13. 真っ赤なあの子のあごのとこ
晴れ晴れとした絶好のお出かけ日和。友人とのお出かけだからとめかし込んでみたところ「頭でも打った?」と母に心配される。年頃の娘に向かってだいぶ失礼なことを云う母に「友達と出かける」と返したら「熱でもあるのか」と体温計を手渡される。
うちの母もだいぶ変わり者だから仕方ない。こんな人が天使と出会ったら多分卒倒する。昨夜、絶対に姿を見られるなと釘を刺したから大丈夫だと思うけど前科があるしな。正常に感情を抱く普通の人なら寝られなかったかもしれない。
*
「昨日も繰り返したけど大人しくしててね?」
「いってらぁ」
*
華の女子高生は待ち合わせ時間にぴったり揃う。星宮のマドンナは水色のブラウスと白のパンツで爽やかコーデ、文学少女は緑色のシャツで清涼感を醸し出している。
……よかった。白Tシャツとジーンズのいつものコーデだったら一人浮いていたところだった。
「あたしのために貴重な休みを使わせてしまってすいません」
「ん、気にしないで。たまにはこうして誰かと出かけるのもいいかなと思っただけ」
「……ありがとうございます、センパイ」
先輩。それは青春の代名詞。生まれて初めて呼ばれた魅惑的な言葉に胸が弾む。未知の感覚にこのわたしが感想を並べられるわけもなく、ひとまず急拵えの笑顔を浮かべてやり過ごす。なんだろう、この感覚。悪くない
あの学校で数えるほどしか存在しない常識人を前に、珍しく面倒くさがりのこのわたしが付き合いを大切にしようと思った。
さて、到着したはいいもののどこから歩くか。わたしもこれまで数回しか来たことないから土地勘があるわけでもないし当てもなく歩くのも時間の無駄だ。あぁ、せめて最低限、地図は頭に入れておくべきだった。
「幕張メッセは国際展示場、国際会議場、幕張イベントホールの三つの施設で構成されている日本最大級の展示施設なんです」
どこからともなく声がした。その口調はさながらテレビカメラの前に立つアナウンサーのような説明口調だ。
「その敷地面積は東京ドームの五倍強! さらに近くにはマリンスタジアムやアウトレットモールがあってお出かけには申し分なし。いいところだって二人は思わない?」
無茶振りは勘弁してほしい。急なハイテンションでは小日向も困るだろうに。
「え……う、うん、そーだね」
「日奈子センパイ、はしゃぎすぎです。いくらホームグラウンドだからって」
もしかすると女子高生とは休日になると性格が変わる生物なのかもしれない。日奈子は今風のギャルみたいなテンションだし、小日向は敬愛している先輩を冷ややかな目で突き放している。
思い当たる節がないわけじゃない。わたしもほら、授業を受けている時と『もんもん』にいる時とでは別人を演じているし。
「さぁ、まずはアウトレットへレッツゴー!」
「へ? 今日は小日向の……」
「別にわたしのことは後回しで構いません。それに……この状態の先輩を止められる人はいません。この人、頭も良くて優しくて欠点はないのに、地元のことになるとテンションが極まっちゃうんです。でも今日は一段とすごい」
ま、まぁ、人間誰でも欠点はある。むしろ一つや二つあった方が人間らしい。それ以外は完璧なのだから地元愛が強いくらい可愛げがある。いつもより張り切っているのは可愛い後輩と一緒だからだろう。
◇
自分が普通じゃないことは重々自覚していた。だけどこの時間だけは自分が普通で、世間一般が異常なのだと思わざるえなかった。
「次はこっち」
「あ、ここ寄りたいって言ってませんでした」
「おぉ、よく覚えてたね。頼れる後輩がいてくれて助かる」
……まーーーだ歩くつもりなのか、この人たち。かれこれもう一時間歩き通しだ。インドア系にはもう限界。膝がもう悲鳴をあげている。体育の授業では運動神経がいい方に分類されるのに。
「ごめん、ちょっと休んでる」
二人の荷物番を引き受けるがてら近くのベンチで休むことにした。誰もいないところで一人寂しく天を仰ぐ。
蒼空が目に染みる。ジリジリと肌を焼いてくる陽射しに夏の訪れを感じる。
