第16話『“そのとき”の録音、再生しますか?』

正直、悪趣味だとは思っていた。

でも、それでも──あの夜の“声”を、もう一度聞きたかった。


ベッドの軋む音。浅く速くなる吐息。

彼女の小さくて甘い声。


ICレコーダーに録音されたそれは、

どこまでもリアルで、生々しくて、

……そして、どこか切なかった。



きっかけは、スマホの充電が切れた日だった。

たまたま引き出しから取り出した古いICレコーダー。

学生時代の講義録音用に使っていたそれには、まだ音が残せた。


「……えっ、ホントに録るの?」

彼女は最初、少し驚いた顔をしていた。


「やだ、エッチ。……でも、まぁ……いいよ」


快諾ではなかった。でも、彼女は笑っていた。

あの夜、灯りを落とした部屋で、

小さなICレコーダーが、すべてを録音していた。



再生してみたのは、翌日の夜。


音質はやや粗かったが、彼女の声ははっきりと録れていた。


吐息。囁き。名前を呼ぶ声。


……けれど、その奥に、何かが混じっていた。


「……あ……んっ……好き……」

彼女の声の合間、遠くで、


「……ちがう……ちがう……その人じゃ、ない……」


……女の声が、確かに入っていた。


(え?)


一時停止。巻き戻し。再生。


同じ場所。

彼女の吐息にかぶさるように、もう一人の“息”と、別の囁き声が入り込んでいる。


「──誰かが、入ってた……?」


背中がゾクリとした。


(録音ミスか? ノイズ?)


そう思い、ファイルを削除した。


……はずだった。


だが翌日、ICレコーダーを開くと、

その音声ファイルが、また復活していた。


ファイル名は《VOICE01》──削除前と同じ。

日付だけが、一日ずれていた。


再生すると、同じ音。

同じ吐息。

そして、また──


「……その人じゃ、ない……返して……」


そんな声が、明確に聞こえた。



彼女が事故に遭ったのは、その三日後だった。


信号無視のトラックに撥ねられた。即死だった。


連絡を受けたとき、頭が真っ白になった。

声も出なかった。涙も出なかった。


ただ、あのICレコーダーが、俺の机の上に置かれていた。


……電源は入っていないのに、

録音ボタンだけが、赤く点滅していた。



それからというもの──


深夜2時になると、部屋のどこからか、あの音が聞こえる。


「……んっ……やだ……もっと……」


ICレコーダーはオフのまま。

だが、再生ボタンが勝手に動き出す。


ある夜、思い切ってレコーダーを耳に近づけた。


そのとき、声が変わった。


「……ねえ……もう一度して……音だけでも……」


その声は──確かに、彼女のものだった。


でも、

その“すぐ隣”から、別の女の声が重なった。


「……返してよ……わたしの夜を……」


その夜から、俺はもう眠れなくなった。


ベッドに入ると、耳元にふたつの声が交互に囁く。


「もっと、して……」

「返して……」

「気持ちよくして……」

「わたしのこと……忘れたの……?」


ICレコーダーは、今も引き出しの中にある。


削除しても、壊しても、燃やしても、翌朝には元通りに戻ってくる。


音だけが、彼女をつなぎとめている。


……だけどもう、それは“彼女だけの声”じゃなくなっている。


「……もう一度、録って……ねえ……今度はふたりの声で……」


【完】

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