第37話 初めまして、また会ったね

 それからしばらくして、芙蓉も一蒼の病室に姿を現した。刑事の鬼木も一緒だったが、二人に気を遣ってくれたのか、同じく気を遣ってくれた堅司と共に離席し、大人同士、外で今後のことなどを話し合っている。一蒼はまだ目覚めたばかりだし、鬼木も元々今日は挨拶程度で、詳しい聞き取りは後日にする予定だ。


「また会ったわね。それとも初めましてと言うべきなのかしら」

「お得感があるし、両方でいいんじゃない? というわけで、初めまして、折口芙蓉さん。また会ったね」

「きっと人生の中で、二度とはない挨拶でしょうね。初めまして、曲木一蒼。また会ったわね」


 認識的には再会でも、物理的にはある意味これが初対面。奇妙な感覚ではあったが、一度口を開けば、すぐに元の距離感へと戻ることが出来た。


「調子はどう?」


「体は痛いし涙が出そうだけど、今はその感覚さえも愛おしいよ。幽霊の時は痛がることも、涙を流すことも出来なかったから」


「その感覚ももちろん大事だけど、もっと楽しいことでも生を実感しなさい。生きているから、また美味しいものが食べられるとか。追いかけていたアニメやドラマの続きが見られるとか。こんなに美人で優しい女の子がお見舞いにきてくれたこととか」


「そうだね。折口さんがこうしてお見舞いに来てくれた。これほど嬉しいことはないよ」

「そこは、『自分で言うのか』ってツッコミ入れてよ。逆に恥ずかしいじゃない」

「ツッコミを入れる理由は見当たらないよ。折口さんは優しくて美人だ」

「な、何言っているのよ」


 途端に芙蓉は赤面し、落ち着きなくその場を行ったり来たりした。からかったつもりが、まさかそんな風に返されるなんて。恥ずかしいだけで、嫌ではないけれど。


「何はともあれ、それだけ話せる元気があれば大丈夫そうね」


 さっきのは少し恥ずかしかったけど、こうやって話せるのも一蒼が生きていてくれたからこそだ。一蒼がもし死んでしまっていたら、今頃どんな感情を抱えていたか。想像するだけでも恐ろしい。一緒に行動していたのはたった二日間だけど、人生で最も濃い二日間だったと芙蓉は感じている。


「事件のこと。父さんから少しだけ聞いたよ……白羽さんのことも」


 自分を殺そうとしてきた相手とはいえ、白羽は一蒼が特別な感情を抱いていた相手でもある。殺されかけた時の記憶を思い出したことで、気持ちにケリはつけていただろうが、白羽が亡くなったと聞きされたら、また話は別だ。終わったことだと、そう簡単に割り切ることはできない。


「気にするななんて、軽々しくは言えないけど、病み上がりなんだし、今は事件のことはあまり考えずに、ゆっくり休んだ方がいい。事件はもう私たちの手を離れた。後は警察の捜査を待ちましょう」


 そう言って芙蓉が優しく一蒼の肩に触れると、一蒼は無言ながらも小さく頷いた。あれだけ劇的な体験をしたのだ。今の一蒼に必要なのは休息だ。


「折口さんこそ大丈夫かい? 何だか顔色が悪く見えるけど」

「……馬鹿、自分の心配だけしてなさいよ」


 幽霊の時からそうだったが、一蒼という人は鋭くて、それでいて優しい。全身傷だらけで、白羽の件で心境的にも辛いはずなのに、こんな時でも自分のことより、芙蓉のことを心配してくれている。


「今日、鬼木さんに付き添ってもらって、学生寮に行ってきたの。そこで、あの日の希乃の記憶を全て思い出してきた。今は少し落ち着いたけど、流石に消耗しちゃってね」

「頑張ったね」

「だから……自分の心配だけしてなさいよ……」


 もう一蒼の前では泣かないと決めていたのに、自然と涙が流れてきてしまった。鬼木に介抱された時は泣かなかったのに、一蒼に「頑張ったね」と言われた瞬間、何だかとても安心して、一気に緊張の糸が切れてしまった。


