第7話『禁忌のラブホテル』
「赤い部屋しか空いてなくて、すみません。こちら、406号室になります」
カウンター越しに笑うホテルスタッフは、どこか申し訳なさそうだった。
でも、俺たちは別に気にしていなかった。
週末の夜、どこのラブホテルも満室で、ここだけが“たまたま空いていた”というだけ。
「ちょっと昭和っぽいけど、エモくていいじゃん?」
彼女のミカが、部屋に入った瞬間そう言った。
406号室。
“赤の406号室”と、鍵に書かれていた。
部屋の中は……赤かった。
壁紙も、天井も、シーツも。すべてが、深いワインレッド。
古びた照明のオレンジ色が、それをより艶やかに照らしていた。
(……ラブホにしては、妙に……生々しい色合いだな)
そう感じたのは、俺だけだったのかもしれない。
ミカはベッドに座るなり、くるりと足を組み替え、俺に向かってウインクした。
「おいでよ。せっかくの夜でしょ?」
その表情が妙に“いつもより積極的”だった気がする。
でも、そんな違和感は──ベッドの軋みと共に、すぐに忘れた。
*
「……あっ……ふ、んっ……」
しばらくして、俺たちはシーツの上で重なっていた。
でも、奇妙だった。
──喘ぎ声が、ミカの口の動きと合っていない。
「……あ……もっと……」
「う……うん、いいよ……」
声は聞こえる。確かに甘く、切なく、女の艶に満ちている。
けれど、ミカは黙っている。
いや、それどころか──ミカの目が、虚ろだった。
「……ミカ……おい、どうした?」
「……ん……ふふ……あなたの、こと……しってるよ……」
ミカの声が、明らかに別人のものになった。
甘さの中に、ねっとりとした冷たさ。
耳元に唇を寄せられた瞬間、ぞわりと背中を這い上がるような“記憶にない女の声”。
そして。
俺の背中に、もう一つの手が這い寄った。
ミカの両腕は俺の首に回っているはずなのに。
それなのに──背中に触れたその“手”は、明らかに湿っていて、指が長くて、冷たかった。
「おい……誰だ……?」
「……わたしのベッドで、よくも……ねえ……?」
ミカの口が、別人の声で、そう言った。
ベッドが軋んだ。
動きが変わった。まるで、ミカの身体を“別の誰か”が中から操っているような動き。
ゆっくりと、絡みつく。
腰が、意志を持っているかのように“押し返して”くる。
(……ちがう……これ、ミカじゃない……)
そう確信したのは、鏡の中だった。
部屋の壁一面に貼られた鏡に、俺と、女と、“もう一人の女の顔”が映っていた。
髪が濡れている。目元が黒く滲んでいて、唇から赤黒い液が垂れている。
ミカの背中越しに、その女の顔だけが──俺を見て、笑っていた。
「……ずっと、ここで待ってたのに……また、ほかの女、連れてきたの……?」
「ミカじゃない……誰だ……おまえ……」
「406号室で、あのとき一緒に死んだ、あの女……覚えてる?」
*
──行為は止まらなかった。
いや、“止められなかった”。
ミカは突然、俺の胸に爪を立ててきた。血がにじむ。
「ふふ、いいよ……傷跡、残そうね……」
目が合う。
ミカの中にいる“それ”が、確かに俺を見て、悦んでいた。
「今度こそ、最後までして。あのときは、途中でやめたでしょ?」
耳元に、舌の感触。
「……誰のベッドか、忘れないで……」
*
翌朝、ミカは何も覚えていなかった。
「え? 昨日? うーん……なんか疲れちゃってて……」
だが、彼女の背中には──爪痕が十本、刻まれていた。
*
チェックアウトの際、俺はカウンターのスタッフに聞いた。
「あの、406号室って……なんか、ありましたか?」
すると、年配の女性スタッフが、ほんの一瞬だけ顔を曇らせた。
「……ああ、あそこね。ちょっとね、昔、心中事件があってね。女の子が、部屋で……」
「……そのときのベッド、って……」
「替えたよ、もちろん。でもね、どうしても“音”が消えなくて。
夜になると、誰もいないのに、女の人の声がするって……」
俺は黙って頷いた。
以後、ミカと愛し合うとき、
どんな場所でも、ミカの声とは別に、もう一人分の喘ぎ声が混じるようになった。
耳元で、甘く、冷たく、囁くように──
「……また、来てくれたね……」
【完】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます