第9章~本来の未来、揺れる心~

9-1 本来の相手

 re:九月十九日──


 朝の教室はざわめきに満ちていた。

「最近、地震多くない?」

「昨日の夜も揺れたし、怖いよね」


 友達の会話に笑って頷きながらも、私は胸の奥でぎゅっと息を詰めていた。

 ──これから先に大きな災害が来る。

 それを知っているのは、この教室で、私とイオリ君だけ。


「なあ、一之瀬。昨日の地震、大丈夫だったか?」

 ユウヤがカバンを肩にかけながら声をかける。


「問題ない。想定内だ」

 イオリ君の返事は簡潔で、落ち着いていた。


 その横顔を見て、私は少しだけ胸をなでおろす。

 きっと彼は、私よりずっと先を見ている。未来も、すべて。

 それが安心でもあり、どこか切なさでもあった。


「ねえ美月」

 カレンが小声で振り返った。

「今日も転校生来るんだって!」


「へえ……そうなんだ」

 私は知っていた。でも、言葉にすると心がざわつく。


「はい、みんな注目ー」

 辰巳先生が手を叩き、教室のざわめきを一旦静める。

「今日も転校生がこのクラスに来ることになりました。卒業まであと少しだけど、みんな仲良くするように。じゃあ、入って来て」


 ガラリと扉が開く。


 スラリと背が高く、涼しげな黒髪と穏やかな眼差しをたたえた男子が教卓の前に立つ。

 教室に、ひそやかな熱が走った。


「初めまして。東雲春樹(しののめ はるき)です。中学1年までこの辺に住んでました。よろしくお願いします」


 その丁寧で落ち着いた声に、女子たちがざわつく。


「えっ、またイケメンじゃん……」

「かっこいい!なんか静かにモテそう」


「……ハルキ君」

 やっぱり彼が来た。気づいたら声が漏れていた。


 春樹が笑って、まっすぐ私を見た。

「おう、美月。久しぶりだな、元気そうじゃん」


「えっ美月ちゃん、知り合い?」

 ヒナが目を丸くして尋ねる。


「うん、幼馴染。昔、近所に住んでたの。ずっと前だけど、同じ保育園だったんだ」


 その懐かしい笑顔に、一瞬だけ胸が跳ねた。

 でもすぐに、心の奥がざらりと痛んだ。

 横を見ると──イオリ君の視線が春樹に注がれていた。

 ほんの少し、揺れているように見えた。


 放課後、昇降口。

 靴を履き替えていると、春樹が隣に立った。


「なあ美月、覚えてるか? 川原で釣りしたこと」

「覚えてるよ。ハルキ君、魚触れなくて泣いてたじゃん」

「やめろよ、それまだ根に持ってんのか」


 二人で笑った。

 懐かしさが波のように押し寄せて、胸の奥が温かくなる。

 けれど同時に、それは“過去”の記憶だと痛感する。

 その思い出に触れるたび、今と少しずつズレていく感覚があった。

 この会話も、前の世界線とは違う会話だ。


「俺家は逆の方向だから。じゃあ、また明日な」

 靴ひもを結び終えた春樹が、軽く手を振った。


「うん、また明日ね」

 そう返して笑顔を作る。


 彼の背中を見送ったあと、ふと視線を上げる。

 校門へ向かう人の流れの中に、イオリ君の姿があった。

 少し離れたその背中が、なぜかとても遠く感じた。


 気づいたら、私は小走りで追いかけていた。


「イオリ君!」

 振り返った彼の横顔は、夕陽を受けて柔らかく縁取られていた。


「……一緒に帰るか?」

 短いけれど、確かな言葉。


「うん!」

 息を整えながら頷いた。迷いはなかった。


 帰り道。

 沈みかけた夕陽が、街を橙色に染めていた。


「ハルキ君……懐かしかったな」

 ふと口にすると、胸の奥がわずかに揺れる。


「幼馴染なんだろう」

「うん。でもね……なんか不思議だった。再会したのに、思ってたほど胸がときめかなかった」


 言葉を探すように、私は空を見上げる。

「小さいころは、好きだったんだと思う。でも……今は“思い出の中の彼”になっちゃったのかも」

(…でも、イオリ君が居ない本来の世界線ではどうだったんだろう?)

 そう考えた瞬間、頭の奥でノイズが走った。


【──世界線同化率が上昇しました:82% → 85%】


 息が詰まる。

 なぜ上がったのか、理由ははっきりとはわからない。

 でも、なんとなく──わかってしまった。


 本来の未来に、少しだけ近づいたから。

 その事実を思うと、胸が冷たく締めつけられる。

 ……見たくない。気づきたくない。


 私とイオリ君の時間には、タイムリミットがある。

 なのに、世界は「正しさ」を選ばせようとしている。


「白波さん?」

 イオリ君が心配そうに立ち止まった。


「……ううん、なんでもないよ」

 私は笑ってごまかす。


 本当は泣きそうだった。

 でも、それを見せるわけにはいかない。

 間違いでもいい。この帰り道を、彼と歩いていたい。


【美月の日記9月19日】


 東雲春樹──ハルキ君と久しぶりに話した。

 懐かしくて、笑って、胸がじんわりあったかくなった。

 でも同時に気づいた。

 あれは“過去”の思い出で、今の私はもうそこにはいないんだって。


 校門でイオリ君を追いかけて、一緒に帰った。


 ハルキ君のこと考えてたら、世界線同化率が上がった。

 なんでかは言葉にできないけど……なんとなく分かってしまった。


 きっと世界は、私を「正しい未来」に戻そうとしてる。

 分かってるよ。


 でも…今は、今だけは、イオリ君と一緒に居させてほしい。

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