4-5 写真

 ユキは暫くの間、じっと何かを考えるように一点を見つめていた。

 その目は、部室の棚に置かれた写真立て――四三樹市の秋の屋台イベントで身内用に撮った写真に向けられていた。去年のものである。

 一年生の頃の蓮と初穂、それに今は卒業した一つ上の先輩たちが、屋台のじゃがバターを食べながら笑っている。そんな秋の1シーンを撮った写真だった。


 ユキは小さく息をついた。

 「ひとまず、舞ったあとの事を考えるのは、後でだ。そもそも衣が見つからなかったんじゃ、龍を鎮められない。それじゃ意味がない」

ユキに目を向けられ、初穂が立ち上がった。テーブルの一角に置かれた銀色のバットの中に浸っていた紙を、ピンセットで慎重に摘み上げ、タオルの上に置く。

「カビの除去、成功しました」

初穂が言った。


 確かに、灰色の斑点が残っているものの、文字は判別できるようになっていた。


 蓮が読み上げる。

 「最後の衣は、生徒玄関、トロフィーの下……トロフィー?」

毎日通る生徒玄関。そんなところに、桐の箱があっただろうか――

「あっ」

京平が声をあげた。

「トロフィーが置いてあった、白い台座——あれ、もしかして箱だったのか!?」


***


 生徒玄関。

 放課後で人気のない玄関には、外の強い雨の音が太鼓のように響いている。

 蓮たちは、トロフィーが飾ってある飾り棚の前で、その中身を確認した。


 しかし。

 「あ、あれ?」

そこに桐の箱は無かった。

「え? この前まであったよね」

「ああ、そのはずだが」


 「探してるのはこれですか」


 声が聞こえ、振り返る。

 そこに立っていたのは――蓮たちの担任の、舟木だった。いつものダルそうな顔をしながら、桐の箱を片手に持っている。

「せ、先生……!?」

「そう驚いた顔しなくてもいいでしょう。中の衣が無事かどうか、確認してただけですよ。足立さんってば、こんなところに杜撰に保管して、もう」

「中の、衣……?」


 舟木は、首の骨をぽきぽきと鳴らしながら言った。

「君たちが探している、『イナの舞』のための道具でしょう、この衣」


 電撃を流されたような驚き。誰も何も言えず、固まる中。


 「え? 嘘」

亜弥羽が、甲高い声をあげる。

「ユウくん!?」

舟木は、はぁと深いため息をついた。

「……その呼び方は、やめてください」


***


 「え、えぇっ!? どうして舟木先生は、イナの舞の事を知ってるんですか」

「……」

舟木は、眉間の皺を倍以上に深くして、言った。

「元々、この高校に通っていた頃、そちらの入江さんと」

「やだよユウくん亜弥羽って呼んでよ」

「……亜弥羽さんと、そしてもう一人の同級生のナツと共に、俺達は地域のオカルトな事件について調べる部活に入っていました」

舟木は、浅黒い手で顔を拭った。

「で、俺はまあ……大学に行ってからも、趣味で鳴衣主神社や龍の伝承、民話なんかも調べてました。とはいえ、この大雨とイナの伝承について思い出したのは、つい最近ですが」

「つい最近?」

舟木の銀縁の眼鏡がきらりと光る。

「君たちが、体育館の倉庫を物色している時ですよ」

「あ、あはは……」

「それでふと、近頃校舎内の祠が何者かに壊されたという悪戯……あれが悪戯でないこと、そこからひじり山での落雷事故、江崎町での不審な音についても知りました。それで、合点したんです。君たちが何をしているか、ということをね」


 「えぇーでもさぁ!」

亜弥羽が口を尖らせる。

「だったら、ウチに声かけてくれてもよくない!? 久しぶりの再会じゃん!」

「……」

舟木は亜弥羽からスッと目線を外すと、ユキに向き直った。

「色々調べているようですが。『折原記』は、読みましたか?」

「え? えっと、知らないです」

「分かりました。……ここで立ち話も何ですから、写真部の部室にお邪魔してもいいですか」

「は、はい」

「ねぇちょっとユウくん!」

「声をかけなかったのは、たまたまです」

舟木は心底ダルそうな顔で、それだけ告げた。


***


 部室の中はいよいよもって、座る場所が無くなっていた。それぞれ、尻を押し込むようにしてどうにか居場所を作る。葵ですらも、段ボールをパズルのように動かして亜弥羽と舟木が座る場所を確保してやっていた。


