第17話 放課後に響いた名前

放課後の教室は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。


生徒の半分くらいはすでに帰宅していて、残っているのは部活のある生徒や、友達とおしゃべりをしている数人。それでも、この時間になると空気がどこか緩んで、昼休みとはまた違った“余白”が生まれる。


俺は、席に座ってプリントを整理していた。週明けに提出する報告書――体育祭実行委員としての最後の仕事だ。


「……ふう」


一段落ついて、机に広げた紙をぱたんと閉じたときだった。


「花宮くん」


――不意に、誰かに名前を呼ばれた。


教室の入り口に立っていたのは、同じクラスの女子――確か、飯田さんだったはずだ。目がぱっちりしてて、誰とでもすぐに打ち解けるタイプ。友達も多くて、クラスの中でも明るい雰囲気の中心にいる子だ。


「ごめん、いま時間ある? ちょっとだけ聞きたいことあって」


「うん、いいけど。なにかあった?」


すると彼女は、少しだけ言いにくそうに言葉を探してから、ぽつりと聞いてきた。


「白雪さんと……最近、仲良いよね?」


……来たか。


心のどこかで、そろそろ誰かに言われるだろうとは思っていた。彩香と一緒に駅前で歩いていたところを見られていたらしいし、クラスでそれなりに話題にはなってるだろう。


「まあ……一緒に打ち上げの店を探しに行ったりはしたけど、それだけだよ」


「そっかー。でも、ふたりで歩いてるとこ見た子がいてさ、“まさか付き合ってるんじゃ?”って話になってて」


「そんなことないって。そもそも俺、あいつには助けられてばっかりだから」


「ふーん、そっか。ちょっと意外だったけど……お似合いだと思うよ?」


そう言って、飯田さんはニコッと笑って教室を出ていった。


(……お似合い、か)


その言葉が、妙に頭の中に残った。


そう思われるくらい、俺と彩香って、そんなふうに見えてるんだろうか。


でも、俺から見た“あいつ”は、クラスの誰もが憧れる完璧な優等生で――俺の前でだけ、よく転んで、よく噛んで、よく焦って。


俺のこと、どう思ってるんだろうな。あの子は。



その日の帰り道。


駅へ向かう途中、偶然にも彩香とばったり出くわした。


「――あっ、裕樹くん!」


「よう。……なんか、すごい勢いで歩いてたけど」


「わ、わたし? そ、そんなことないよ?」


明らかに動揺してる。頬も赤くて、どこか落ち着きがない。


「……誰かに追われてるとか?」


「ち、ちがうよ! ちょっとその、急いでただけ!」


嘘だな。たぶん、またプリントか何か落としたんだろうけど……その辺はあえて聞かずにおく。


「まあいいや。駅まで行くなら、一緒に歩く?」


「えっ……う、うん!」


素直にうなずいた彩香は、でもどこかぎこちなく、歩幅を揃えるのにちょっと苦戦していた。


さっきの話――“お似合い”って言葉が、なんとなく頭に残ったままだ。


だからなのか、今のこの並んで歩く時間が、少しだけ意識してしまう。


「……そういえばさ、さっきクラスの子に言われたんだ」


「えっ……な、なにを?」


「俺たち、付き合ってるのかって」


その瞬間、ぴたりと隣の歩みが止まる。


「……え、あ、う、うそ……ほんとに……?」


「うん。でも俺は、“違うよ”って言った」


「……そっか」


ほんの一瞬、彩香の声が、すごく小さくなった気がした。


俺は、黙ったまま歩く彼女の横顔を見ながら、ふと問いかけてみる。


「……もしさ、俺が“そうだったらよかったのに”って言ったら、どうする?」


「えっ……」


「いや、なんでもない。忘れてくれ」


「……ずるいよ、それ」


「え?」


「そういうの、ちょっとだけ期待させるようなこと言っておいて、“忘れてくれ”なんて……ずるい」


それは、普段の彩香からは想像できないくらい、まっすぐな言葉だった。


その言葉が、まるで胸の奥を叩かれたように、響いた。


けど、俺はそれに答えるにはまだ、自分の気持ちに言葉が追いつかなくて。


だから代わりに、少しだけ笑ってみせる。


「……俺って、ずるいとこ、あるかもな」


「うん、ちょっとだけ」


ふたりで、少しだけ笑ったあと、会話は自然と途切れていった。


改札までの道のりは、ほんの数分しかなかったけれど、隣に彩香がいると、それがやけに長く感じられる。


街灯に照らされた横顔は、どこか楽しそうでもあり、少し不安げでもあって。何か言いたそうに唇が動いては止まり、また黙り込む。それに気づきながらも、俺も言葉を選びあぐねていた。


「……あのさ」


ようやく彩香が口を開いた。


「うん?」


「その……また、打ち上げのことで、何かあったら言ってね。私、できることなら手伝うから」


「ありがとう。もう終わった行事なのに、まだ面倒見ようとするなんて、真面目すぎだろ」


「そ、そうかな……? でも、せっかくみんなでやったことだから、ちゃんと最後まで気持ちよく終わらせたいっていうか……」


「そっか。……うん、彩香らしいよ」


その言葉に、彩香は少しうつむいて、小さく笑った。


「……裕樹くんも、そういうとこ、変わらないよね」


「どこがだよ」


「優しいとこ」


「それは誤解だと思うけどな」


そう言いつつ、言い返す言葉が見つからず、俺もつられて笑ってしまった。


改札まで来たとき、自然と足が止まる。


「じゃあ、また」


「うん。また学校で」


それだけの言葉を交わして別れたはずなのに、歩き出してすぐ、なぜかもう会いたくなっていた。

それはきっと、あいつも同じだと――そう思いたいだけなのかもしれない。


***


その夜、家に帰っても、どこか落ち着かなくて。


机に向かっても勉強は手につかず、スマホを何度も確認してしまう。


(……あれは、冗談だったって思われたかな)


けど、あのときの彩香の顔は、確かに本気だった。


あんな表情、見たことなかった。


俺の気持ちは、たぶんもう、答えを出しかけている。


でも、決めるのは――次に会ったときだ。


“あの子”の笑顔を、また見られたら。


俺はきっと、そのとき――

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