4-6 龍に焦がれて

 蓮が言った。

「あの、ユキさん。……舞は、いつ行うんですか?」

蓮からのおずおずといった問いに、ユキは当たり前というように答える。

「今日の夕方で、5個目の祠が壊れる。だから、舞は早急に行わなきゃいけない。とはいえ」

ユキは苦笑する。

「舞の代償のハナシを聞いた後じゃ、流石に今すぐ、って気持ちはないかな。アタシにも一応——勿論事情は言わないけど、家族と話とかしたいし」

「ユキちゃん」

亜弥羽が立ち上がり何かを言いかけたが、ユキと目が合うと何も言えなかった。無言で座り、顔を覆う。


 初穂が言った。

「もう少し、四つ目の道具に関しての手がかりを探すことはどうですか」

「とはいえ、亜弥羽ちゃんとの約束もあるからね」

ユキが目を向けた先、亜弥羽は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに深く頷いた。ユキは、肩に垂れた長い黒髪を指で梳いた。

「一番いいのは、明日の午後に舞を完遂して、そしてそれで雨が無事止む事なんだ。……アハハ、もっといいのはそれで、アタシの身に何も起きない事なんだけど」

「ユキさん……」

「まあ、元々神頼みみたいなハナシなんだ。願ってみようよ、馬谷家の手記が間違いだとか、何かの手違いで龍に浚われないとか、そういう奇跡をさ」

ユキはそう言って笑った。蓮は下を向く。


 このままでいいのだろうか。

 或いは、俺は――ユキ先輩と同じ立場だったとして、こんな決断をできるだろうか。


 ふと改めて、目の前の桐の箱に目が止まる。蓮はぽかんと口を開けた。

 あれ、と思う。

 この赤い着物、そして金魚の刺繍。これは、夢の中のお姉さんの着物に似て――


 ユキが、ぱんっと手を叩いた。静まり返った部室に、その音は強すぎるほどに響いた。

「明日の正午、舞を実行しよう」

ユキは強くそう言い切ると、

「さあ、帰るぞ君たち。外はもう暗いんだから」

そう言って鞄を持つと、率先して部室のドアをがらりと開けた。


 部室棟の入口へと続く廊下を歩きながら、葵が重い口を開く。

「ユッキィさ、何も変わらないよね?」

「アタシが? どうかな。アタシはアタシのままだし。ああ、それに龍に連れ去られそうになっても、抵抗して踏みとどまれるかも」

そんな軽口を叩き、ふふんと笑うユキ。そんなユキに、前を歩く葵は言った。

「ねぇユッキィさぁ、ちゃんと寝てる?」

「もう、葵は何回それ聞くの。寝てるって言ってるじゃん」

だが蓮は。そう言って笑うユキの顔に、明らかな疲れと、緩ませることができない緊張が見える事を、黙っていた。


 1階へ続く踊り場に差し掛かる。ユキはくるりと振り返り、部員全員に向かって笑いかけた。

「みんな、心配してくれてありがと。でも、アタシは大丈夫」


 その時。

 白い稲妻が、窓の外をびかりと照らした。薄暗かった廊下が一瞬で白く照らされ、神殿の回廊に似る。地面が揺れるような雷の轟音。


 「うわっ」


 目が眩む。

 耳を塞いでも地鳴りのような凄まじい音は続く。それは、雷と言うよりは、まるで巨大な生き物の咆哮——


 びりびりと続く地鳴りの中、蓮はうっすらと目を開けた。

「え?」


 先頭を歩いていたユキの目が、ある一点に捕らわれていた。

 その顔は、灰色の踊り場に白く切り取られた窓――空を貫く雷に、或いは轟く咆哮に魅入られたように、呆けている。

 小さい子どもが、ずっと探していた宝物でも見つけたかのように。ユキの白い腕が、細い指が、窓に向けて伸びる。


 「ユキ先輩?」

びり、と嫌な気配が蓮の全身を伝う。雷の音が異形の声となり、耳の奥に響く。


―—遊ばないか。

「え?」

蓮は周囲を振り返る。だが誰も、聞こえている様子は無い。ぴたり。京平と目が合う。だが京平は驚いた顔のまま、何も言わない。


―—遊ばないか。

「なに、この声」

蓮が呟いた時。


 再び、白い稲妻が暗い空に走った。


