4-3 「嘘をついていました」
「蓮ちゃん、今日のバスケ部、顧問が風邪ひいて休みなんだって。俺も直接写真部行くよ」
「……」
「蓮ちゃん? 大丈夫? やっぱり風邪治ってない?」
「あ、あぁ、いやいや。大丈夫、はは」
初穂に指摘された京平の嘘が、ずっと引っかかったまま時刻は放課後になっていた。クラスの中はざわざわとゆるく、あるいは慌ただしい。
嘘なのか、それとも勘違いなのか。
だがここ数日。
言葉にはできない不安、あるいは、違和感。
そんなものが京平に纏わりついている、それは意識してしまえば、ずっと気になっていまう腫物のようだった。
蓮は立ち上がった。
「よ、よーし。じゃあ行こっか、部室」
「蓮ちゃん、何の準備もしてないよ」
「あ、あはは」
落ち着け。自分自身にそう言い聞かせながら、蓮は黒のリュックを机に置いた。
***
部室棟2階、写真部の部室前。
戸に手をかけたところで、中から声が聞こえた。
「——死ぬかもしれないじゃん」
蓮は思わず、ぴたりと手を止めた。左後ろに立つ京平を見上げる。京平もまた、困った顔で蓮を見下ろした。
聞こえてきたのは、ユキの声だった。
「葵はさ、死ぬってなってやり残したことないの。前に、アタシのこと撮りたいって言ってたじゃん」
「それは、プロになってから。プロになってから、ユッキィのことを撮らせてって言った」
「でも、もし街がぐちゃぐちゃになってしまったら。プロになるっていう夢が、遠くなっちゃうかもしれないじゃないか」
ドア越しに聞こえるユキの声は、いつになく沈み、弱気になっている。だが、葵の声は凪のように、驚くほど、いつも通りだった。
「街がどうなっても、世界がどうなってもさ。ボクは生き残ってプロになることを諦めてないから。ここでユッキィの事を撮ったら、悲しい思い出だし、それは遺影じゃん。ボクはいつかプロになってさ、ユッキィの一番の笑顔を撮りたいだけ。だから断ってんの」
ドアに手をかけたまま、蓮は動けずにいた。
このまま盗み聞きしていていい内容だとは、思っていない。
だが、葵の――普段へらへらしていて何を考えているか分からない葵の、真剣な声と。そして普段は気丈なユキが見せる事の少ない弱い部分が、あまりにも意外で。
そして、ユキがその弱みを見せる相手が葵だったことも、意外で。
立ち去らなければならない、という思いとは裏腹に、蓮の身体は、ぴたりと止まったまま動かなかった。少し黄ばんだ部室の扉を目の前にしたまま、動けない。
長い沈黙の末。
ユキの声が聞こえた。
「じゃあさ、今からアタシを撮ってって……アタシからお願いしてもだめ?」
「……舞が失敗したら、大雨に巻き込まれて死ぬかもしれないから?」
「うん、死ぬかもしれないから」
覚悟を決めているが、どこか震えがちなユキの声。一方の葵の声は淡々と、まるで用意された台本を読み上げるように、感情に起伏も揺らぎもなかった。
ふぅ、と息をつくような暇を挟み。
「いやだね」
葵はあっけらかんとそう言った。
「なんで」
「ユッキィの事は撮りたいよ。でも、そんな顔を撮りたいわけじゃない。皆の為に死ぬかもしれない覚悟を決めた、そんな顔じゃ、ボクはいやだ。言ったでしょ、一番の笑顔がいいって。……それに」
「それに?」
「ボク、ユッキィに生きて欲しいよ。だからさ、ボクと一緒に生きようよ」
「!」
優しい情が滲む、葵の声。
聞いたことの無い声だった。普段の、あのへらへらと軽い葵が、こんな情を見せるなんて。
今、葵はユキにどんな表情を見せているのだろう。笑っているのだろうか、泣いているのだろうか。想像がつかない。それはきっと、ユキだけにしか見せない顔なのだろう――
ふと。
「ん?」
鼻をすする音が聞こえ、蓮は振り返った。京平が、大きな手で顔を覆っていた。
「京平……?」
「……っ」
ユキと葵の会話に、感じるものがあったのだろうか。己の顔を覆う京平の手は僅かに震えていた。
「……はぁ」
