第8話『セックス禁止の部屋』

「この部屋、格安ですが──ただ一点、入居者様にお願いがございます」


内見の途中、不動産の担当者が唐突にそう切り出した。


「……夜間、午後10時以降の性行為は、避けていただきたいのです」


俺と彼女は、思わず顔を見合わせた。


「え、なにそれ……壁薄いから? 苦情対策?」


「……まぁ、そういうことにしておきます」


笑ってはいたが、その目はどこか、冗談を言っているようには見えなかった。



家賃は相場より2万も安く、立地も駅近、部屋の広さも文句なし。

多少古くてクセがあるが、正直、俺はこの部屋を気に入っていた。


例の“禁止事項”も、まあ都市伝説みたいなもんだろう、と。

夜にやらなければいいだけだ──そう思っていた。


……そう思っていたはずだった。



入居して二週間目の夜。


その日は彼女のカオリが泊まりに来ていた。

ふたりで買ってきたお酒を飲み、映画を観て、シャワーを浴びて──


時間は、午後10時13分。


「……もう、ちょっとだけ……いいでしょ?」


カオリがシーツの上で俺に跨がりながら、そう囁いた。

少しだけ酔っていたのだと思う。

俺も、禁止されているとわかっているからこそ、火照った。


(大丈夫だって……どうせ誰にも聞かれねえよ)


唇が重なり、シャツを脱がせ、指が肌をなぞる。


だが、その瞬間。


天井から、ポタリ、と水滴が落ちた。


(……え?)


見上げると、天井の隙間から、黒い髪の束が垂れていた。


濡れていて、ぬめっていて、まるで何かを“探る”ように揺れていた。


そして──俺たちの間に、もう一つの“手”が差し込まれた。


細く、冷たく、女の手だった。


「──っ!? なに、これっ!?」


カオリが跳ねて、悲鳴を上げた。


「誰かいる! 誰か……間に、いた……!」


「……いや、そんなはず……!」


でも、俺もわかっていた。


俺の腰に回したカオリの手は、ちゃんと二本。

それとは別に、もう片方の太ももをなでていた“手”があった。


それは、明らかに第三者のものだった。


「ねえ……三人でやるの……?」


カオリの声が震える。

そのとき、部屋の照明がふっと明滅した。


そして。


「──もう、我慢できない」


女の声が、天井から降ってきた。


ぞくりと、全身が総毛立った。



その夜はそれ以上、何もできなかった。


カオリは泣きながら服を着て帰り、

俺は一晩中、明かりをつけて過ごした。


朝、天井の隙間を見たが──黒い髪は、もうなかった。


けれど。


シーツの上には、誰かが座っていたような“濡れ跡”が残っていた。



一週間後、俺はどうしても気になって、マンションの過去の記録を調べた。


そして、図書館の古い新聞記事で見つけた。


【2002年、同住所・403号室にて交際中の男女が無理心中。

男性死亡、女性は瀕死で発見。

女性は搬送先で“彼が浮気したから、私の体だけじゃ足りなかった”と証言】

【部屋からは濡れた髪と、大量の血痕】

【“二人の愛を、永久に残したかった”というメモが枕元に】


──403号室。今の俺の部屋。


あの「夜間の性行為は禁止です」という言葉の意味が、やっとわかった。


彼女は、“永遠の三人目”を求めていたのだ。



そしてそれ以来、奇妙なことが起きるようになった。


カオリとはあの一件以来、距離ができた。


でも、それでも──他の女の子とそういう空気になろうとすると、


必ず、“誰か”が間に割って入ってくる。


ベッドの上で指を絡めようとすると、

“もう一本の手”が、俺の手を引き離してくる。


「まだよ、まだ足りない……」


鏡に映る、濡れた黒髪の女が、俺をじっと見つめる。


その視線は、哀しげで、しかし確かに──欲望に満ちていた。


今では、どの部屋で誰としようとしても、必ずあの女が現れる。


愛を交わすたびに、もうひとつの手が、背中をなぞってくる。


「ねえ……今度こそ、私のこと、忘れないでね?」


そう囁くその声に、

俺は今夜も、何も言い返せずに、“三人で”眠るしかない。


【完】

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