この夏……や、先のことを考える前にまだ春の連休があるんだ。どうせ外は人で溢れかえる。用事がなければ部屋で惰眠を貪るのがなによりの最善だろう。
今日だって本来はそうするつもりだった。今みたいに友達と買い物に出かけ、疲労でへとへとになるなんて前代未聞……はて、今日は服を買いにきたんだっけ。わざわざ幕張まで? なにか忘れてるような気がする。
「今日は風が気持ちいいですね」
と、声の方に振り向くと両手にソフトクリームを持った小日向が立っていた。
「そこのキッチンカーで売ってたんです。買い物中の日奈子先輩には内緒で食べましょう」
「ありがとう。いくらだった?」
「いいえいいえ、これは依頼費ということで」
「依頼費?」
「とぼけなくていいですよ。お昼食べたらメッセに行ってみましょう」
…………あ、そうだった。ゆるふわ女子高生空間に飲まれて初恋相手探しをうっかり失念していた。
「そういえば気になってたんですけど……アキバオタクとは?」
ベンチに腰かけながらひんやりアイスを頬張っていると、小日向は遠慮がちに尋ねてくる。そりゃ気になるよね。それが正常な反応だ。
正直、なぜこうなったのかわたしも理解できていない。あのバカをここに呼び出して一から全部説明してもらいたい。そのうえで真っ向から否定して土下座させたい。
「——ふふっ」
案の定笑われる。そりゃそうだ。
「あ、ごめんなさい。その、クールな鳥越先輩のイメージと合わなくて」
「だよね? ほんと、失礼な話だ」
自分がクールかどうかは兎に角、ようやく理解してくれる人が現れてくれた。この子のためなら是が非でも見つけてあげたい。
だけどわたしが考えていた以上に旗色が悪い。いくら記憶が混濁していたって思い出の場所に足を踏み入れたら手がかり一つ思い出したっていいのに、記憶の引き金トリガーさえ見当たらない。
思い出せない。もしくは単純にここではない。考えたくないけれど大前提として彼女の記憶が間違っている。
どれも考えたくない可能性だ。
「クール、といえばさ、例の彼のどこに惚れたの?」
家族の話題は避けるべき。でも初恋の相手の話題なら女子高生の大好物。辛い出来事も甘い憧れで上書きできる、はず。
そういや全く関係ないけど日奈子たちの恋バナって聞いたことない。今度アキバオタクと云われたら強引に振ってみようか。
小日向の顔が一瞬にして沸騰した。わたしの狙いは見事に的中。恋愛漫画曰く、甘酸っぱい思い出とやらに向き合うのは相応の勇気がいるとのこと。しばらく様子を窺ってみたが硬直時間がちょっと長い。どころか口元にアイスをくっつけて危うく服の上に垂らしそうになった。
「おーい、戻ってこーい」
「はっ、だ、大丈夫……でもないです」
「え?」
「ちょっと思い出しただけです——あたしと同い年くらいのあの人は大人に囲まれてもただ一人、堂々と立ってたんです。田舎育ちには信じられない光景でした。大勢の人間がいること自体が非日常なのに、得体の知れない注目を浴びて平気でいられるなんて当時のあたしには正気の沙汰とは思えませんでした。それがクールでカッコよくて……鳥越さんみたいだなって」
「わ、わたしっ?」
重症だ。もしかすると陽に焼かれて熱中症になってしまったのかも。今更説明するまでもないけれど、わたしも歴とした女である。
「ふ、雰囲気が似てるんです。決してそんな……」
「や、わかってるさ。それで、他にはどんな?」
「男の子らしく黒のキャップを被ってました。鍔がついたやつ」
うーん、有力な情報はなさそうだ。甘い思い出と一緒にイベントの詳細を思い出せないかと期待したのに。
わたしの予感は自慢ではないけれど割と当たる。手がかりはゼロ。
残りの休日を買い物とお昼と散策と、また買い物で消費するとあっという間に日が暮れていた。
小日向は申し訳なさそうに謝ってきたが、まだ諦めるほどではない。有力な候補が潰れただけで他にも思い当たる場所はある。
大丈夫、まだ。
彼女に伝えつつ、自分自身に云い聞かせた。
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