第24話 「僕と君の婚約を、との話が出ているんだ」
そんな日々が続いてしばらくしてから、マーティン様が久しぶりに我が家を訪ねてきた。
「久しぶり、エリス。今回の事は本当にありがとう。僕が今ここにいることができるのは君のおかげだ」
深々と頭を下げたマーティン様に私は恐縮してしまう。
「お身体は大丈夫ですか?」
「おかげさまで、何も問題ないよ」
けれど、そう笑うマーティン様の表情には陰があって、疲れたような様子だった。
実の弟のオーウェン様と婚約者のアリエッタ様に殺されそうになったのだから無理もない。事件に連座して、事件に絡んだオーウェン様派の貴族が幾人も身分剥奪になったりと、事態の収拾をつけるために、宮中は今大混乱で大変だとお父さまから話を聞いている。
「少し羽を伸ばしたくてね。――散歩にでも行かないかい?」
マーティン様に誘われて、私たちは家から少し離れたところにある小川に散歩をしに行った。
「ここに来たのはそんなに前じゃないのにね。なんだか遠い昔のような気がするよ」
マーティン様は小川のほとりに腰を落とすと、遠い目でせせらぎを見つめて呟いた。
ここはよくオーウェン様と、アリエッタ様とマーティン様と4人で訪れていた場所だ。
今はお二人は、牢の中。私のいた地下牢にいるはずだ。
「――オーウェンとアリエッタの判決が決まったんだ」
オーウェン様及びアリエッタ様、マッケラス公爵は死罪、公爵家は爵位剥奪のうえ、国外追放になるとオーウェン様は教えてくれた。
マッケラス公爵家の領地はハウゼン家が管理を引き継ぐことになるらしい。――そうなると、私たちの領地は国で一番大きくなる。
かつての婚約者の行く末を聞き、私は溜息をついた。
幼いころから表面上は、仲の良い婚約者をやってきたのだから、やはり気持ちが沈む。
4人で一緒にこの小川のほとりに腰掛けて本を読んだり語り合っていたときにオーウェン様とアリエッタ様は既に今回のことを計画していたのだろうか。
「それから――ここだけの話だけれど」
言いづらそうにマーティン様は顔を下に向けた。
「僕と君の婚約を、との話が出ているんだ」
物思いにふけっていた私は驚いて顔を上げた。
私とマーティン様が婚約? あの事件からこんなにすぐに?
「驚くのも無理はないよね」とマーティン様は苦笑する。
「オーウェン派の貴族たちも、まだ隠れていそうだ。父上も僕も、恥ずかしながら宮中がこんなに分断されているなんて、思いもしていなかった――だから、早急に僕の王太子としての立場をしっかりと公に知らしめる必要がある――と。そのためには、早急に結婚して、華々しい式典を行うのが良いだろうと。そういう意見が出ているんだよ。――瀕死の僕を救った、聖なる力に目覚めた君との結婚は、華々しく、とても物語的で、民衆も好むだろう。――僕にとっての君は、弟の婚約者だ。妻に、などとは考えられないが――」
マーティン様はと私を見つめる。
「君と結婚することが、国益のためになるとは思っている。オーウェンやアリエッタとの思い出や――全てを共有できるのは君だけだし」
「――」
私は何と言っていいかわからず、言葉に詰まった。
マーティン様の言っている話はわかる。
オーウェン様があんなことになった以上、私には別の婚約者がそのうち決められるだろうとは思っていた。それがマーティン様だとは思わなかったけれど。
――でも。でも。
押し黙った私を見つめて、マーティン様は優しく言った。
「けれど、君は誰か心に思い描く人がいるんじゃないかな?」
「――誰の事ですか?」
私は驚いて顔を上げた。
「お父上から、有能な使用人がいるから、ぜひ宮中での仕事を、という話は何度も聞いていたから、彼の事は知っていたよ」
マーティン様はちらりと馬車の方を見た。ジェイクが馬のたてがみを撫でながら私たちを待っている。ここへはジェイクが御者を務めて馬車で連れてきてくれた。
最近は専らクワトロに乗って移動しているから馬車は久しぶりだったけれど、わざわざ飛ぶ距離でもないし、今まで通りの部分は今まで通り生活しようということになっていたから。
「使用人にしては君との距離が少し近すぎるんじゃないか、とは内心思っていたんだけどね。――オーウェンは全く気に留めていなかったようだったけど。あいつは、使用人のことは自分たちとは全く違う存在だと思っていたから、視界に入っていなかったのかな」
マーティン様は「彼の対応が今まで通りすぎて、困ったよ」と頭を掻いた。
「父上も僕も、彼の処遇については思いあぐねているんだ。――彼が望むなら、相応の地位に就いてもらえればと思っている。――そうなれば、君と結婚することだって」
私は膝を抱えた。
「彼は私の前世の存在を敬っているだけで、私の事を妻にしたいなどと、そんなことを考えているわけではないのです」
マーティン様は首を傾げた。
「――実際に、聞いてみたかい?」
「――いいえ」
首を振った私に、マーティン様は微笑んだ。
「気持ちは伝えられるときに、伝えておいた方がよいと僕は思うよ」
すごく寂しそうな表情だった。
「――アリエッタ様のこと――ですか?」
マーティン様は手元の花を手折ると、立ち上がって小川に流した。
「――あんなことをされても、僕はやっぱりアリエッタのことが好きだったんだよ」
「……」
お花はゆっくりと川を流れていく。
「もしも僕がもっとアリエッタに寄り添えていたら、こんなことは起こらなかったのかと、今でも毎夜考えてしまうんだ」
花筏が完全に見えなくなると、マーティン様は立ち上がった。
「どちらにせよ、君との婚約の話ははっきり断るよ。僕は次の国王にならないといけないからね。周りの意見には振り回されていては面目が経たない。僕はもっと現実を見つめないといけない」
小川を眺めながら呟くと、私に手を伸ばした。
「戻ろうか。屋敷に戻ったら彼にお茶を淹れてもらおうかな。彼が淹れてくれるお茶はとてもおいしいから、毎回楽しみにしているんだ」
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