第33話『エスカレーター、3段目に乗ると』
「◯◯駅ビルの南口エスカレーター、深夜に3段目に立つと、“女が抱きついてくる”らしい」
そんな都市伝説、聞いたことはあった。
ただの噂だ。深夜テンションで誰かが言い始めた作り話。
──そう思っていた。
その晩までは。
*
終電を逃し、酔い覚ましに歩いていた帰り道。
駅ビルの南口は、深夜1時を過ぎても非常階段の灯りが点いていた。
中に入り込んで、冷房の効いた空気にほっとし、
ふと動いていた下りのエスカレーターに足を乗せた。
気にもせず、3段目。
その瞬間だった。
「……んっ」
背後から、柔らかい胸がぴたりと背中に押しつけられた感触がした。
ゾクリと背筋が凍る。
(……誰?)
振り返るが、誰もいない。
深夜の駅ビルに、人影はなかった。
……なのに、
確かに、“揉まれた”。
背中越しに、左右から指先が胸をつかんだ感覚が、はっきり残っていた。
風でもない、気のせいでもない。
身体が覚えている。
*
それ以降、エスカレーターに乗るのが怖くなった。
けれど日常は続き、
仕事帰り、スーパー、地下鉄の構内──
どこにでも、エスカレーターはある。
そして、どのエスカレーターでも、
3段目に乗った瞬間だけ、“誰かが密着してくる”。
背中。
首筋。
腰のあたりに、ぴたりと女の胸とお腹が重なる。
そのたびに、
耳元で吐息のような声が聞こえる。
「……あったかい……」
「もっと、触っていい?」
(やめろ……やめろって……)
そう念じても、身体は反応してしまう。
体温が上がり、血が下半身に集まる。
何もしていないのに、
まるで“後ろの誰か”に弄ばれているような錯覚。
いや、錯覚ではない。
*
たまらず、
仕事帰りに立ち寄った警備室に頼んでみた。
「このエスカレーター、夜中に妙なことがあるんです。
監視カメラの映像、見せてもらえませんか?」
警備員は怪訝な顔をしながらも、
「まあ……変な事件も増えてますからね」と、モニターを巻き戻してくれた。
映像には、ひとりで乗る俺の姿があった。
ゆっくり3段目に足をかけ、立ち止まる。
……その瞬間。
体が、ふわりと“持ち上がる”。
明らかに、何かに後ろから抱え上げられている動き。
腰が反らされ、胸が突き出されるような格好に。
けれど──後ろには、誰もいない。
警備員が、絶句した。
「……え、ちょ、今の……あんた、なんで浮いてるの……?」
わからない。
でも、俺は知っている。
あの瞬間、“誰か”がいた。
*
今では、
エスカレーターに乗るだけで、下半身がじわりと反応するようになった。
3段目に立つと、
ピタリと背中に柔らかなものが押し当てられ、
息を吹きかけられる。
昼でも、夜でも、場所を問わず。
最近では──
自宅の階段でも、3段目に乗った瞬間、背中に誰かの指が這う。
(もう、ついてきてるのか?)
そう思ったのは、
洗面台の鏡に、自分の背中に頬を寄せる女の顔が映ったときだった。
笑っていた。
ぴったりと、肌を押しつけながら。
「……ねぇ、次は……どこで抱きついていい?」
【完】
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