14. 天使にラブコールを
夕飯前に帰ってみれば母は台所で夕食の支度、父はソファーに寝転がってテレビでバラエティ番組を観ていた。ごくごく日常の鳥越家の光景。異常はない。「もうすぐご飯」と呼ぶ声を背にバタバタと駆け足で部屋に戻った。
「……ほんとにおとなしくしてた」
「おかえり。まったく葵は心配症だなぁ。大洪水起こすわけでもあるまいし」
部屋の電気をつけてみると天使姿のアキハがふわりと宙に浮きながら貸していたタブレット端末で動画を観ていた。ここ数日のぐうたらで自分の両手だけを人間化する術を学んでいた。もはや天使の格好をした人間。器用というか、目の前の面倒を片付けるために努力を惜しまないその姿勢はすごく身に覚えがあった。いい意味で期待を裏切られたわたしは嘆息とともに鞄を下ろす。
「あのね、アキハは信用がないの。トラブル製造率十割が今日で五割になっただけ。あの写真だってわたしからすればバベルの塔に匹敵する大事件だったの」
「ならこれから葵の信用を得られるように頑張るね!」
そのポジティブシンキングはどこで培われたのだろう。というかわたしの信用を得られるまで地上に居座るつもりなのだろうか。
わたしが天使を認識できる原因は突き止めた。天界の住民でありながら家出中のアキハに大義名分もなく、本当にクビになってわたしの家の座敷わらしとなる日が現実的に……せめて本物みたいに幸運をもたらしてくれるなら一考の余地があったのに。
「信用を得たいなら簡単な方法があるよ。ちょっとお願いがあるの」
「えぇ! 葵がボクにお願い? まっかせて! ハグしてほしいの? そ、れ、と、も、キッス? きゃぁ、大胆な葵もボク、大好き!」
勝手に暴走しないでほしい。バカ天使の戯言に真っ向から付き合うのは得策じゃない。
こほんと軽く咳払いをした後に、包み隠さずど真ん中ストレートでぶつけてみる。
「わたしを過去に連れてって」
その言葉を聞いた瞬間、アキハの顔がみるみると青ざめ小刻みに震えている。
「おバカっ」
一溜めしてからの強烈な第一声だった。
「前にボクが云ったこと忘れたの? 時間跳躍は——」
「禁忌、でしょう。ちゃんとアキハの言葉は覚えてるよ。ただダメ元で云ってみただけ」
あれはアキハと出会った日、家に帰るといろいろと天界の出来事を教えてくれた。
『天界が警戒しているのは『摂理の崩壊』だ。不老不死、死者蘇生、時間跳躍……』
要は時間跳躍、タイムスリップやタイムリープは御法度なのだ。それは覚えていたけど、なんとなくアキハってちょろそうだしお願いすればやってくれそうだなぁと思っただけ。
「……わかってるなら無茶苦茶云わないで。ボク、心臓が飛び出るかと思ったよ」
「その時は心臓マッサージしてあげる。人工呼吸もしたげる」
「魅力的な提案だけど……いくら葵でもダメっ」
「強情だね」
「その言葉だけは葵には絶対云われたくない。この摂理には世界の存続がかかってるんだ。おサボりのボクだって咎めるさ」
「わたしが頑固なのは自覚してる。なら尚更もったいぶらずに教えてほしい。どうせもう白黒ハッキリしてるんでしょう?」
一週間の期限を設けたって天使の忠告があったって、わたしの意思が簡単に覆ることはない。
『夏には全て片付くだろうしー』
自分の姿を捉えられたってのほほんとしていた天使が不安視する未来なんて碌でもないに決まっている。
正鵠を射た指摘にアキハもたちまち「天使の顔」になっていた。うん、あなたは感情を失った無機質な顔も似合ってる。その顔の前では天下無双の鳥越葵もただの人間だ。改めて考えても自分が特別なんて微塵も思わない。
「ま、こうなると思ってた。いいよ、教えたげる」
感情を失ったと思っておきながらアキハが大きく深呼吸した。天使といえど緊張するようだ。
真剣な話を前に自然と正座になる。さし示したわけでもないのにアキハも向かい合うように座った。正座の真似事だけど。
「人間は感情を無機物に憑依させることができる、って話は覚えてる?」
「わたしたちが初めて会ったあのビルで云ってたね」
「さすがボクの葵。記憶力は問題ないね。葵と出会ったあの日から地上でいろんなものを見てきた。中には過剰と思えるくらい、感情がパンパンに詰められたものもあった。しかも二個、わかるかな?」
「一つはあのビル。だってその時に解説されたんだから」
数日前はまだ神々しい風格があったからアキハの一挙一動を隅々まで覚えてる。『もんもん』で沼津店長と会う前のことだ。
だけど二つ? 他の場所でそんなこと云ってたっけ。
異変の原因を突き止めて以降、今日のようにアキハを留守番させることも多くなった。アキハ自身もむやみやたらに地上に干渉してはいけないと自覚しているから、こちらもどこでなにをしていたのかを訊かないし興味もない。
だからわたしが知らないところで出会った可能性も捨てきれない。特に都会も学校も不特定多数の人間が集まるわけだから遭遇する可能性だって増加する。だとしたらわたしにわかるわけがない。
「ヒントはねー、ボクが初めて葵をカッコいいと思った時! いきなり手を掴まれた時はびっくりした」
「アキハの手を掴んだ?」
柔らかい感触が手に呼び起こされる。あの時、風船みたいにふんわりとした感触もある。確か室内で薄暗かった記憶が。そんな場所の心当たりなんて一箇所しかない。
