第32話『シーツの中の女』

金曜の夜、飲み会帰りに通りかかった公園のベンチに、

一枚の真っ白なシーツが落ちていた。


風にふわりと舞うその布は、

どこか“意図的に置かれた”ようにも見えた。

誰かが野宿でもしていたのか、と思いながらも、

酔った勢いでつい拾ってしまった。


「これ、洗えば使えるんじゃね?」


冗談半分。

ひとり暮らしの自室の敷き布として、使うことにした。


──それが、“あの女”との最初の夜だった。



布団にシーツを敷き、

その晩はシャワーも浴びずにそのまま眠った。


夜中、ふと目を覚ますと──

誰かが布団の中にいる。


背後からぴったりと身体を寄せる柔らかさ。

太ももが絡まり、

ふくらはぎがふれる。

背中に押しつけられた膨らみの感触。


驚いて振り返ろうとするが、

腕をぎゅっと抱かれたまま、

耳元に甘い吐息がかかる。


「……やっと、見つけてくれたね」


(……誰?)


声を出せないまま、

指先だけが、シーツの中で触れ合っていく。


それは現実か夢か、

あるいは酔いが見せた幻か。


けれど──

確かに果てた。


身体の芯まで、吸い取られるような快楽の末に。



翌朝。


シーツには、見覚えのない赤い口紅の跡が残っていた。

シーツの中央、ちょうど腰の位置あたりに、

薄く広がった体液の痕も。


(……やっぱ、夢じゃなかった……?)


そう思ったのは、二晩目のことだった。


今度は、背後からキスされる感触があった。

髪が首筋にふれて、耳たぶに舌が這った。


明らかに、誰かがそこに“いた”。


顔は見えない。

でも、女の体の柔らかさと匂いだけが、

シーツの中で確かに蠢いていた。



気味が悪くなり、

シーツを捨てようとした。


でも、洗濯機で回そうとしたとき、

指がぴたりと止まった。


シーツの内側に、小さな刺繍があるのに気づいた。


《また一緒にね》


赤い糸で縫われた、小さな文字。

──最初から、仕込まれていた。


(都市伝説……?)


ふと思い出した。


「夜の公園で白い布を拾うな」

「それは女の“名残”だ」

「拾ったら、身体を連れていかれるぞ」


そんな噂話。

作り話だと笑っていたはずのものが、

今、ベッドの中で蠢いている。



それでも、俺はシーツを手放せなかった。


夜になると、誰よりも優しく、

静かに、快楽を教えてくれる存在が現れる。


体は柔らかく、

指は繊細で、

言葉は交わさずとも、すべてを理解しているようだった。


たとえ顔が見えなくても、

もうそれで十分だった。


──彼女の名前も、素性も、もういらない。


ただこのシーツさえあれば、

どんな孤独な夜も満たされていく。


今の俺にとって、

“シーツの中”だけが愛を感じられる場所になった。


それ以外の女のぬくもりは、

どこか遠く、乾いて感じられる。


***


昨夜、久々に旧友が泊まりに来た。


酔い潰れて、俺のベッドに倒れ込み、

笑いながら言った。


「なんだよこのシーツ、女の匂いするな……誰と寝てんだ、おまえ」


俺は、何も言わなかった。


ただ、シーツの中でふくらむ空気の動きに、

そっと微笑み返しただけだった。


【完】

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