第25話『トイレの鍵、閉めたはずなのに』
トイレに入るたび、誰かに見られているような気配があった。
目の前の壁じゃない。背後でもない。
ドアの、ほんのわずかな鍵の隙間から。
(まさか……)
そんなはずはないと、毎回心の中で否定する。
鍵は確かに閉めた。
音もしっかり“カチャ”と鳴っていた。
それでも──
便座に座っていると、背筋をなぞるような視線が這ってくる。
(……見られてる)
理屈じゃなかった。
けれど、本能が警告を鳴らす。
「ここは“ひとりになれない”場所だ」と。
*
事件が起きたのは、ある深夜。
コンビニバイトの休憩中。
バックヤード横のトイレに入って、ドアを閉め、鍵をかけた。
個室の明かりはほんのり黄色く、換気扇の音がかすかに鳴っていた。
スマホを見ながら用を足していたとき──
「……すべすべ」
……耳元で、囁くような声がした。
(え?)
思わず身を固くすると、
次の瞬間──肩に、何かが触れた。
ヌルリとした感触。
明らかに**人の指のかたちをした“何か”**が、背中を撫でた。
反射的に見上げると、
天井の通気口の隙間から、長い髪がゆっくりと垂れ下がっていた。
闇に濡れたような黒髪。
風もないのに、少しずつ、垂れる位置が下がっていく。
「──ひっ……!」
ドアを開けて飛び出した。
誰もいない。
天井の裏も、ただの配線と古びたダクトだけ。
でも確かに──“いた”。
*
後日、バイト先の先輩からこんな話を聞いた。
「……あそこのトイレ、ちょっとヤバイんだよな」
「昔さ、店員が盗撮されてさ。天井裏からカメラ仕込まれてたの。
でも、捕まった男……妙な死に方したって噂だぜ」
「取り調べの途中に、喉に何か詰まって窒息したんだって。
口から髪の毛が出てたとか、な……」
(……髪……)
あのとき、天井から垂れていたそれを思い出した。
女の髪。
そして──執念。
*
それからというもの、
夜にトイレへ入るたび、異変が起こる。
閉めたはずの鍵が、ふいにガチャリと回ろうとする音がする。
床に置いたスマホの画面が、勝手に写真モードに切り替わる。
そして、いつものように座っていると、
耳元で女の声が囁く。
「……きれいな体……撮らせて……」
震える指で壁を押さえると、
そこには指の跡が、ぬめったように浮かび上がっている。
まるで、壁越しに撫でられたように。
今や、あのトイレは“見られる場所”になった。
鍵をかけても、
誰かがすでに中にいる。
そしてその女は、
かつて奪われた“見る側・見られる側”の境界を、
いま、越えてしまった。
【完】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます