第5話 二周目だから精神年齢が高い?
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、俺は駆け足で教室を出た。氷空が反応する隙も与えず、廊下をダッシュで駆け抜けると、非常階段の踊り場に到着。振り返って誰もいないことを確認すると、
「………………」
冷たいコンクリートの壁に背中を預けて、ふぅと胸を撫で下ろした。
授業中、ずっと彼女の視線を感じた。もはやチラチラ見るなんてレベルではない。観察である。教科書を読んでいるふりをしてずっとこちらを観察していたのだ。それこそ科学者がモルモットを見るときのような鋭い目つきで。
――その瞳の奥では一体何を考えていたのだろうか。
まあおそらく、告白しない俺にムカついているのか、話しかけてこない俺にムカついているのか、人生二周目だと認めない俺にムカついているのか。
この三択のどれかだとは思うが、残念ながらそのイライラが収まることはないだろう。俺は彼女が興味を失うまで永遠に逃げ続ける予定だからな。告白どころか、話しかけることすらするつもりはない。
だから早く諦めてほしい。お願いだから早く諦めて――、
「――見つけた!」
突然。背筋が凍るような声が辺りに響いた。かと思うとすぐに俺の視界には氷空の姿が映って、階段を駆け上がる音とともに彼女は急接近してきた。
凄まじい勢いで近づいてくる。止まる気配は微塵もなかった。
互いの距離はみるみる縮まり、俺の視界は一瞬にして彼女の顔で埋め尽くされる。
えっ? 待って。近くね? さすがにこのままだとキスすることになって――。
そんな俺の動揺をよそに、彼女は止まるという動作を一切せずに突っ込んでくる。躊躇なく、勢いそのままに、突っ込んできて……、
「話しかけてよっ!」
怒号とともに頭突きをかましてきたのだ。
ゴツンと。頭がぶつかる鈍い音が辺りに響く。
「って、いったああああああああああああああああああ!」
次の瞬間、彼女の甲高い悲鳴が上がった。
「は? いや、え? は? いや、え?」
俺は額を抑えながら、理解不能の状況に呆然としてしまう。
頭突き? えっ、頭突きって何? なんで頭突き? ヤンキー? ヤンキーだから頭突きしたのか?
「ううっ……痛い、痛いよぉ……!」
「ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん?」
しかしそんな混乱が吹き飛ぶくらい氷空は衝撃的なリアクションをとっていた。なんと彼女は額を抑えて、悶絶したように階段にしゃがみ込んでいるのだ。
その姿はまるで被害者のようで……加害者であるということを感じさせない自然な振る舞いには恐怖を感じざるを得なかった。
まさかこれは彼女の策略なのだろうか?
と一瞬疑ったが、涙目になりながら「ううっ」と唸っているところを見ると、本気である。本気で被害者ズラをしている。その胆力だけは尊敬に値するが、本物の被害者としては勘弁してほしかった。
「もう最悪なんだけど」
「それはこっちのセリフだよ」
俺は頭を抱えながらも天井を見上げる。何も考えずにぼうっと日向ぼっこでもできたらどれだけ幸せだっただろうか。
しかしあいにく今の俺には彼女に質問をする義務がある。いいや、権利がある。
「どうして頭突きしてきたんだよ!」
俺の問いかけに対し、彼女は不貞腐れたように唇を尖らせて、
「だって……本気で走りすぎて止まれそうになかったんだもん。でもそのまま突っ込んだら唇が触れちゃうから。ほら、キスより頭突きの方がましでしょ?」
「正気か⁉︎」
「キスの方がよかった?」
ぼそっと呟いてそっぽを向く氷空。耳が真っ赤だが、まさか照れているのだろうか。いや、照れてるからって頭突きをしていい理由にはならないんだけど。
「はぁ……こういう奴がいるからこの世から交通事故は無くならないんだよ」
「うるさい! 元はといえばあなたが逃げるから! 本当は気づいてるくせに何度も無視してくるし!」
「だったらそっちから話しかけてくればいいだろ」
