第16話『“そのとき”の録音、再生しますか?』
正直、悪趣味だとは思っていた。
でも、それでも──あの夜の“声”を、もう一度聞きたかった。
ベッドの軋む音。浅く速くなる吐息。
彼女の小さくて甘い声。
ICレコーダーに録音されたそれは、
どこまでもリアルで、生々しくて、
……そして、どこか切なかった。
*
きっかけは、スマホの充電が切れた日だった。
たまたま引き出しから取り出した古いICレコーダー。
学生時代の講義録音用に使っていたそれには、まだ音が残せた。
「……えっ、ホントに録るの?」
彼女は最初、少し驚いた顔をしていた。
「やだ、エッチ。……でも、まぁ……いいよ」
快諾ではなかった。でも、彼女は笑っていた。
あの夜、灯りを落とした部屋で、
小さなICレコーダーが、すべてを録音していた。
*
再生してみたのは、翌日の夜。
音質はやや粗かったが、彼女の声ははっきりと録れていた。
吐息。囁き。名前を呼ぶ声。
……けれど、その奥に、何かが混じっていた。
「……あ……んっ……好き……」
彼女の声の合間、遠くで、
「……ちがう……ちがう……その人じゃ、ない……」
……女の声が、確かに入っていた。
(え?)
一時停止。巻き戻し。再生。
同じ場所。
彼女の吐息にかぶさるように、もう一人の“息”と、別の囁き声が入り込んでいる。
「──誰かが、入ってた……?」
背中がゾクリとした。
(録音ミスか? ノイズ?)
そう思い、ファイルを削除した。
……はずだった。
だが翌日、ICレコーダーを開くと、
その音声ファイルが、また復活していた。
ファイル名は《VOICE01》──削除前と同じ。
日付だけが、一日ずれていた。
再生すると、同じ音。
同じ吐息。
そして、また──
「……その人じゃ、ない……返して……」
そんな声が、明確に聞こえた。
*
彼女が事故に遭ったのは、その三日後だった。
信号無視のトラックに撥ねられた。即死だった。
連絡を受けたとき、頭が真っ白になった。
声も出なかった。涙も出なかった。
ただ、あのICレコーダーが、俺の机の上に置かれていた。
……電源は入っていないのに、
録音ボタンだけが、赤く点滅していた。
*
それからというもの──
深夜2時になると、部屋のどこからか、あの音が聞こえる。
「……んっ……やだ……もっと……」
ICレコーダーはオフのまま。
だが、再生ボタンが勝手に動き出す。
ある夜、思い切ってレコーダーを耳に近づけた。
そのとき、声が変わった。
「……ねえ……もう一度して……音だけでも……」
その声は──確かに、彼女のものだった。
でも、
その“すぐ隣”から、別の女の声が重なった。
「……返してよ……わたしの夜を……」
その夜から、俺はもう眠れなくなった。
ベッドに入ると、耳元にふたつの声が交互に囁く。
「もっと、して……」
「返して……」
「気持ちよくして……」
「わたしのこと……忘れたの……?」
ICレコーダーは、今も引き出しの中にある。
削除しても、壊しても、燃やしても、翌朝には元通りに戻ってくる。
音だけが、彼女をつなぎとめている。
……だけどもう、それは“彼女だけの声”じゃなくなっている。
「……もう一度、録って……ねえ……今度はふたりの声で……」
【完】
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