。ごめんなさい、今、こんな話を急にするつもりはなかったのに、」
言いながら、ごちゃごちゃになった感情が行き場をなくして、瞳が潤んできてしまった。
「謝っていただくことではありません!」
ジェイクは間髪を置かずに私を抱きしめた。
小さい頃からいつも泣きそうになれば、お母様やお父様や乳母より先に駆けつけてくれた。ジェイクの腕の中は落ち着くいい香りがする。
大きくなってからは泣きそうになることなんてなかったし、こうされるのはいつぶりだろうか。
「そういうところ、あなたの、そういうところ……」
私は彼の身体を押した。
「私、小さい子どもじゃないのよ、もう」
そう言うと、ジェイクは慌てたようにぱっと手を離して、後ずさった。
「……申し訳ありません」
「謝らないでよ」
しばらくの沈黙のあと、ジェイクは静かに言った。
「――少し、考えを整理する時間を、いただけますか?」
「――もちろん。……突然、こんな話をしてごめんなさい」
「謝らないでください、私こそ――申し訳ございません」
「あなたも、謝らないで――……きりがないわね、これ」
私は思わず少し笑ってしまった。私から切り上げないと延々と同じやり取りが続きそうだったので、茶器をまとめるとジェイクに渡した。
「ごちそうさま。気持ちが落ち着いたわ、ありがとう。――片付けてくれる?」
「――はい、それでは、早くお休みになってくださいね」
「ええ、ありがとう」
表面上は、いつもと変わらないやりとりに戻して、ジェイクを見送った。
――だけど、その姿を見送ると私は自室のベッドに突っ伏して枕の下へ頭を押し込んだ。
(――明日から、どんなふうに顔を合わせたらいいの)
恥ずかしさでこのまま呼吸を止めたくなる。
彼を困らせてしまったに違いない。
けれど、現実に引き戻された今、もう気持ちに蓋をしていることはできなくなっていた。
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