第17話 放課後に響いた名前
放課後の教室は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。
生徒の半分くらいはすでに帰宅していて、残っているのは部活のある生徒や、友達とおしゃべりをしている数人。それでも、この時間になると空気がどこか緩んで、昼休みとはまた違った“余白”が生まれる。
俺は、席に座ってプリントを整理していた。週明けに提出する報告書――体育祭実行委員としての最後の仕事だ。
「……ふう」
一段落ついて、机に広げた紙をぱたんと閉じたときだった。
「花宮くん」
――不意に、誰かに名前を呼ばれた。
教室の入り口に立っていたのは、同じクラスの女子――確か、飯田さんだったはずだ。目がぱっちりしてて、誰とでもすぐに打ち解けるタイプ。友達も多くて、クラスの中でも明るい雰囲気の中心にいる子だ。
「ごめん、いま時間ある? ちょっとだけ聞きたいことあって」
「うん、いいけど。なにかあった?」
すると彼女は、少しだけ言いにくそうに言葉を探してから、ぽつりと聞いてきた。
「白雪さんと……最近、仲良いよね?」
……来たか。
心のどこかで、そろそろ誰かに言われるだろうとは思っていた。彩香と一緒に駅前で歩いていたところを見られていたらしいし、クラスでそれなりに話題にはなってるだろう。
「まあ……一緒に打ち上げの店を探しに行ったりはしたけど、それだけだよ」
「そっかー。でも、ふたりで歩いてるとこ見た子がいてさ、“まさか付き合ってるんじゃ?”って話になってて」
「そんなことないって。そもそも俺、あいつには助けられてばっかりだから」
「ふーん、そっか。ちょっと意外だったけど……お似合いだと思うよ?」
そう言って、飯田さんはニコッと笑って教室を出ていった。
(……お似合い、か)
その言葉が、妙に頭の中に残った。
そう思われるくらい、俺と彩香って、そんなふうに見えてるんだろうか。
でも、俺から見た“あいつ”は、クラスの誰もが憧れる完璧な優等生で――俺の前でだけ、よく転んで、よく噛んで、よく焦って。
俺のこと、どう思ってるんだろうな。あの子は。
*
その日の帰り道。
駅へ向かう途中、偶然にも彩香とばったり出くわした。
「――あっ、裕樹くん!」
「よう。……なんか、すごい勢いで歩いてたけど」
「わ、わたし? そ、そんなことないよ?」
明らかに動揺してる。頬も赤くて、どこか落ち着きがない。
「……誰かに追われてるとか?」
「ち、ちがうよ! ちょっとその、急いでただけ!」
嘘だな。たぶん、またプリントか何か落としたんだろうけど……その辺はあえて聞かずにおく。
「まあいいや。駅まで行くなら、一緒に歩く?」
「えっ……う、うん!」
素直にうなずいた彩香は、でもどこかぎこちなく、歩幅を揃えるのにちょっと苦戦していた。
さっきの話――“お似合い”って言葉が、なんとなく頭に残ったままだ。
だからなのか、今のこの並んで歩く時間が、少しだけ意識してしまう。
「……そういえばさ、さっきクラスの子に言われたんだ」
「えっ……な、なにを?」
「俺たち、付き合ってるのかって」
その瞬間、ぴたりと隣の歩みが止まる。
「……え、あ、う、うそ……ほんとに……?」
「うん。でも俺は、“違うよ”って言った」
「……そっか」
ほんの一瞬、彩香の声が、すごく小さくなった気がした。
俺は、黙ったまま歩く彼女の横顔を見ながら、ふと問いかけてみる。
「……もしさ、俺が“そうだったらよかったのに”って言ったら、どうする?」
「えっ……」
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
「……ずるいよ、それ」
「え?」
「そういうの、ちょっとだけ期待させるようなこと言っておいて、“忘れてくれ”なんて……ずるい」
それは、普段の彩香からは想像できないくらい、まっすぐな言葉だった。
その言葉が、まるで胸の奥を叩かれたように、響いた。
けど、俺はそれに答えるにはまだ、自分の気持ちに言葉が追いつかなくて。
だから代わりに、少しだけ笑ってみせる。
「……俺って、ずるいとこ、あるかもな」
「うん、ちょっとだけ」
ふたりで、少しだけ笑ったあと、会話は自然と途切れていった。
改札までの道のりは、ほんの数分しかなかったけれど、隣に彩香がいると、それがやけに長く感じられる。
街灯に照らされた横顔は、どこか楽しそうでもあり、少し不安げでもあって。何か言いたそうに唇が動いては止まり、また黙り込む。それに気づきながらも、俺も言葉を選びあぐねていた。
「……あのさ」
ようやく彩香が口を開いた。
「うん?」
「その……また、打ち上げのことで、何かあったら言ってね。私、できることなら手伝うから」
「ありがとう。もう終わった行事なのに、まだ面倒見ようとするなんて、真面目すぎだろ」
「そ、そうかな……? でも、せっかくみんなでやったことだから、ちゃんと最後まで気持ちよく終わらせたいっていうか……」
「そっか。……うん、彩香らしいよ」
その言葉に、彩香は少しうつむいて、小さく笑った。
「……裕樹くんも、そういうとこ、変わらないよね」
「どこがだよ」
「優しいとこ」
「それは誤解だと思うけどな」
そう言いつつ、言い返す言葉が見つからず、俺もつられて笑ってしまった。
改札まで来たとき、自然と足が止まる。
「じゃあ、また」
「うん。また学校で」
それだけの言葉を交わして別れたはずなのに、歩き出してすぐ、なぜかもう会いたくなっていた。
それはきっと、あいつも同じだと――そう思いたいだけなのかもしれない。
***
その夜、家に帰っても、どこか落ち着かなくて。
机に向かっても勉強は手につかず、スマホを何度も確認してしまう。
(……あれは、冗談だったって思われたかな)
けど、あのときの彩香の顔は、確かに本気だった。
あんな表情、見たことなかった。
俺の気持ちは、たぶんもう、答えを出しかけている。
でも、決めるのは――次に会ったときだ。
“あの子”の笑顔を、また見られたら。
俺はきっと、そのとき――
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