第27話:春という名の新たな錯覚

私は実に予想外の講義を受けることになった。


図書館での違和感について相談してから二日後、マルクスが突然、恋愛指南なるものを始めたのである。


「君はもっと現実を見るべきだ」と彼は断言した。


その日の夕方、部屋で魔素計算の宿題に取り組んでいると、マルクスがいつになく真剣な表情で座り込んだ。そして、開口一番にこの宣言である。


「現実、ですか?」と私は困惑した。


「そうだ。君は物事を複雑に考えすぎる」とマルクスは続けた。


「恋愛は数学ではない。感情なのだ」


私は思わず筆を止めた。この同室の先輩が、まさか恋愛論を語るとは思いもよらなかった。


「しかし、感情こそ最も数学的な現象ではないでしょうか」と私は反論した。


マルクスは呆れたような表情を浮かべた。


「君はそうやって、なんでも理論で説明しようとする。だから余計に混乱するんだ」


「どういう意味ですか?」


「簡単なことだ」とマルクスは手を振った。「君はルーンヒルデ嬢のことが好きなんだろう?」


私は動揺した。「断じて、そのような...我々は学術的な...」


「ほら、また理屈で逃げる」とマルクスは溜息をついた。


「いいか、恋愛というのは、もっと単純なものなんだ。好きか嫌いか、それだけだ」


「しかし、『好き』という感情の定義は...」


「定義なんてどうでもいい!」とマルクスは声を荒げた。


「君は彼女と一緒にいて楽しいか?」


「それは...楽しいですが」


「彼女がいないと寂しいか?」


「確かに、物足りない感じは...」


「なら、それが答えだ」とマルクスは断言した。


「君は彼女を好きなんだ。理由も理論も必要ない」


私は困惑した。確かにマルクスの言うことには一理ある。しかし、感情をそのような単純な二分法で処理してしまって良いものだろうか。


「でも」と私は食い下がった。「感情には様々な段階や種類があるではありませんか。友愛、親愛、恋愛、これらの違いを明確にしなければ...」


「君は本当に頭が硬いな」とマルクスは苦笑いした。


「恋愛に理論は必要ない。必要なのは行動だ」


「行動、ですか?」


「そうだ。素直に気持ちを伝える。それだけだ」


私は愕然とした。マルクスの恋愛論は、実に直線的で単純化されている。

まるで魔法を「杖を振って呪文を唱えれば火が出る」程度に理解しているかのようである。


「しかし、そのような単純なアプローチでは...」


「君は理屈を考えているから進歩しないんだ」とマルクスは遮った。


「世の中の恋人たちが、みんな君のように理論を考えていると思うか?」


確かにその通りかもしれない。

しかし、私にとって感情を分析することは、呼吸と同じくらい自然な行為である。それを止めろと言われても、どうすれば良いのかわからない。


翌日の「魔法哲学」の授業で、興味深いことが起こった。


グレイ教授が、まさに「愛の本質」について講義を始めたのである。


「今日は愛について考えてみよう」と教授は言った。


私は身を乗り出した。これは絶好の機会である。

学問的アプローチによって、昨日のマルクスの俗物的恋愛論に対する反論を用意できるかもしれない。


「愛とは何か」と教授は問いかけた。


「プラトンは愛を『美への憧憬(強い憧れや願望)』と定義した。アリストテレスは『相互の善意』とした。キリスト教では『相手からの見返りを期待せずに、ただ相手の幸福を願うこと』である」


私は熱心にノートを取った。

やはり愛というものは、これほど多様で複雑な概念なのである。マルクスの単純化された理論では到底理解できない。


「では、君たちはどう思うかね?」と教授は学生たちに尋ねた。


私は手を上げた。「愛とは、対象への深い理解と共感に基づく、持続的な肯定的感情状態だと思います」


教授は興味深そうに頷いた。「なるほど。では、理解が愛の前提条件だということかね?」


「はい。相手を理解することなしに、真の愛は成立しないと考えます」


その時、隣に座っていたアリアが小さく溜息をついた。私は彼女の方を見たが、彼女は教科書を見つめたまま何も言わなかった。


授業後、アリアが私に話しかけてきた。


「あなたの愛の定義、とても学術的でしたね」と彼女は言った。


「ありがとうございます。やはり感情も論理的に分析すべきだと思うのです」


「でも」とアリアは続けた。「愛を理解しようとしすぎると、愛そのものを見失ってしまうかもしれませんね」


私は驚いた。アリアまでもが、マルクスと同じようなことを言うとは。


「どういう意味ですか?」


「例えば、花を理解するために解剖してしまったら、花の美しさは失われてしまいます」とアリアは説明した。


「しかし、構造を理解することで、より深い美しさが...」


「あなたは本当に理屈っぽいですね」とアリアは微笑んだ。


「それが私の個性ですから」と私は答えたが、内心では困惑していた。


その夜、部屋でマルクスと再び議論になった。


「どうだった?今日の授業は参考になったか?」とマルクスは尋ねた。


「確かに愛の定義は複雑ですが、だからこそ理論的アプローチが...」


「まだそんなことを言ってるのか」とマルクスは呆れた。


「君は愛について考えることと、愛することを混同している」


「混同?」


「そうだ。愛について100冊の本を読んでも、愛を体験したことにはならない」


私は反駁しようとしたが、言葉が出てこなかった。

確かに、私は愛について考えることに没頭するあまり、実際の感情体験を軽視しているのかもしれない。


「つまり、君に必要なのは分析ではなく実践だ」とマルクスは結論づけた。


しかし、私にとって分析こそが実践なのである。考えることによって世界を理解し、理解することによって適切な行動を選択する。これが私の生き方であり、それを変えることはできない。


翌日の図書館でも、同じような違和感が続いていた。

アリアとの距離感、彼女の一挙手一投足への過度な意識。そして、それらを分析しようとする自分への苛立ち。


「私は一体何をしているのだろうか」と思った。


恋愛について考えれば考えるほど、恋愛から遠ざかっているような気がする。理論は実践の助けになるはずなのに、この場合は障害になっているようである。


マルクスやアリアの言うことも理解できる。しかし、私の性格を根本から変えることは不可能である。


「これは実に困った状況だ」と私は呟いた。


分析的思考は私のアイデンティティの核心部分である。それを放棄することは、自分自身を否定することに等しい。しかし、その思考法が、今回に限っては障害となっている。


つまるところ...恋愛について考えることは、恋愛から最も遠ざかる行為なのかもしれない。



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