エリカの咲く島で

Chocola

第1話

 この世界にひとつだけ、誰も近づけない島がある。

 静かな海に浮かぶその小島には、ひとりの少女が住んでいた。


 名前はリリス。

 魔力の暴走によって自らの周囲を強固な結界で覆い、他者を寄せつけない少女。

 結界は彼女の意思とは無関係に作用し、生き物を拒絶する。

 人も獣も、この島にたどり着くことはできない。

 けれど、例外はいた。


 一人は、母のリアナ。

 一人は、その双子の妹、リーシャ。

 そしてもう一人は、時を渡る吸血鬼の少女――ココ。


 リリスは孤独の中で生きていた。

 けれどそれを「寂しい」とは思っていない。

 何もないこの島で、自分にできることがあるのだ。

 それが、「見ること」。

 世界に散らばる空間の歪みを見つめ、位置を把握し、異常を感知する。

 彼女の視界には、現実の裏側にある線が見える。

 世界のバランスが崩れかけている箇所が、光のひずみとして浮かび上がるのだ。


 その日も、リリスは畑の中で空を見上げていた。

 空間の歪みがひとつ、ゆっくりと揺れている。

 放っておけば、大きな崩壊につながる。


 「ココ……お願い」


 そのつぶやきに応えるように、空に銀色の裂け目が走った。

 時の向こう側から、黒い外套の少女が姿を現す。


 ――ココ。

 時渡りの吸血鬼。

 リリスにとって、数少ない来訪者のひとり。

 そして、彼女の母リアナを“姉”のように慕う存在でもあった。


 「来たよ、リリス。今日の歪みは……ちょっと大きいね」


 ココは空を見上げ、袖の内から銀糸を取り出す。

 軽やかに浮かび上がると、両手を使ってその糸を空間の裂け目に通していく。

 それは縫うというより、“綴じる”作業だった。

 まるで、壊れた世界のページを閉じ直すかのように。


 リリスはただ黙って、それを見つめていた。

 彼女にできるのは、あくまで“見極め”まで。

 修復は、ココの役目だ。


 ココはリアナを今も慕っている。

 強くて、やさしくて、でもときどき無理をしてしまうリアナ。

 今も顔を合わせれば、昔と変わらず微笑んでくれる。

 その娘であるリリスを、ココは自然と気にかけていた。

 血のつながりはなくても、彼女にとっては“家族”のような存在なのだ。


 「……できたよ」


 ココが糸を結び終えると、空の歪みは音もなく消えていった。

 ほんのわずかに風が吹き、草葉が揺れる。


 「ありがとう、ココ。助かった」


 リリスは畑の隅に置かれたかごを指さした。


 「今日の分。持っていって」


 中には、色とりどりの野菜が詰まっている。

 じゃがいも、にんじん、トマト、ズッキーニ……小さな畑で採れたものばかりだ。

 魔力の影響で、作物の育ちは異様に良い。

 だが、肉も魚もなく、リリスは動物を殺すことができない。

 結果、食べきれない野菜だけがどんどん増えていく。


 「こんなにあって、困らない?」


 「ううん。持っていってくれるほうが助かる。収納庫に入れれば腐らないけど……溜まっていくの、ちょっと怖いから」


 リリスはそう言って、少しだけ肩をすくめた。

 ココは苦笑して、かごを手に取る。


 「いつもありがとう。……あ、そうだ」


 ふと、リリスが指さした先には、小さな紫の花が咲いていた。


 「エリカ。咲いたの」


 「へえ……かわいいね。花言葉、なんだったっけ?」


 「“孤独”……でも、それだけじゃない」


 リリスはしゃがみこみ、花をひとつ摘んでココに手渡した。


 「“あなたを想っています”。……そういう意味も、あるんだって」


 ココは受け取った花を胸元にそっとしまう。

 そして、少しだけ目を細めて微笑んだ。


 「ありがとう。大事にする」


 空は澄んでいて、もうどこにも歪みはなかった。

 今日は、これで終わりだ。


 「また来るね。……歪みがなくても、来ていい?」


 リリスは少しだけ驚いた顔をした。

 けれど、すぐに、ほんの小さくうなずいた。


 「うん。来て」


 それはきっと、彼女なりの“歓迎”の言葉だった。


 風が吹く。

 草木が揺れ、エリカの花がわずかに揺れた。


 その静かな島に、ひとつだけ、ぬくもりが残っていた。

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