あのころ

 敷地を取り囲む石造りの塀。そのすぐ内側に木々が並び、庭園があり、屋敷がある。


 小さいころに聞かされた偉大な魔女の童話がある。人里離れた鬱蒼とした森の中――そこに寂れた屋敷があって、魔女が大釜を使い秘薬を作っているという。そこで作られた秘薬は、万物の病に効果があり、多くの人々を救ったそうだ。


 四歳の僕はその話を純粋に受け取り、敷地内のあの木々の立ち並ぶどこかに、件の魔女がいると信じ切っていた。暇を見つけては魔女の住処を探したものだ。幼い子供にとって、それは随分な労力が必要だったように思う。しかし魔女と友達になりたいと強く願っていた僕は、期待に胸を躍らせ、その日を待ちわびていた。だからこそ、そこに魔女も住処もないと知ったときの落胆は計り知れない。


「どうして魔女はそこにいないのだろう」と僕は考えた。


 創作物であるから、と野暮を言ってはいけない。


 こちとら純真無垢な四歳児だったのだ。


 そんな夢のない答えは求めていない。


 この世の全ては奇跡で満ち満ちており、どこを見やっても不思議でいっぱいだった。箒に跨れば空を飛べるのも、杖を振ればカエルがどこからともなくゲコり出てくるのも。その全てが不思議でオモシロかった。


 四歳児の聡明な頭脳は遍く万物の理を超え、その魔法的才能は天壌の神々の社を突き抜け、暗幕に散らばる星々の瞬きに達した。その先に進まんとしたところで、「どうして魔女はそこにいないのだろう」という不可思議な状況の解を得た。


 つまり「魔女の屋敷がないから、魔女がいない」のである。鳥籠を設置したらそこに鳥が来るように、しかるべき場所に屋敷を作ってやれば、自ずと魔女が住処に使ってくれるはずだ。


 そうとなれば、やることは一つだ。


 想像力を働かせ魔女の屋敷を紙面に起こし、材料を集めてあの木々の中に建設するのだ。


 頭の中では物の数分で出来上がった屋敷も、現実に完成するまでには多少の難航を見せた。


 デザイン能力の欠如と、資金難がそれにあたる。


 僕は自分のことを才気溢れるお子様だと認識していたが、紙に描いたものは“お絵描き”の範疇を出なかった。また資金に関しても、公爵家の潤沢な懐を頼りにしていたが、両親が珍しく難色を示したのだ。


 いきなり暗礁に乗りかかった”魔女友達計画”。しかし不倶戴天の覚悟を抱いていた僕は、目の前の問題に背を向けて強硬策に出た。


 屋敷なんぞ見本になるものが身近にあるのに、どうして新たなデザインが必要だろう。それに公爵家からの援助を当てにしなくとも、材料ならそこかしこにあるではないか。


 そう自分を納得させ、自室の窓から箒に跨り一飛び。生い茂る木々の中央に降り立った。ローブの内ポケットから杖――約八インチ、持ち手から先端にかけて先細りのオーク材――を取り出す。


 意識を集中し、魔力を杖の方に集める。


 杖を一振りすると、淡い青い光が一本の木に当たり、それが拡散して周囲の木々に伸びていく。  


 もう一振りすると、地響きと共に大量の木が地面から抜けた。


 さらに一振りすると、空中に浮いた木々が適当な大きさに裁断される。


 空いている方の手に魔力を集め、横に払うと、デコボコに荒れた地面が瞬時に整地された。


 そして最後にもう一度、杖を振った。すると、空中に浮いていた木材が意志を持ったように動き出し、整然と並び、瞬く間に“屋敷“が完成した。


 といっても、実際は“屋敷”とは到底言えない代物で、少しばかり上等なあばら屋といった様相だった。


 それでもあの日の僕にとって、この“屋敷”は完璧だった。地響きに驚いて飛んできた母さんに叱られたが、それ以上の価値がこれにはあった。


 僕が成長するにつれ、この“屋敷”は魔法の実験場としての側面が大きくなっていった。


 それを見越していたのか、魔女がここに棲み付くことはなかった。


 きっと遠慮したのだろう。


 あるいはウェルカムボードを掲げていないのが悪かったか。


 ……試してみる価値はありそうだ。

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