当然のことを言ったはずなのに、なぜかムッとした氷空は、
「あまり人見知りを舐めないでくれる? 周りの視線がある中、話しかけるのがどれだけ大変なことか分かってるの⁉︎」
「ならそれを他人に強いるな」
俺何かおかしいこと言ってるかな? 人間として当然のことだと思うんだけど。
「大体、何の用だよ」
「私、一晩ゆっくり考えてみたの」
彼女はようやく立ち上がると、壁に背中を預けている俺に見下ろすような視線を向けてきて、
「それで結論が出たの。やっぱりあなたが二周目じゃないと辻褄が合わないって」
「は?」
「だってどう考えても私に告白してこないのはおかしいでしょ?」
腕を組み、自信満々な様子でそんなことを言ってくる氷空。
もうこれセクハラじゃないだろうか? 出るとこ出ようかな。
あと、昨日の一件があった後に告白をするバカがどこにいるのだろうか。たとえ氷空のことが好きだったとしても、昨日の発言を聞いて告白しようと思うはずがない。フラれることが確定しているのだから。
「もし仮に、だ」
俺はズキズキと痛む頭を抑えつつも立ち上がると、彼女の正面に立つ。
「俺が二周目だとしたら、氷空はどうするつもりなんだ?」
俺の問いかけに対し、彼女はさらっと答える。
「別にどうもしない。ただ一方的に私が知らないという状況が気に食わないだけ」
「だから告白させようとしてくるのか?」
「そう」
あっさりと頷く氷空。
「告白したからといって人生二周目だという根拠にはならないのに?」
「根拠なんてどうでもいい。告白されれば満足するから。もちろん断るけど」
「子どもかよ」
理屈も理論もありやしない。ただの感情。わがままである。まだ子どもの方が素直で常識があるとは思うけど。
「子ども? バカにしないでくれる?」
その表現が気に食わなかったのか、ムキになったように突っかかってきた氷空はビシリと指を突きつけてきて、
「私、クラスメイトより精神年齢、三つも『上』だから!」
胸を張ってドヤ顔でそう言い放つのであった。
大人アピールをする奴ほど子どもであることが今日ここで証明された。
「……………………」
あまりの稚拙さに反応する気力すら失った俺は、無言でしばらく壁のシミをぼぅと数える。すると無視されたことに腹が立ったのか「反応して!」と普通に脛を蹴られた。
そろそろ傷害罪で訴えたいところだが、残念ながらここは非常階段。彼女の罪を証明できる者など存在しない。
仮にできたとしても「人生二周目」などと喚く狂人が素直に牢にぶち込まれるとは思えない。被害者が苦渋を舐めるしかない本当の絶望がそこにあった。
「帰っていい?」
「ダメに決まってるでしょ。そんなに私の自己肯定感下げたいの?」
「ああ」
再び蹴られる。軽く小突く程度だから先ほどの頭突きに比べればマシだが、あくまでも頭突きと比べたらである。
「分かった。そっちがその気なら私にも考えがあるから」
「考え?」
首を傾げる俺をよそに、彼女は真剣な眼差しを向けてくる。
そして突然、グイッと一歩踏み出して宣言した。
「――一週間だから!」
「えっ?」
「この一週間で、絶対にあなたに告白させてやるんだから!」
氷空は胸を張り、ドヤ顔で言い放った。長い黒髪がバサッと揺れ、自己肯定感の高さが伺える。と思ったがよく見ると目尻に涙が溜まっているし、突き出している指が震えている。
――まさか、自信ないのか?
そんな俺の予想を裏付けるかのように、
「覚悟しておいて!」
彼女は念押しするようにそう言うと、
「えぇ……」
そそくさと階段を降りてどこかに消えていった。
彼女がいなくなって静かになった踊り場で、俺は呆然と立ち尽くしたまま思う。
「本当にこれで人生二周目か?」
とても一周目のアドバンテージがあるとは思えない振る舞いである。三年間何やってたんだ?
そう思ってしまうのも無理はなかった。
こうして人生二周目を自称する彼女に、一周目の俺が追い回される日々が始まるのであった。
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