9-2 私の視線、その先に

 re:九月二十二日 昼休みの教室――


 昼休みの教室は、弁当の匂いと笑い声で溢れていた。

 私はカレンとヒナの机に弁当を広げながら、胸の奥でそっと息を整える。

 ──わかってる。この後、みんなで水族館に行く話になること。──そして、イオリ君に声をかけても、やっぱり来ないこと。

 それでも、この瞬間をなぞるように過ごさなきゃいけない。


「ね、明日さ、祝日だし出かけない?」

 カレンが言うと、ヒナが勢いよく顔を輝かせた。

「行きたい! どこ行く?」


「……水族館はどうかな」

 私は答えを知っているのに、あえて提案する。

 デジャヴみたいに響く自分の声が、少しだけ他人事に聞こえた。


「いいね!」「それ、行こうよ! ユウヤも絶対来るよね!」


 ヒナが購買から戻ってきたユウヤの方をチラリと見る。

 ユウヤはカレンにからかわれて笑いながら、

「お、いいじゃん! 行く行く!」と答えた。


「ハルキ君も、一緒にどう?」

 隣に座る春樹へ視線を向ける。

 彼は頷いて、柔らかく笑う。

「うん。行くよ、美月。楽しそうだし」


 カレンがスマホを取り出し、グループに春樹を招待する。

 画面には「東雲春樹が参加しました」の文字。その流れすら覚えている。


 だけど──一つだけ、諦めきれないことがある。


 私は勇気を振り絞り、わかっている言葉を口にした。

「イオリ君も、一緒にどう?」


 彼は一瞬だけ止まり、振り返る。

 次に告げるのがどんな返事かも、わかっている。

「……悪い。明日は行けない」


 胸が痛む。頭では予想していたのに、心は追いついていない。

「そっか……」自分の声が、少し震えて聞こえた。


 ──だから、この世界線は苦しい。


 水族館 二十三日 午後――


 浜名湖の水族館は、祝日のためか思ったより人が多かった。

 青く光る大水槽の前で、私はカレンやヒナ、ユウヤと肩を寄せ合いながら歓声を上げる。


「わぁ……クラゲ、きれい」

「この魚めっちゃ変な顔してる!」

「ユウヤにめっちゃそっくりじゃん!」


 カレンの言葉にユウヤが「失礼な!」と笑いながら反撃し、カレンがケラケラ笑う。

 隣で笑う声に混ざりながらも、心の奥には別の影があった。──イオリ君は、今どこで何をしているんだろう。


 春樹がスマホを構え、何枚も写真を撮ってくれる。

「ほら、美月、こっち」

 差し出された声に振り向くと、シャッターの音が軽やかに響いた。


 ──けれど、私はそのたび青い光の向こうに別の人の横顔を探してしまう。


 モール・ゲームセンター


 水族館のあとは、街のショッピングモールへ移動した。

 休日のゲームセンターは眩しいネオンと電子音で溢れ、みんなの笑い声が絶えなかった。


「わ、クレーンゲーム全然取れない!」

 カレンが叫ぶ横で、ヒナが必死にボタンを連打する。

「ちょっと! 今いいとこだったのにー!」

 ユウヤが横から「それ下手すぎ!」と茶化し、ヒナがムキになって反論する。


 私は笑いながらも、輪の中で少しだけ取り残されている気がした。


「美月、なんか取ってやるよ。欲しいのある?」

「え、いいよそんなの」


「ほら、これとか」

 大きなぬいぐるみに挑戦する春樹。真剣な横顔に、少し胸が揺れる。


 でも、機械がカチャンと外した瞬間に浮かんだのは春樹の顔ではなく──イオリ君の顔だった。

 きっと無表情で「そんなもの必要か?」とか言いながらも、最後にはちゃんと取ってくれる。そんな姿。


「あちゃー、めっちゃ惜しかったじゃん!」

 ユウヤが笑いながら肩を叩くと、春樹は苦笑いで「次は取るよ」と返す。


 プリクラを撮ることになり、みんなで無理やりブースに詰め込まれる。

「美月、こっち!」と春樹が手を引いた。

 ユウヤが「オレも写せよ!」と騒ぎ、ヒナとカレンが笑い崩れる。


 笑顔を作ったけど、シャッターの瞬間に浮かんだのは別の人の横顔だった。

 ゲームセンターの喧騒の中で、私はそっと胸の内を押さえる。──どうして、こんなに苦しくなるんだろう。


【美月の日記 9月23日】


 今日、みんなで水族館に行った。

 カレン、ヒナ、ユウヤ、ハルキ君と一緒に。

 魚やクラゲがきれいで、たくさん笑った。

 ハルキ君が写真を撮ってくれて、ユウヤが、ふざけたりして、楽しかったはずなのに。


 でも、心のどこかでずっとイオリ君を探していた。

 水槽の青い光の中でも、ゲームセンターの騒がしい中でも、頭に浮かぶのは彼の顔だった。


 ハルキ君は優しかった。

 ゲームセンターでぬいぐるみに挑戦してくれて、気を遣ってくれた。

 でも結局取れなくて、笑いあった瞬間も、どこかでイオリ君だったらどうかなと思ってしまう。


 ──あーあ、私ってやっぱりイヤな女かも…。

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