第27話『耳を舐めるのは、恋人じゃない』
大学の後輩、ミナと付き合い始めて一ヶ月。
初めて体を重ねたのは、彼女の部屋だった。
灯りを落としたベッドで、
たどたどしい手つきで下着を外し合い、
肌が肌にふれるたび、緊張が少しずつ溶けていく。
優しく、慎重に、
それでも抑えきれない情熱でお互いを求めた。
……そして、あの瞬間。
耳を舐められた。
濡れた舌先が、
耳の裏から奥へゆっくりとなぞり込んでくるような感触。
思わず震えが走った。
全身の力が抜けて、
喉の奥から、初めて出るような声が漏れた。
(……やばい……耳、こんなに感じるんだ……)
それは快感というより、
一線を越えて“開かれてしまった”ような体験だった。
*
終わったあと、ベッドの上で、
ミナに聞いてみた。
「……最後のほう、耳舐めてた?」
彼女はぽかんとした顔で首を振った。
「え? 舐めてないよ?
てか、耳触ったっけ……?」
(……うそ)
あんなにリアルで、
明確に“感じてしまった”感覚が、
記憶にも指にも残っていない?
その夜は曖昧に笑って流したけれど──
それが、“始まり”だった。
*
その後、別の相手と関係を持ったとき。
キスをし、服を脱ぎ、
触れ合いが深くなるにつれて──
あの“耳の感触”が、またやってきた。
相手は耳に触れていない。
なのに、明確に“舌が這う”感覚が、突然よみがえる。
しかも、同じ場所、同じ舐め方、同じ濡れ方。
耳の奥がうずき、
自然と背中が反って、
意識が飛びそうになる。
相手は驚いたように笑う。
「耳弱いんだ? 触ってないのにそんな反応するんだ、変なの」
(いや、“触られてる”んだよ。今も──)
けれど、それは目には見えない、誰かの舌だった。
*
それからというもの、
女の体に触れるたび、
ベッドに入るたび、
**耳だけが、誰かに“専有されている”**感覚が強くなっていった。
どんなに愛しても、どんなに抱きしめても──
耳を感じさせるのは、目の前の相手じゃない。
あの夜、
“最初に自分を抱いた女”の舌が、
今もそこに貼りついている。
あの耳だけは、彼女のものになっている。
気になって、元カノの名前を思い出して検索してみた。
共通の知人をたどって、彼女の現在を探そうとした。
──彼女は、俺と別れた年の冬、事故で亡くなっていた。
原因は不明。
滑落事故とも自殺とも言われたが、確定はしていない。
ひとつだけ──
当時の遺品として、日記の一文が残されていたという。
「あの人の耳、ほんとにかわいかった。
最後にあそこ、もう一回だけ舐めたかったな」
それを読んだ瞬間、
耳の奥に、またあの舌が触れた。
ぞわりと撫でられ、
じゅるりと吸われるような錯覚に襲われた。
今ではもう、
ベッドに入らなくても、ふとした瞬間にあの感覚が戻ってくる。
右耳の内側。
誰にも触らせたくない場所。
誰かが近づくだけで、
見えない何かが、ぴたりと張りつく。
そして囁く。
「ダメだよ、そこは……わたしだけの場所なんだから」
【完】
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