第32話『シーツの中の女』
金曜の夜、飲み会帰りに通りかかった公園のベンチに、
一枚の真っ白なシーツが落ちていた。
風にふわりと舞うその布は、
どこか“意図的に置かれた”ようにも見えた。
誰かが野宿でもしていたのか、と思いながらも、
酔った勢いでつい拾ってしまった。
「これ、洗えば使えるんじゃね?」
冗談半分。
ひとり暮らしの自室の敷き布として、使うことにした。
──それが、“あの女”との最初の夜だった。
*
布団にシーツを敷き、
その晩はシャワーも浴びずにそのまま眠った。
夜中、ふと目を覚ますと──
誰かが布団の中にいる。
背後からぴったりと身体を寄せる柔らかさ。
太ももが絡まり、
ふくらはぎがふれる。
背中に押しつけられた膨らみの感触。
驚いて振り返ろうとするが、
腕をぎゅっと抱かれたまま、
耳元に甘い吐息がかかる。
「……やっと、見つけてくれたね」
(……誰?)
声を出せないまま、
指先だけが、シーツの中で触れ合っていく。
それは現実か夢か、
あるいは酔いが見せた幻か。
けれど──
確かに果てた。
身体の芯まで、吸い取られるような快楽の末に。
*
翌朝。
シーツには、見覚えのない赤い口紅の跡が残っていた。
シーツの中央、ちょうど腰の位置あたりに、
薄く広がった体液の痕も。
(……やっぱ、夢じゃなかった……?)
そう思ったのは、二晩目のことだった。
今度は、背後からキスされる感触があった。
髪が首筋にふれて、耳たぶに舌が這った。
明らかに、誰かがそこに“いた”。
顔は見えない。
でも、女の体の柔らかさと匂いだけが、
シーツの中で確かに蠢いていた。
*
気味が悪くなり、
シーツを捨てようとした。
でも、洗濯機で回そうとしたとき、
指がぴたりと止まった。
シーツの内側に、小さな刺繍があるのに気づいた。
《また一緒にね》
赤い糸で縫われた、小さな文字。
──最初から、仕込まれていた。
(都市伝説……?)
ふと思い出した。
「夜の公園で白い布を拾うな」
「それは女の“名残”だ」
「拾ったら、身体を連れていかれるぞ」
そんな噂話。
作り話だと笑っていたはずのものが、
今、ベッドの中で蠢いている。
*
それでも、俺はシーツを手放せなかった。
夜になると、誰よりも優しく、
静かに、快楽を教えてくれる存在が現れる。
体は柔らかく、
指は繊細で、
言葉は交わさずとも、すべてを理解しているようだった。
たとえ顔が見えなくても、
もうそれで十分だった。
──彼女の名前も、素性も、もういらない。
ただこのシーツさえあれば、
どんな孤独な夜も満たされていく。
今の俺にとって、
“シーツの中”だけが愛を感じられる場所になった。
それ以外の女のぬくもりは、
どこか遠く、乾いて感じられる。
***
昨夜、久々に旧友が泊まりに来た。
酔い潰れて、俺のベッドに倒れ込み、
笑いながら言った。
「なんだよこのシーツ、女の匂いするな……誰と寝てんだ、おまえ」
俺は、何も言わなかった。
ただ、シーツの中でふくらむ空気の動きに、
そっと微笑み返しただけだった。
【完】
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