第2話 ハンス少年

前世の記憶を取り戻したハンスのやるべき事は決まっていた。


再び、空を飛べるパイロットになることであった。


であれば、確認するべきことがある。


ハンスは養護教諭に尋ねた。


「シュレーダー君、カーテンを落下傘に見立てて飛んだ事についてはご両親に報告しますけど、いいですね?」

「ええ、わかっています先生……ただ、一つ聞きたいことがあるんですが……」

「なんです?」

「この国って……空軍ってありますよね?」

「……勿論です、空を護っている人達がいるからこそ、こうして学校で授業を受けることが出来るんですよ?その事を忘れないでくださいね?」


科学文明ではなく魔法文明が栄えているこの世界でも、空軍は存在しているという情報を掴んだ。


(ふむ……この元の身体の持ち主であるハンス少年は空に憧れを抱いていたようだな……それは私にも分かる。落下傘という言葉が使われるようになったのも航空機技術が発展した1920年代……つまり、この世界にもそれに相当する技術があるという事だ。これは僥倖かもしれん……)


国家があれば、当然ながら軍隊も存在する。

陸海軍は古き時代からあったが、20世紀になって新設された空軍の分野は日々進化していた。


新しい軍隊だけに、空軍の戦闘機や爆撃機の進歩を目の当たりにしてきた当事者として、期待しているのだ。


何せハンスの前世において訓練生時代に複葉機に乗り、それからドイツ空軍の急降下爆撃機「Ju87スツーカ」と戦闘機「Fw190ヴュルガー」を搭乗したこともあるため、双方の機体に実際に搭乗してその感覚の違いなどを肌身で実感している。


特に空軍に関しては複葉機が世界で初めて実戦投入されてから15年程度で複葉機から単発機になり、加速度的に戦闘機に搭載されるエンジンも高性能化が進んだ。


大戦末期にはジェットエンジンを搭載した世界初のジェット戦闘機「Me262シュヴァルベ 」が登場し、当時のアドルフ・ヒトラー総統にジェット戦闘機をうまく活用するようにアドバイスをしたという逸話が残されている。


ただ、高性能戦闘機が登場していても物量で勝る連合軍に勝てることは出来なかった。


ハンスはドイツ降伏後に、ソ連ではなくアメリカ・イギリスを主力とする連合軍に降伏する道を選んだ。


ソ連軍相手にスツーカを乗り回して暴れまわっていただけに、ソ連軍に降伏すれば何をされるか分からないからだ。


あの時の悔しさは未だに彼の心の中で忘れることができない。


(しかしカーテンを落下傘に見立てて降下とはな……まるで小さい頃の私だな……)


カーテンを落下傘に見立てて落ちるという話も、彼自身が幼年期にパラシュート降下に憧れて実際にやらかした事例でもあるので、ハンスは今回の事案に関して幼い頃の自分にそっくりだと内心苦笑いしていた。


あの時は自宅の二階から落下したのだが、今回はその倍の階層から飛び降りるという事をしでかしたのだ。


当然ながら両親も怒っているだろうなと感じていた。


その予感は数分後に的中する。


「……ハンス!一体何をやっているんだ!」

「ハンス!大丈夫?怪我はない?」


間もなく両親が血相を変えて保健室にやってきた。


母親はアタフタしており、父親は顔を真っ赤にして激怒していた。


ハンスが4階の教室からカーテンを落下傘に見立てて飛び降りるという事に対して、かなり問い詰めたのだ。


「なんでこんなことをしたんだ!」

「……空に憧れているからです。自分で一度実践してみないと気が済まなかったといえばいいでしょうか……」

「ハンス……今回は怪我が無かったから良かったものの、もし他の人に怪我をしたらどうする気だったのだ!」

「すみません……一時の感情に身を任せて行動を起こした事に対して、後で同級生や先生方、それに校長先生にも謝っておきます」


ハンスは言い訳をせずに素直に謝った。


流石に4階から飛び降りた事に対しては全面的に非がある。


もし下に人がいたらその人に大怪我を負わせていたかもしれない。


戦時ならいざ知らず、平時では迂闊な行為であったと感じた。


その後、個室に呼び出されて担任の先生と教頭、両親との間で緊急面談を行うことになった。


学校の4階から飛び降りた件についてハンス自身が説明を行い、同級生や先生方、そして両親に多大な迷惑を掛けた旨を謝り、今後同じ事を二度としない旨を誓った。


両親にも謝ってその場を収めた。


学校側も厳重注意処分としてこれ以上の処分を下す事は無かった。


しかし、ハンスの内心では今後について考えていた。


無意識のうちにハンス少年の人格を乗っ取ったのか、もしくは元の人格と融合したのかは本人にも分からないからだ。


(いくら元の少年の精神に呼びかけをしても返答がない……人格が戻らないのであれば、私が動くしかないだろう……であれば、彼のやりたかった事と私がやりたい事を比べた上で、納得出来る形にしよう……そうすればいつかは戻る日が来るだろう)


ハンスはそう内心で語り、その日は帰宅してから部屋に籠ってこの世界の知識について詳しく知る必要があるため、基礎から学ぶことにした。


なにせ科学技術を基にした文明で生きてきたために、魔法技術に対して何にも知識がないのだ。


この世界では西暦の代わりとなる「聖明暦」という暦が使われており、今年は聖明暦936年であるという事。


そして4月5日である事が分かった。


幸いにも、明日と明後日は祝日で学校が休みである。


そして、ハンスの年齢がまだ12歳である事……。


初等学部の5年生ということもあって、1年生から4年生の時の教科書なども自室に残っていたのだ。


(数学や科学等であればまだ分かるが、魔法に関しては分からない事だらけだ……一夜漬けではないが、4年生分の魔法に関する知識を身に着けて、まずは同級生たちの学力に遅れないようにしよう……)


そのため貴重な休日を含めた三日間を通じて、元のハンス少年の意識と知識が馴染むように、ひたすらにこの世界の基礎と社会知識、それから魔法知識を徹底的に学んで、身に着けたのであった。

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