第2話:魔法学院という名の計算地獄

「数学、ですか?」と私は聞き返した。


マルクスは重々しく頷いた。


「そうです。魔法とは突き詰めれば数学なのです。魔素の計算、魔法陣の幾何学、古代魔法語の文法構造解析...」


私の華麗なる異世界生活への期待は、その瞬間に不吉な予感に変わったのである。


食堂へ向かう途中、マルクスは学院の実情を説明してくれた。


「一年生の授業は『魔法基礎理論』『魔素計算学』『古代魔法語』『魔法史』が中心です。実技は学期末に一回、中間に一回、それから年度末に一回だけ」


「それで魔法使いになれるのでしょうか?」


「理論的には可能です。四年間でみっちり計算能力を鍛えれば」とマルクスは苦笑いを浮かべた。


「ただし、卒業する頃には魔法より数学の方が得意になっているでしょうね」と続けた。


食堂は石造りの大きな建物で、長いテーブルに学生たちが座っている。


しかし、皆一様に暗い表情をしているのである。まるで受験勉強に疲れ果てた進学校の生徒のようであった。


「あの、皆さん元気がないようですが...」


「昨日『魔素計算学』の小テストがあったんです。平方根を含む三次方程式で魔法陣の面積を求める問題でした」とマルクスは説明した。


私は絶句した。これのどこが魔法なのであろうか。


初回授業は「魔法基礎理論I」であった。教授は白髯の老人で、黒板に延々と数式を書き続ける。


「魔法の発動には精密な計算が必要である。感情や直感に頼った魔法は暴発の危険がある。よって、まずは基礎的な数学から始めるのだ」


私は必死にノートを取ったが、内容は大学の物理学と数学を悪魔合体させたような複雑なものであった。


周りの学生たちも皆、死んだ魚のような目をして板書を写している。


「魔素密度をρ、魔法陣半径をr、詠唱時間をtとすると、魔法威力Pは次の式で表される...」


教授の声が子守歌のように聞こえてくる。私の瞼は重くなり、気がつくと居眠りをしていた。


「新入生!」と教授の声が響いた。「君、この問題が解けるかね?」


黒板には恐ろしく複雑な積分方程式が書かれている。私は冷や汗をかきながら立ち上がった。


「え、えーと...」


「火球の魔法を発動させるために必要な魔素量を求める問題だ。中学生でも解ける簡単な計算だよ」


中学生でも解ける?この微分積分が?私の常識が根底から覆された瞬間であった。



――― 授業後、放心状態の私にマルクスが声をかけた。


「大丈夫ですか?初日にしては上出来でしたよ」


「上出来...でしたか?」


「ええ。僕なんて初日は数式を見ただけで失神しました」とマルクスは苦笑いした。


「ちなみに、先ほどの問題の答えは『142.857...』の循環小数です」


「覚えているのですか?」


「この学院で生き抜くには暗記が命です。魔法の公式を3,000個覚えれば、ようやく初級魔法使いの資格がもらえます」


私は愕然とした。これが華麗なる魔法学院の現実だったのである。


「ところで、明日は『古代魔法語』の授業があります。動詞の活用が147通りありますので、今夜は徹夜で暗記することをお勧めします」とマルクスは付け加えた。


つまるところ...新たな異世界生活は、深夜の暗記地獄から始まったのである。

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