第25話『トイレの鍵、閉めたはずなのに』

トイレに入るたび、誰かに見られているような気配があった。

目の前の壁じゃない。背後でもない。

ドアの、ほんのわずかな鍵の隙間から。


(まさか……)


そんなはずはないと、毎回心の中で否定する。

鍵は確かに閉めた。

音もしっかり“カチャ”と鳴っていた。


それでも──

便座に座っていると、背筋をなぞるような視線が這ってくる。


(……見られてる)


理屈じゃなかった。

けれど、本能が警告を鳴らす。


「ここは“ひとりになれない”場所だ」と。



事件が起きたのは、ある深夜。


コンビニバイトの休憩中。

バックヤード横のトイレに入って、ドアを閉め、鍵をかけた。


個室の明かりはほんのり黄色く、換気扇の音がかすかに鳴っていた。

スマホを見ながら用を足していたとき──


「……すべすべ」


……耳元で、囁くような声がした。


(え?)


思わず身を固くすると、

次の瞬間──肩に、何かが触れた。


ヌルリとした感触。

明らかに**人の指のかたちをした“何か”**が、背中を撫でた。


反射的に見上げると、

天井の通気口の隙間から、長い髪がゆっくりと垂れ下がっていた。


闇に濡れたような黒髪。

風もないのに、少しずつ、垂れる位置が下がっていく。


「──ひっ……!」


ドアを開けて飛び出した。

誰もいない。

天井の裏も、ただの配線と古びたダクトだけ。


でも確かに──“いた”。



後日、バイト先の先輩からこんな話を聞いた。


「……あそこのトイレ、ちょっとヤバイんだよな」

「昔さ、店員が盗撮されてさ。天井裏からカメラ仕込まれてたの。

でも、捕まった男……妙な死に方したって噂だぜ」


「取り調べの途中に、喉に何か詰まって窒息したんだって。

口から髪の毛が出てたとか、な……」


(……髪……)


あのとき、天井から垂れていたそれを思い出した。


女の髪。

そして──執念。



それからというもの、

夜にトイレへ入るたび、異変が起こる。


閉めたはずの鍵が、ふいにガチャリと回ろうとする音がする。

床に置いたスマホの画面が、勝手に写真モードに切り替わる。


そして、いつものように座っていると、

耳元で女の声が囁く。


「……きれいな体……撮らせて……」


震える指で壁を押さえると、

そこには指の跡が、ぬめったように浮かび上がっている。


まるで、壁越しに撫でられたように。


今や、あのトイレは“見られる場所”になった。


鍵をかけても、

誰かがすでに中にいる。


そしてその女は、

かつて奪われた“見る側・見られる側”の境界を、

いま、越えてしまった。


【完】

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