 ユキは躊躇いなく、足を踏み出した。、大きく一歩。

 だがそこには、

「先輩!?」

冷たい階段しかなく。


 指が宙を掻く。

 ユキの身体はバランスを大きく崩し、不自然に傾いた。


 悲鳴も飲み込む一瞬。


 鈍い音と共に、ユキの身体は階段下へと落下した。ごろり、ごろり、と意思のない物体のように、その身体は踊り場の床を転がる。


 たった数秒の出来事だった。

 何が起きたのか分からない空白の時。真っ先に動いたのは、初穂だった。一直線に、踊り場への階段を駆け下りる。

 続いて、まるで金縛りが解けたかのように、部員たち、そして亜弥羽、舟木が続いた。


 「大丈夫ですかユキさん!」

初穂に肩を叩かれ、ユキは呻きながら目を開ける。その四肢は、冷たい床の上に、壊れた人形のように投げ出されている。

「あ、あぁー。へへ、大丈夫。平気平気。なんでだろ、フラついちゃった。アハハ」

ユキはニコッと笑い、立ち上がろうとした。だが。

「ッ」

声にならない悲鳴をあげ、歯を食いしばる。

「ユキさんっ」

「大丈夫……多分、捻挫しただけ、だから」


 立ち上がろうとしたユキの前に立ちふさがったのは、葵だった。


 「葵……?」

ユキが痛みに震えながら、葵を見上げる。

「辛いんだろう」

葵は苛立ったような、それでいて感情を押し殺したような声でそう言ってから、舟木の方を振り返った。

「先生、救急車を。早く」

「あ、ああ」

舟木は頷くと、素早くスマホを取り出した。


***


 それから約一時間後。部室にはユキを除いた全員が集まっていたが、表情は暗く、交わす言葉は無かった。

 不意に、葵がポケットからスマホを取り出した。

「もしもし……ああ、うん。……そうか」

蓮が顔をあげる。

「どう、だったんですか」

「……右足の骨折。落ち方が悪かった。手術が必要だし、歩くにもリハビリが必要。舞うことは――絶望的だね」


 葵はスマホをポケットにしまうと、深く息をついた。そして、全員を見つめ、言った。

「ボクは、ユキの意思を継ぎたい。ここまできたなら、諦めずに龍を止めたい」

「……私がやります」

初穂が言った。強い意志の燃えた目だった。葵は、ふっと笑って初穂を見る。

「その役目、ボクもやりたいんだけどね」

だが、初穂の眼差しは揺らがなかった。葵が言う。

「じゃあ公平に、くじ引きにしようか。どっちがやるべきなんて、人間には決められないことなんだから」


 蓮は言った。

「あの、そのくじ引き、俺も引かせてください」

「え?」

京平が弱弱しい声をあげる。

「蓮ちゃん、今なんて……?」

「俺も、やろうと思う」

「待ってよ蓮ちゃん。だって、……だって、三つだけの道具で舞った娘は、龍に浚われて、戻ってきても元の姿じゃなかった、って言われてるんだよ?」

「でもさ、それはユキ先輩も覚悟の上じゃん」


 蓮は、葵と初穂の方を向いて、言った。

 「俺、考えてたんです。ユキ先輩と同じことを、俺も出来るか、って。『ユキ先輩がやってくれた、ああ嬉しい助かった』……そういうのじゃ、違うんじゃないかって思ったんです。だから俺も、考えてたんです」


 葵はふーっと息をつくと、輪ゴムで縛った長髪をバサリとほどき、がしがしと頭皮を掻いた。

「……どちらにしろ、明日まで時間がある。明日の朝、ここに集まってくじ引きをする。くじ引きに参加するかは、任意だ。明日ここに来ることも、自由意志でいい。……そうしよう」


 誰もが言葉なく、頷く。

 ふっつりと糸が切れたように、それぞれ、帰り支度をして部室を出て行った。


 「京平、帰ろう」

蓮は声をかけたが。京平は、にっこりと笑って言った。

「ごめん、先に帰ってて。ちょっとやることあるから」

「ん、わかった」


 そう言って蓮を見送った京平は。

 ぐっと奥歯を噛み締め、呟いた。


 「やるしかないんだ」



<続>

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