第4話 無言の圧力が一番怖い
「酷い目にあった……」
ようやく解放された俺はヘロヘロになりながらも帰路につく。家に着き、玄関で「ただいま」も言わずに自室に直行し、すぐさまベッドに大の字で倒れ込む。天井のシミをぼんやりと眺めながら、俺は小さく唸った。
「……なんなんだよ、あいつ」
頭の整理が追いついていない。
氷空が二周目の人生を送っていることも、一周目の俺が彼女に告白したことも、俺まで二周目だと疑われていることも、その全てが信じられなかった。いや、信じたくなかった。全て彼女の妄想だったらいいのに。
しかしたとえ妄想だったとしても、彼女が俺に告白を迫ってくるという事実は変わらない。どうせ告白してもフラれるんだろうけど。
「あぁーもうよく分からん!」
明日からの学校生活を想像すると、登校するのが億劫になってきた。ただでさえ高校デビューに失敗して萎えてるのに。隣の席に爆弾のような女がいるなんて…………。不運にも程がある。
「まあ流石に教室であんな態度は取らないだろうけど……」
猫をかぶっているのか、単に人見知りなのか不明だが、少なくとも彼女が教室では死ぬほど大人しいということはよく知っている。
お願いだから人見知りを発揮して話しかけないでほしい。そう切に願うばかりであった。
「それにしても人生やり直しか」
もし自分だったらどうするのだろう。
また高校デビューに挑戦するか?
いや、失敗するのは目に見えている。結局のところ、どんなに見た目や態度を変えても、つまらない性根の部分は変わらない。何度やっても同じだ。
――人は簡単には変われない。
それが高校デビューで学んだ悲しき教訓である。
「はぁ……もし今日をやり直せるなら、屋上には行かなかったんだけど」
しかし残念ながら時間は不可逆である。ゲームのリセットボタンみたいに押したら戻るような都合の良いものではない。
――人生は一度きりなのだから。
※
――翌朝。
恐る恐る登校すると、既に教室には氷空の姿があった。
周囲がグループを作って楽しそうに談笑する中、まるで周囲を気にしていないような素振りで一人佇む姿はまさに高嶺の花。
長い黒髪が窓から差し込む光に反射して鮮やかに彩られる。ぼうっと窓の外を眺める瞳は、どこか別の世界を見ているみたいで、彼女の周りだけ空気が澄んでいるように感じられた。
よし、どうやらこちらの様子には気づいていないようだ。彼女の視線が窓に向いている今のうちに席に座ろう。
「……………………」
俺は息を殺し、足音を立てないように自席に近づく。音を立てたら彼女に気づかれてしまう。それだけは何としてでも避けたい。その一心で、細心の注意を払って一歩ずつ進む。
心臓を鳴らしながら、ついに席の前まで到着した瞬間だった。
「っ――」
ジロリ、と。彼女の鋭い視線が俺を捉えた。
――まずい。
しかし彼女はしばらく俺を見つめていた後、何も言わずにそっぽを向いた。
「………………」
どうやら助かったようだ。冷や汗が背中をつたうのを感じながらも、俺はそっと椅子に腰掛ける。そして一瞬だけ彼女に視線を向けると、
「――⁉︎」
ちょうど目が合ってしまい、彼女は分かりやすく視線を逸らした。
確実に意識はされている。しかし自分からは話しかけたくないのだろう。彼女は一見するとまるで興味がなさそうな態度を取りながら、視線だけはチラチラとこちらに向けていて、非常に面倒くさかった。話しかけろという無言の圧力を感じる。
しかしもし話しかけたとしても、それはそれで無視されそうなところが余計に面倒くさい。
彼女は基本、クラスメイトに話しかけられても無視するタイプの人間なのだ。最低である。
まあでも、逆にいえばこちらからちょっかいを出さない限り、教室での俺の平穏は保たれるということだ。
ならもうそれでいいや。孤高の存在として、優雅なぼっちライフを楽しむことにしよう。
そんな面持ちで授業を受け始めたのだが……。
「じー……」
めちゃくちゃ視線を感じる。隣の席だから仕方がないとはいえ、迫力がすごい。
「はい。この公式はテストに出るから絶対に覚えるように。覚えるといっても暗記ではなく心に刻む。いいな?」
数学の先生が黒板に式を書きながら何やら熱弁している。教室は静まり返り、みんな真剣にノートを取っている。きっと重要な内容なのだろう。
それは分かっている。分かっているのだが……。
「じー…………」
隣の視線が気になりすぎて全く内容が入ってこなかった。
ちくしょう。彼女は二周目だから授業を受けなくても余裕なのだろうが、初見の俺にはやっている内容がさっぱり分からない。このままでは入学早々、授業についていけないという醜態を晒してしまう。
――頼む。早く終わってくれ。
俺は心の中で叫びながら、時計の針と黒板を往復するのであった。
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