「だって僕は、誰よりも近くで、折口さんが前世の記憶と向き合う姿を見ていたから。労いの言葉ぐらいかけたくなるよ」

「もう。一蒼を励ましに来たのに、何で私が励まされてるのよ」

「いいじゃない。入院患者が見舞客を励ますことがあったて」

「それはそうかもしれないけど」


 言い合っているうちに、お互いに自然と笑みが零れていく。

 生きていて良かった。生きていてくれて良かった。お互いに今この瞬間がとても尊かった。


 ※※※


「曲木くんの意識が戻って良かったよ」

「はい。命に別状はないと聞いてはいたけど、意識が戻るまではやっぱり不安で。だけど顔を合わせたらいつもの一蒼で、ようやく安心しました」


 一蒼との面会を終えた芙蓉は、病院の駐車場に止められた、鬼木の車に乗り込んだ。赫美山の旧学生寮で希乃の記憶を思い出した後、鬼木に自宅まで送ってもらう途中で、一蒼の意識が戻ったとの連絡を受け、急遽二人で病院へと向かった次第だった。


「折口さんも少し顔色が良くなったね」

「そうですか?」


 芙蓉はとぼけて見せたが、刑事の目にはそれは、あからさまな変化に見えた。一蒼に会えたことはどうやら、芙蓉自身のリフレッシュにも繋がったようだ。香坂希乃が殺害された時の記憶を思い出した直後の怯え様は、見ていて痛々しかったが、今の芙蓉の様子を見て、鬼木も胸をなでおろした。


「とはいえ、今日は相当疲れただろう。帰ったらゆっくり休むといい」


 鬼木が病院から車を発進させる。このまま芙蓉を自宅まで送り届けてから、警察署に戻る予定だ。戻り次第、弓形白羽に子供がいたのかどうかを調べなくてはいけない。


「そうですね。帰ったらゆっくりシャワーでも浴び――」


 言いかけて、芙蓉の視線はしばらく窓の外に向いていた。


「どうかしたのかい?」

「いえ、知ってる人が病院に入っていくのが見えたので」


 外来受付は終わっているので、誰かのお見舞いにでもきたのだろう。芙蓉もそこまで気にとめなかった。


 ※※※


「本当に帰ってもいいのか?」

「この通り、僕の意識も戻ったんだし、父さんもゆっくり休んだ方が良い。日本に戻ってから、ずっと病院で僕に付きっきりだったんだろう。父さんまで倒れたら、それこそ大変だよ」


 芙蓉と鬼木が帰ってから間もなく、一蒼は自分はもう大丈夫だからと、父の堅司も一度家に帰らせようとしていた。息子が事件に巻き込まれたと連絡を受け、海外から長時間飛行機に揺られていた時間は、生きた心地がしなかっただろう。日本に到着し、病院に直行してからも、椅子の上で一、二時間仮眠しただけだそうだし、体力的、精神的にかなり疲労しているはずだ。


 一蒼は傷だらけの自分よりもむしろ、堅司の方が心配だった。昔から健康的だし、年中海外を飛び回っているタフな父親だが、流石にもう若くはないのだから。


「……そうだな。ずっと気を張っていたが、少し肩の力が抜けたよ。お言葉に甘えて家で休ませてもらうとする」


 そう言って堅司は軽く目元を揉んだ後、肩や首を回して、コキコキと音を鳴らしていた。


「そうだ。事件前に作り置きしていたカレーがあるんだけど、流石にもう駄目だろうから、処分しておいてもらえると助かる。パックご飯と、冷凍食品ぐらいは残ってたはずだから、好きに食べて」

「了解だ。しっかり自炊もしてみたいで感心感心」


 状況的に、どうしたって事件や体調の話題が中心にはなってしまったが、最後に久しぶりに親子らしく、家庭の話が出来たような気がする。日常の気配を感じられて、お互いに何だかホッとした。


「それじゃあ、また明日来るよ。一蒼もゆっくり休めよ」

「父さんこそ、久しぶりの我が家だ。ゆっくり休みなよ」


 笑顔で手を振ると、堅司は一蒼の病室を後にした。


「……静かになったな」


 堅司の去った病室は、一気に数倍は広くなったように感じられた。静かだが、孤独は感じない。病院には他にもたくさん人がいるし、廊下の方から話し声や、看護師が行き交う足音はしっかりと感じられる。幽霊として土地に縛られ、深夜の学校に一人取り残された孤独な夜に比べたら、まったく寂しくはない。


 まだ体の自由は上手くきかないので、読書で時間を潰すことも出来ない。スマートホンは隠蔽を図った安土に処分されてしまったそうで、今はそもそも手元にない。堅司や芙蓉の言う通り、今はとにかく体を休めるべきだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る