第8話『セックス禁止の部屋』
「この部屋、格安ですが──ただ一点、入居者様にお願いがございます」
内見の途中、不動産の担当者が唐突にそう切り出した。
「……夜間、午後10時以降の性行為は、避けていただきたいのです」
俺と彼女は、思わず顔を見合わせた。
「え、なにそれ……壁薄いから? 苦情対策?」
「……まぁ、そういうことにしておきます」
笑ってはいたが、その目はどこか、冗談を言っているようには見えなかった。
*
家賃は相場より2万も安く、立地も駅近、部屋の広さも文句なし。
多少古くてクセがあるが、正直、俺はこの部屋を気に入っていた。
例の“禁止事項”も、まあ都市伝説みたいなもんだろう、と。
夜にやらなければいいだけだ──そう思っていた。
……そう思っていたはずだった。
*
入居して二週間目の夜。
その日は彼女のカオリが泊まりに来ていた。
ふたりで買ってきたお酒を飲み、映画を観て、シャワーを浴びて──
時間は、午後10時13分。
「……もう、ちょっとだけ……いいでしょ?」
カオリがシーツの上で俺に跨がりながら、そう囁いた。
少しだけ酔っていたのだと思う。
俺も、禁止されているとわかっているからこそ、火照った。
(大丈夫だって……どうせ誰にも聞かれねえよ)
唇が重なり、シャツを脱がせ、指が肌をなぞる。
だが、その瞬間。
天井から、ポタリ、と水滴が落ちた。
(……え?)
見上げると、天井の隙間から、黒い髪の束が垂れていた。
濡れていて、ぬめっていて、まるで何かを“探る”ように揺れていた。
そして──俺たちの間に、もう一つの“手”が差し込まれた。
細く、冷たく、女の手だった。
「──っ!? なに、これっ!?」
カオリが跳ねて、悲鳴を上げた。
「誰かいる! 誰か……間に、いた……!」
「……いや、そんなはず……!」
でも、俺もわかっていた。
俺の腰に回したカオリの手は、ちゃんと二本。
それとは別に、もう片方の太ももをなでていた“手”があった。
それは、明らかに第三者のものだった。
「ねえ……三人でやるの……?」
カオリの声が震える。
そのとき、部屋の照明がふっと明滅した。
そして。
「──もう、我慢できない」
女の声が、天井から降ってきた。
ぞくりと、全身が総毛立った。
*
その夜はそれ以上、何もできなかった。
カオリは泣きながら服を着て帰り、
俺は一晩中、明かりをつけて過ごした。
朝、天井の隙間を見たが──黒い髪は、もうなかった。
けれど。
シーツの上には、誰かが座っていたような“濡れ跡”が残っていた。
*
一週間後、俺はどうしても気になって、マンションの過去の記録を調べた。
そして、図書館の古い新聞記事で見つけた。
【2002年、同住所・403号室にて交際中の男女が無理心中。
男性死亡、女性は瀕死で発見。
女性は搬送先で“彼が浮気したから、私の体だけじゃ足りなかった”と証言】
【部屋からは濡れた髪と、大量の血痕】
【“二人の愛を、永久に残したかった”というメモが枕元に】
──403号室。今の俺の部屋。
あの「夜間の性行為は禁止です」という言葉の意味が、やっとわかった。
彼女は、“永遠の三人目”を求めていたのだ。
*
そしてそれ以来、奇妙なことが起きるようになった。
カオリとはあの一件以来、距離ができた。
でも、それでも──他の女の子とそういう空気になろうとすると、
必ず、“誰か”が間に割って入ってくる。
ベッドの上で指を絡めようとすると、
“もう一本の手”が、俺の手を引き離してくる。
「まだよ、まだ足りない……」
鏡に映る、濡れた黒髪の女が、俺をじっと見つめる。
その視線は、哀しげで、しかし確かに──欲望に満ちていた。
今では、どの部屋で誰としようとしても、必ずあの女が現れる。
愛を交わすたびに、もうひとつの手が、背中をなぞってくる。
「ねえ……今度こそ、私のこと、忘れないでね?」
そう囁くその声に、
俺は今夜も、何も言い返せずに、“三人で”眠るしかない。
【完】
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