 舟木は職員室から持ってきた一冊の本を、皆に見えるように掲げて見せた。

「それは?」

「『折原記』……努武さんより前に、イナの事について研究されていたであろう唯一の本です。その道では有名な民俗学の教授の本ですよ。ただ、あまりにも神話じみているので、おとぎ話の一説として読むべきモノですが。……大学時代の知り合いが古本屋をやっていましてね、そのツテで手に入れました」


 舟木は本に書いてある事を要約して伝えた。


 「まず、今から900年ほど前。この土地にあった村の少年が『龍』となった」

「りゅ、龍になった!?」

「比喩表現、と思いたいところですが。要するに、村に事件があったということです」

「事件?」

「端的に言うと、村に雨を呼ぶための生贄にされたということです。ただあまりにも物語としての抽象が強いですが……本来は、その少年の兄が生贄に選ばれていたのにも関わらず、母親が兄を村から逃がし、弟を生贄とした。生きたまま八つ裂きとも、刻んだ遺体を七つの祠に分けたとも……まあ、それはいいでしょう」

舟木はあくまで冷静に語る。

「いずれにしろ、少年は龍となった。この土地に伝わるおとぎ話の起点です」

ごろ、と。窓の外で雷が白い光を走らせた。


 舟木の話は続く。


 それから数百年が経ち、イナという娘がこの土地に生まれる。

 イナは村の長の弟家族の娘だった。

 活発な女の子で、歌を歌うことが好きだった。そして、不思議なものを見る力を持っていた。というのも、イナの母がイナを身ごもっていた時、突如山の中で産気づき、仙人から産湯を借りたからである、と言われている。


 だがイナが成長した折、村人が「龍の寝床」を荒らした。すると龍は怒り、村に二百日の雨を降らすと宣言し、実際に村に雨が降り始めた。


 「龍の寝床……?」

「教授はこれを、起点となった事件で少年が生贄とされた処刑場ではないかと解釈しています」

「処刑場……」

「そしてイナは龍の言葉を聞き、その『龍の寝床』を大事にすることを誓い、龍を慰める舞を踊り、怒りを鎮めた」


 ユキが顔をあげる。

「もしかしてその『龍の寝床』が、鳴衣主神社や吾垂学校がある、この一帯ってことですか」

舟木は無言で頷いた。


***


 「なるほどなぁ」

うぅん、と伸びをし、葵が言った。

「とはいえ、無かったね。……四つ目の道具の手がかり」

ユキは首を振り、舟木から受け取った桐の箱を手元へと引き寄せた。

「とにかく三つ目までは揃えられた。それが大事さ」

そう言って、ぱかりと箱の蓋を開ける。


 中には、薄い紙にくるまれた包みがあった。ユキが紙に指をかけ、包みを開く。それは、色こそくすんでいるものの、赤い生地に金色の金魚の装飾が施された着物だった。


 「あれっ?」

ユキが、とぼけた声をあげた。

「どうしたのさ」

「他にも何か入ってる」


 それは、着物の下に置かれていた。白い封筒だった。

「なんだろう、これ……もう、ヒントなんて無いはずなのに」

ユキは白い封筒を手に取った。桐の箱の古めかしさにはそぐわない質感の、現代的なデザインの事務用封筒だった。

 手紙には封はなく、あっさりと開く。


 「写真だ」

封筒の中に中に入っていたのは、1枚の写真だった。それ以外は何も入っていなかった。


 古い写真だった。

 体育大会の様子を写している。白い帽子を被った少年二人が、舌を突き出し、カメラを睨みつけながら、それでもどこか楽しそうに肩を組んでいた。


「……これって……」

ユキは呟きながら、写真をひっくり返した。裏面には、これまで箱の中に忍ばされたヒントと同じ達筆で、こう書いてあった。


『実家の片づけをしたら、こんな写真が残っていた。今まで、申し訳なかった。 足立 啓』


 「!」

その場の誰もが、その文章、そして写真の意味するところを察し、小さく息を呑む。


 蓮が言った。

「これって、ユキ先輩が言ってた……足立先生が努武さんに意地悪をするきっかけになった、徒競走の写真……ですかね」

「そう、みたいだな」

ユキは頷くと、写真を丁寧に封筒にしまった。

「年月を経て、いつしか和解をしたいと思っていた。でも、きっかけがなかった。長年のわだかまりのせいで、素直に謝れなかったんだろう。きっと足立先生はそんなタイミングで――土岐さんが、イナの道具を手放そうとしていることを知ったんだ」

ユキの言葉を聞いて、葵がぼそりと言った。


 「足立先生は、努武さんにこれを渡したくて宝探しをけしかけたんだな」



<続>

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