第36話:薬の副作用と人格の分裂
私は実に異常な状況に陥っていた。
魅力向上エッセンスを服用してから一週間が経った頃、恐るべき副作用が現れ始めたのである。それは、スカーンが「軽微な頭痛」と説明していたものとは全く異なる、深刻な精神的変調であった。
最初に異変に気づいたのは、深夜のことである。
昼間は確かに積極的で自信に満ちているのだが、夜中に一人でいると、まるで別人のように内省的な性格に戻ってしまうのである。
「これは一体どういうことなのか?」と私は困惑した。
昼間の私は、堂々と発言し、積極的にアリアやルナにアプローチしようとする。しかし、夜になると、その行動が実に恥ずかしく、不自然に思えてくるのである。
まるで、私の中に二つの人格が共存しているかのようであった。
「これは本当の自分なのか?」と夜中の私は自問した。
「それとも、薬によって作られた偽の自分なのか?」
日中の積極的な自分は、確かに魅力的に見える。しかし、それは薬の力によるものである。つまり、人工的に作られた人格なのである。
一方、夜中の内省的な自分は、確かに優柔不断で煮え切らないが、これこそが本来の私なのではないか。
「自己同一性とは何なのか?」という哲学的問題が、現実の問題として私に襲いかかってきた。
デカルトの「我思う、故に我あり」を思い出す。しかし、思考する主体が二つある場合、どちらが真の「我」なのか。
その日の昼間、授業中に奇妙な体験をした。
グレイ教授が「自己とは何か」について講義していた時、私は積極的に手を上げて発言した。
「自己とは、社会的関係の中で構築される動的な概念だと思います」
教授は興味深そうに頞いた。しかし、発言した瞬間、私の中でもう一つの声が響いた。
「それは浅薄な理解ではないか?」
まるで、私の中の内省的な自分が、積極的な自分を批判しているかのようであった。
授業後、アリアが私に近づいてきた。
「今日の発言、興味深かったです」と彼女は言ったが、その表情は複雑であった。
「ありがとうございます」と積極的な私が答えた。
しかし、内心では内省的な私が呟いていた。「この発言は薬の影響だ。本来の君ならもっと慎重に考えるはずだ」
私は混乱した。どちらの声が本当の私なのか。
その夜、部屋で一人になった時、私は深い絶望に陥った。
昼間のアリアとの会話を思い返すと、全てが虚しく感じられる。あの積極性は薬によるものであり、真の私ではない。
「アリアとの関係も、薬の力で築いたものなのか?」と私は苦悩した。
確かに最近、以前より積極的にアリアと会話している。しかし、それは薬の効果であって、本来の私ではない。
つまり、アリアが相手にしているのは、薬によって作られた偽の私なのである。
「これは欺瞞ではないか?」と内省的な私は告発した。
私は鏡を見つめた。そこには確かに私の顔があるが、それが本当の私なのかわからない。
昼間の顔と夜の顔、どちらが真実なのか。
翌日、このことをマルクスに相談してみた。
「君、最近様子がおかしいぞ」とマルクスは心配そうに言った。
「どうおかしいですか?」
「昼間は妙にハイテンションで、夜は鬱々としている」とマルクスは観察した結果を述べた。
「何かあったのか?」
私は答えに窮した。薬のことは言えない。
「少し疲れているだけです」
「それにしては極端だ」とマルクスは首をかしげた。
「医務室に行ってみた方がいいかもしれない」
しかし、医務室に行けば薬物使用がばれてしまう可能性がある。
その日の午後、スカーンに相談してみた。
「副作用が出ているようです」と私は報告した。
「どのような?」
「人格が分裂しているような感じです」と私は説明した。
「昼と夜で、まるで別人のようになります」
スカーンは困った顔をした。
「それは...予想外の副作用ですね」
「予想外?」
「通常は、そのような症状は現れません」とスカーンは説明した。
「君の体質に合わなかったのかもしれません」
私は愕然とした。つまり、私は実験台にされていたということか。
「どうすれば治りますか?」
「しばらく服用を中止してください」とスカーンは提案した。
「効果が切れれば、元に戻るはずです」
しかし、私には疑問があった。
「元に戻るとは、どちらの自分に戻るということですか?」
「それは...」とスカーンは言葉に詰まった。
「君自身が決めることです」
この答えは、何の解決にもならなかった。
その夜、私は深く考え込んだ。
人格の分裂は確かに異常である。しかし、それによって重要な問題が明らかになった。
「自分とは何者なのか?」
これは単なる薬の副作用の問題ではない。人間存在の根本的な問題である。
私は今まで、自分というものを当然の前提として考えていた。しかし、薬によって人格が変化することで、その前提が揺らいでしまったのである。
もしかすると、本来の私などというものは存在しないのかもしれない。私という存在は、常に変化し続ける流動的なものなのかもしれない。
しかし、それでも、何らかの核となるアイデンティティは存在するはずである。
私は夜通し考え続けたが、答えは見つからなかった。
哲学的思考は、これまで私の武器であった。しかし、今回ばかりは、その思考が私自身の存在を脅かしている。
つまるところ...自分とは何者なのか、という根本的疑問に直面したのである。哲学的思考が、ついに自己存在の根幹を揺るがし始めた。
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