第7話『禁忌のラブホテル』

「赤い部屋しか空いてなくて、すみません。こちら、406号室になります」


カウンター越しに笑うホテルスタッフは、どこか申し訳なさそうだった。


でも、俺たちは別に気にしていなかった。

週末の夜、どこのラブホテルも満室で、ここだけが“たまたま空いていた”というだけ。


「ちょっと昭和っぽいけど、エモくていいじゃん?」

彼女のミカが、部屋に入った瞬間そう言った。


406号室。

“赤の406号室”と、鍵に書かれていた。


部屋の中は……赤かった。

壁紙も、天井も、シーツも。すべてが、深いワインレッド。

古びた照明のオレンジ色が、それをより艶やかに照らしていた。


(……ラブホにしては、妙に……生々しい色合いだな)


そう感じたのは、俺だけだったのかもしれない。


ミカはベッドに座るなり、くるりと足を組み替え、俺に向かってウインクした。


「おいでよ。せっかくの夜でしょ?」


その表情が妙に“いつもより積極的”だった気がする。


でも、そんな違和感は──ベッドの軋みと共に、すぐに忘れた。



「……あっ……ふ、んっ……」


しばらくして、俺たちはシーツの上で重なっていた。


でも、奇妙だった。


──喘ぎ声が、ミカの口の動きと合っていない。


「……あ……もっと……」

「う……うん、いいよ……」


声は聞こえる。確かに甘く、切なく、女の艶に満ちている。


けれど、ミカは黙っている。

いや、それどころか──ミカの目が、虚ろだった。


「……ミカ……おい、どうした?」


「……ん……ふふ……あなたの、こと……しってるよ……」


ミカの声が、明らかに別人のものになった。


甘さの中に、ねっとりとした冷たさ。

耳元に唇を寄せられた瞬間、ぞわりと背中を這い上がるような“記憶にない女の声”。


そして。


俺の背中に、もう一つの手が這い寄った。


ミカの両腕は俺の首に回っているはずなのに。

それなのに──背中に触れたその“手”は、明らかに湿っていて、指が長くて、冷たかった。


「おい……誰だ……?」


「……わたしのベッドで、よくも……ねえ……?」


ミカの口が、別人の声で、そう言った。


ベッドが軋んだ。

動きが変わった。まるで、ミカの身体を“別の誰か”が中から操っているような動き。


ゆっくりと、絡みつく。

腰が、意志を持っているかのように“押し返して”くる。


(……ちがう……これ、ミカじゃない……)


そう確信したのは、鏡の中だった。


部屋の壁一面に貼られた鏡に、俺と、女と、“もう一人の女の顔”が映っていた。


髪が濡れている。目元が黒く滲んでいて、唇から赤黒い液が垂れている。

ミカの背中越しに、その女の顔だけが──俺を見て、笑っていた。


「……ずっと、ここで待ってたのに……また、ほかの女、連れてきたの……?」


「ミカじゃない……誰だ……おまえ……」


「406号室で、あのとき一緒に死んだ、あの女……覚えてる?」



──行為は止まらなかった。

いや、“止められなかった”。


ミカは突然、俺の胸に爪を立ててきた。血がにじむ。


「ふふ、いいよ……傷跡、残そうね……」


目が合う。

ミカの中にいる“それ”が、確かに俺を見て、悦んでいた。


「今度こそ、最後までして。あのときは、途中でやめたでしょ?」


耳元に、舌の感触。


「……誰のベッドか、忘れないで……」



翌朝、ミカは何も覚えていなかった。


「え? 昨日? うーん……なんか疲れちゃってて……」


だが、彼女の背中には──爪痕が十本、刻まれていた。



チェックアウトの際、俺はカウンターのスタッフに聞いた。


「あの、406号室って……なんか、ありましたか?」


すると、年配の女性スタッフが、ほんの一瞬だけ顔を曇らせた。


「……ああ、あそこね。ちょっとね、昔、心中事件があってね。女の子が、部屋で……」


「……そのときのベッド、って……」


「替えたよ、もちろん。でもね、どうしても“音”が消えなくて。

夜になると、誰もいないのに、女の人の声がするって……」


俺は黙って頷いた。


以後、ミカと愛し合うとき、

どんな場所でも、ミカの声とは別に、もう一人分の喘ぎ声が混じるようになった。


耳元で、甘く、冷たく、囁くように──


「……また、来てくれたね……」


【完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る