京平は大きなため息をつくと、鞄を持ち直した。そして、蓮の頭上に手を伸ばし、コンコンと強めに部室のドアをノックする。中にいる二人の気配が、びくりと跳ねたのが分かった。
「失礼します」
「え、えぇッ?」
がらり、と。遠慮なくドアを開け、ずかずかと部室に入っていく京平。その背中を廊下から見送り、ぽかんと口を開けたままの蓮。
「きょ、京平? どうしたんだよ!?」
流石に、長年の付き合いの蓮にも今の京平の行動が分からない。なんか二人っきりのいい雰囲気の部屋に、そんなずかずかと。
一方、部室の中のユキも葵も、驚いた様子で突然の来訪者を見ている。
「あ、あぁ。狩馬か、それに水橋も。なんだ、早かったな」
取り繕うユキに、蓮はできるだけ無表情を作って――全く作れず口角がふにゃふにゃしたままだったが――言った。
「あ。へへ、そうなんです、ちょっと授業が早めに終わって。でもあの」
何も聞いてないです、と蓮が言おうとするのを遮って。
「ユキ先輩。……お話があります」
京平がそう言った。その声が、あまりにも真剣で。
「京平……? えっまさか」
ま、まさか。京平もユキ先輩の事が? そ、それでいい雰囲気を中断して部屋に乱入?
そんなことをぐるぐると考えてしまった蓮だが、しかし、京平の雰囲気は、まるでスポーツの試合に臨むかのように真剣そのものだった。
「どうしたんだ、改まって」
ユキが肩にかかった黒髪を払い、腕を組む。京平は、ぐっと覚悟を決めたように喉を鳴らし、言った。
「俺は今まで、先輩に――写真部の皆に、嘘をついていました」
「え?」
思わず蓮が声をあげる。
「う、嘘?」
「……はい。俺のじいちゃんは、鳴衣主神社の参道で酒屋をやっていました。今はもう、引退してお店もないです。……でも、じいちゃんは代々続く酒屋に伝わる、色んな道具や本、書類を蔵に沢山保管していました」
「あ、前に言ってた奴だよな」
蓮は、ユキ先輩への告白の話じゃないんだ……と思いつつ、ウンと頷いた。
「でも京平、何もなかった、って」
その時、蓮は。
目の前に立つ京平の喉仏が、ゴクリと上下するのを見た。
「——あったんだ」
京平が、硬い声で言った。
「えっ……?」
ぽかん、と。ただただ、困惑する蓮。
慌てて状況を飲み込もうとするが、不可解が引っかかってうまく飲み込めない。
なんだ、なにが起こっている?
京平は蓮の方をちらりと申し訳なさそうに見てから、そして、意を決したように、正面のユキに顔を向けた。
「あったんです、資料が」
ユキは数秒、「どういうことだ?」という顔をしていたが、やがて、何かに納得したように目を伏せる。
「成る程ね」
「え、えっ? 何が成る程なんですか?」
ユキは、刀の切っ先のような鋭い眼差しで、京平を見た。
「『馬谷家の資料』は、君のおじいさんの家にあったんだな?」
京平は、実際にユキから刀を向けられているかのように緊張した面持ちで、しかし背筋を正し、怖気を受け止め、はっきりと頷いた。
「そうです」
『たはぁ』という、気の抜けた声がユキの口から漏れた。
「努武さんが探しても見つからなかったって書いてた『馬谷家の手記』は、君の家にあったってわけかぁ。盲点だった。そうか、閉店した狩馬酒造の蔵かぁ。そんなの探しようがないわなぁ」
ぐしゃぐしゃと髪を掻き回し。やがて、ユキは京平に向き合った。
「んで? その中身、聞こうじゃん。どうしてそんなに深刻そうなんだい?」
ユキはじっと、真剣に京平を見つめた。
葵もまた、部室の奥の段ボールに腰掛けたまま、じっと京平たちのやり取りを見ている。いつものように、「関係ないや」と眠りにつくのではなく、揺れ動く状況を見定める、審判のような眼差し。
「……その資料によると」
京平の声も、指先も、一目見て分かるほど震えている。
「京平……?」
「……」
京平はちらりと蓮を見ると、小さく息をつき、顔をあげて言った。
「『イナの舞』で、確かに龍は鎮まる。けどその代償として、舞った者は――」
<続>
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