第33話『エスカレーター、3段目に乗ると』

「◯◯駅ビルの南口エスカレーター、深夜に3段目に立つと、“女が抱きついてくる”らしい」


そんな都市伝説、聞いたことはあった。

ただの噂だ。深夜テンションで誰かが言い始めた作り話。

──そう思っていた。


その晩までは。



終電を逃し、酔い覚ましに歩いていた帰り道。

駅ビルの南口は、深夜1時を過ぎても非常階段の灯りが点いていた。

中に入り込んで、冷房の効いた空気にほっとし、

ふと動いていた下りのエスカレーターに足を乗せた。


気にもせず、3段目。


その瞬間だった。


「……んっ」


背後から、柔らかい胸がぴたりと背中に押しつけられた感触がした。


ゾクリと背筋が凍る。


(……誰?)


振り返るが、誰もいない。

深夜の駅ビルに、人影はなかった。


……なのに、

確かに、“揉まれた”。

背中越しに、左右から指先が胸をつかんだ感覚が、はっきり残っていた。


風でもない、気のせいでもない。

身体が覚えている。



それ以降、エスカレーターに乗るのが怖くなった。


けれど日常は続き、

仕事帰り、スーパー、地下鉄の構内──

どこにでも、エスカレーターはある。


そして、どのエスカレーターでも、

3段目に乗った瞬間だけ、“誰かが密着してくる”。


背中。

首筋。

腰のあたりに、ぴたりと女の胸とお腹が重なる。


そのたびに、

耳元で吐息のような声が聞こえる。


「……あったかい……」


「もっと、触っていい?」


(やめろ……やめろって……)


そう念じても、身体は反応してしまう。


体温が上がり、血が下半身に集まる。

何もしていないのに、

まるで“後ろの誰か”に弄ばれているような錯覚。


いや、錯覚ではない。



たまらず、

仕事帰りに立ち寄った警備室に頼んでみた。


「このエスカレーター、夜中に妙なことがあるんです。

監視カメラの映像、見せてもらえませんか?」


警備員は怪訝な顔をしながらも、

「まあ……変な事件も増えてますからね」と、モニターを巻き戻してくれた。


映像には、ひとりで乗る俺の姿があった。

ゆっくり3段目に足をかけ、立ち止まる。


……その瞬間。

体が、ふわりと“持ち上がる”。


明らかに、何かに後ろから抱え上げられている動き。

腰が反らされ、胸が突き出されるような格好に。


けれど──後ろには、誰もいない。


警備員が、絶句した。


「……え、ちょ、今の……あんた、なんで浮いてるの……?」


わからない。

でも、俺は知っている。


あの瞬間、“誰か”がいた。



今では、

エスカレーターに乗るだけで、下半身がじわりと反応するようになった。


3段目に立つと、

ピタリと背中に柔らかなものが押し当てられ、

息を吹きかけられる。


昼でも、夜でも、場所を問わず。


最近では──

自宅の階段でも、3段目に乗った瞬間、背中に誰かの指が這う。


(もう、ついてきてるのか?)


そう思ったのは、

洗面台の鏡に、自分の背中に頬を寄せる女の顔が映ったときだった。


笑っていた。

ぴったりと、肌を押しつけながら。


「……ねぇ、次は……どこで抱きついていい?」


【完】

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