『夜、肌に触れるのは君じゃない ――第三夜』
第31話『ラブホの“割れた鏡”には映る』
都市伝説は、知っていた。
「〇〇市にある古いラブホテル、102号室だけは絶対に使うな」
“鏡の中の女”が出る。
“ヤってる最中に、もう一人の顔が映る”。
“連れて帰られる”。
そんな噂──ただの作り話だと思っていた。
だからこそ、あえて泊まった。
肝試しと、
エッチなノリと、
ほんの少しのスリルで盛り上がる、
付き合い始めのカップルにありがちな軽率さだった。
*
部屋は、古いが清潔だった。
ベッドの正面に大きな姿見の鏡。
その隅には、ひび割れた傷跡が残っていた。
(……これか、噂の“割れた鏡”って)
けれど、実際は何も起きず、
シャワーを浴び、
お互いバスタオル一枚になってベッドへ。
明かりを落とし、軽くキスを交わす。
彼女の腰に手をまわし、
滑らかな肌が触れ合うたびに、呼吸が熱を帯びていく。
鏡越しに、ベッドの上のふたりが映る──はずだった。
(……ん?)
視線を逸らした鏡の中、
彼女の顔が、ふたり分映っていた。
こちらに抱きつく彼女の“首の後ろ”から、
もうひとつ、笑顔の女の顔が重なっていた。
その口元は、ゆっくりと開いて、
俺に向かって、くっきりと微笑んだ。
「……やっと、見てくれたんだ」
声は聞こえなかったのに、
そう言われた気がした。
*
一瞬、動けなくなった。
目を凝らして見ると、
彼女の“顔”はそのまま。
でも、鏡の中では、明らかに“別の顔”が映っている。
──目元が濡れている。
──唇が赤すぎる。
──首筋に、真っ赤な痣のような傷。
「おい……お前……」
咄嗟に彼女を引き離す。
彼女は不安げな顔で俺を見た。
「……なに? 痛かった?」
その表情に、さっきの“もうひとり”の影はなかった。
だけど、鏡の中では──
その女が、ベッドの上で俺にまたがるように、
ぬるりと身体を乗せてきていた。
そして、彼女の唇とまったく同じ動きで、
俺にキスをしようとしていた。
(……これ……入れ替わってるのか?)
俺が感じているのは、
果たして誰のぬくもりなのか。
*
翌朝。
チェックアウトしても、異常はなかった。
気のせいだったか、と自分に言い聞かせる。
だが──
それから、鏡を見るたびに、違和感を覚えるようになった。
洗面所、コンビニのミラー、スマホのインカメ。
必ず、俺の隣に“誰かの輪郭”が映り込む。
それは彼女じゃない。
あの夜、割れた鏡に映っていた“もうひとりの女”。
しかも次第に、
その女だけが鮮明に笑いかけてくるようになった。
彼女と並んで撮ったプリクラ。
俺の肩に腕をまわしていたのは──
彼女ではなかった。
(あの鏡から、出てきたんだ)
“彼女”と別れてしばらくしても、
その影は消えなかった。
今ではもう、
どの鏡を覗いても──
俺の隣には、あの女の微笑みがある。
しかも最近は、
鏡の中の自分が、勝手に笑い返していることに気づく。
「もう、逃げなくていいよ」
唇の動きが、そう言っていた。
【完】
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