「——『もんもん』だ。確かに長いこと感情が飛び交った場所ならあっても不思議じゃない。でもなんだろう。いつもレジの横に置いてあった美少女アニメのフィギュア……、店の看板……、ショーケース……」
「おや、降参? やった、葵に初めて勝った!」
小さく握り拳を作って喜ぶ天使。こちらは勝負しているつもりなんてないのだけれど、なんとなく敗北の二文字は落ち着かない。アキハの反応から推測するにどれも不正解。でも他に思い当たらない。
長年人間の感情に晒されて、尚且つアキハと一緒に目撃したもの。通っていた頃の話なら兎に角、あの店で見たものなんて————あ。
「プリミティブ——沼津店長が見せてくれた『戴冠式の前日』のカードだ』
「ちぇ、せーかい」
なんだ、その不服そうな顔は。そんなにわたしに負けをつけたかったのか。
「地上には情緒って言葉があるだろう。礼拝が開かれてない教会でも身廊に立てば厳かな雰囲気を感じるし、誰もいない遊園地でも余韻を、『モナ・リザ』を前にすれば浪漫を抱く」
「へぇ、そういうものか」
「……そういうものなの! 要は人間は無機物に憑依された感情の影響を受けるんだ」
「ふぅん」
「こういうのは年月を重ねればいいってものじゃないけどね。これまでボクが見てきた中で感情の濃さに感激したのが『最後の晩餐』……だった」
ううん? もったいぶらされた割には大したことない内容だ。
ものの価値は制作にかかった費用ではなくて動かされた感情の数、という教訓だろうか。
そんな心を見透かすようにアキハはさらに付け加える。まるで大切なものは最後まで取っておくといわんばかりに。
「強すぎる感情は人間を壊す。最初は精神が蝕まれ、次は理性と正気を失い、最後は見境なく動くもの全てを否定する野蛮な生物へと変貌する。そこに人格なんてない。ただの人の見た目をした醜悪な物体さ」
人間を壊すだなんて物騒な話だ。最初こそ言葉どおりの意味で受け取った。呑気にも「大変だね」と答えてしまった。
が、これまでのアキハの話を思い出す。あれだけ必死に隠そうとして天使の両分だと話さなかったわけ。
地上の監視、人の感情、アキハが見たもの、人間を壊す——
「——これだけは答えて。アキハは……わたしが話す前からあの事故のことを知ってた?」
アキハの口元が緩んだ。見ているだけで人を元気にしてくれる天使の微笑みとはかけ離れた不敵な笑み。
なぜこの子はこの恐るる事態に笑えるのだろう。でもこの反応を見る限り、真実に踏み込めたようだ。
「葵から聞いて思い出した。当時、火事が起きた街には小さな教会があったんだ。毎週欠かさず祈りが聞こえてくるから天界の間ではそれなりに有名。だから火事の一報が入ってきた時は騒然とした。終いには独断で地上に向かう天使も現れて……でもなにもできなかった。天界としてもあれだけの大火事を事故とか災害で片付けるのは納得できなかったけど、原因は突き止めらなかった。だけど葵と出会って、あのカードの存在を知ってやっとわかった。あのカードに込められた感情の塊が人を壊し、人が街を壊した」
俄かに信じられない話だ。だけど矛盾はない。
プリミティブは開発段階で刷られたテストカードの総称。そのほとんどがあの火事で消失しているが『戴冠式の前日』だけが惨劇を生き残った奇跡のカード。諸悪の根源が生還者を語る展開はフィクションではありがちだけど、現実で起きれば天晴れだと感心せざるえない。
アキハの話を裏付ける術はない。だけどこの期に及んでアキハが嘘をつくとは思えない。あの惨劇の二の舞を踏むことはあってはならない。まして人生を投げ打って夢を叶えた恩師のところなんて。
今すぐ部屋を飛び出して店長の元に行きたい。勢いよく立ち上がったはずみでテーブルに足をぶつけてしまう。テーブルの上に置いていたカードがばらばらと床に落ちるが拾っている場合ではない。とりあえず財布とスマホを手に部屋を出ようとした。
「落ち着いて。今はまだ大丈夫だから」
アキハは他人事だから落ち着いていられるのだ。どんな人間だって恩師の身に危機が迫るなら大人しくできるわけがない。
「そもそももう夜だ。今から向かったって会えやしないさ。仮に会えたとしてどうやって回収するの? 回収した後は? ……無策なんて葵らしくない。もう一度座って深呼吸して、それから一緒に策を練ろう。ね?」
でも、と続く言葉を飲み込んだ。
アキハの云うとおりだ。ジュラルミンケースで厳重に保管されているカードを回収する術なんてない。力づくは端から不可能。説得するにしろ、代わりにアキハの存在を明かさなければならない。それは世界にとって大きなリスクだ。
あれは受け継がれてきた創造者クリエイターたちの希望。それをわたしの一存でどうにかしようなんて罰当たりだった。
「——お願い、します。わたしにできることを教えて」
わたしの手札はたった一枚。その一枚に頭を下げて懇願する。これが天界の領分ならアキハの助力なくして手立てはない。
「……顔、あげてよ。葵は前を向いてる方が似合ってる」
見上げた先には慈愛に満ちた神々しい天使がいた。
どんな無理難題が迫ろうとボクがいればどうとでもなる、と云いたげな得意げな笑み。
ったく、わたしも単純な性格だ。頼りになる存在が近くにいてくれるだけで簡単に勇気づけられるのだから。
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