3章 探索、亜弥羽、カレー

3-1 いざ体育館


 昼休み、部室。

 いつもの通り、ユキの正面には蓮が座り、そして机の端に初穂が座っている。


 そしてもう一人。

 写真部の隅、数多の段ボール箱をベッドにして寝ている男子が居た。紺野こんの あおい、3年C組の生徒である。

 肩まで伸ばした長い髪を、いつも輪ゴムで雑にくくっている。背丈はユキより頭一つ分大きいはずなのだが、極端な猫背の為同じぐらいに見える。

 蓮は、この世の中に葵以上の自由人でマイペースな人間は居ないんじゃないかと思っている。

 今日も部活に来るなり、目つきの悪い猫のような目をユキに向け、

「昨日のバイト、疲れたんで。じゃ、おやすみぃー」

乾いた低い声でそう言って段ボール箱の上に横になり、持ち込んだ猫型クッションを枕に寝始めてしまった。


 写真部の馴染みの光景である。


 なお、吾垂高校写真部のアクティブな部員は、蓮、初穂、紺野、そしてユキの4人である。

 たまに、兼部しているものが顔を出すが、その動機の大半は「ユキ先輩に会いたいから」である。そして大抵のものが、部室のあまりの狭さ・混沌とした雰囲気に、笑顔を凍り付かせ立ち去っていく。

 なお1年生の部員は4人居るが、3人は兼部、そしてもう一人のアクティブな部員の海野うみの 麻帆まほは、先週からインフルエンザが長引いている。


 「っていうわけですいません」

部室に着くやいなや、早速蓮はユキに平謝りした。

「俺、京平にだけはどうしても隠し事できなくて」

「全く。誰にも言うなって言ったのに」

ユキは暫くあきれ顔だったが、やがて、

「まぁ、いつも一緒に居る人間じゃごまかしきれないか」

ため息交じりにそう言った。

「あの、京平はバスケ部で忙しいんですけど、空き時間にはこっちを手伝いたいって言ってました」

「そうか、分かった。まあ確かに、人数が増えることはいいことだな」

ユキがそう納得してくれて、蓮はひとまずホッとした。そしてふと、脳内に過ぎった事があった。

「あのー」

「うん?」

「前嶋先生はどうします?」


 毎朝校門前で、拡声器よりも大きな声で挨拶をしている元気な教師。

 前嶋先生は、演劇部の副顧問とこの写真部の顧問を兼任している。


 蓮はおずおずと提言する。

「忙しくてあんまりこっち来れないとはいえ、前嶋先生も一応顧問ですし」

やがてユキは、ちらりと段ボールの上で寝ている葵を見た。葵は『君が話せ』というようにユキに目配せをする。ユキはため息をつくと、言った。

「マエジマはいい先生だ。忙しい時は手伝ってくれるし、アタシらの作品を褒めてもくれる」

「あ、はい」

「けどさ。ふわっとした話を……聞いてくれそうか?」

「え? ふわっとした話?」

「展示に脚立が要りますとか、もう一つ大きい額縁が必要になりそうですとか、そういう具体的な話じゃなく――『先生、龍が目覚めます』って話だ」

ユキの真っ暗な瞳が、蓮をじっと見ていた。ユキの言わんとしていることが、目線を通して伝わってくる気がした。

 蓮は短髪をガシガシと掻きながら、「えーと」と脳内でシミュレーションしてみる。いつも120%元気で明るい前嶋は――

 蓮は答えた。

「『面白い遊びを考え付いたな! 先生にも今度、そのゲームのルールを教えてくれ!』 って褒めてくれると思います」

「だろう?」

ユキが頷く。初穂が頷く。葵が頷く。最後に蓮も頷いた。


 「よし、じゃあ本題にとりかかろう……っと、その前に昼ご飯だな」


***


 「さて、食べながら聞いてくれ」

各々が弁当を用意したところで、ユキは桐の箱の蓋を裏返した。

「次のヒントはこれだ」

そこには、達筆な筆文字でこう書かれていた。


 『扇は、体育館に眠る』


「体育館、よしっ!」

蓮がガタンと椅子を鳴らし、立ち上がった。

「おいおい待て待て、水橋どうした突然」

ユキに問われ、蓮はきょとんとする。

「え? 体育館行くんですよね?」

「いやそれはそうなんだけど。まずは落ち着いて食べなよ」


 その時、初穂が音もなく立ち上がり、部室の壁際に向かった。何かゴトゴトとファイルを持ち出している。


その間に、ユキは蓮に向かって呆れ顔で言った。

「体育館って言っても、探す場所はまあまああるだろう。例えば体育倉庫とか、更衣室とか」

「えっ、だって気になるから! なんか早速行ってみたくないですか!?」

そんな蓮を見て、ユキはふっと笑った。

「そうか、亜弥羽あやはちゃんか」

「え?」

「いやね、君が入部した時から、なんというか誰かに似てるなぁと思っていたんだけどね。亜弥羽ちゃん……うちの親戚に似てるんだ。いやーそうだった」

そう言って、ユキはどこか懐かしそうに目を細めた。

「昔、親戚の集まりだったかの時にね。北区の小中学生の間で『人面犬が目撃された』とかいう話をしたら、法事を放っぽりだして飛び出して行こうとしたりなぁ。いやぁ懐かしい」

「へぇー……っていうか、人面犬!? えっ、街の北側って湯川町の方ですか? それとも大江町の方ですか?」

「いや、噂だよ噂。なんか橋で人面犬を見ただとか、話しかけられたとかそういうよくある噂……こら水橋、ソワソワするんじゃない。今はこっちが優先だろうが」


 そんな折だった。

「これ、どうぞ」

初穂が、1枚の紙を机の上に広げた。

「うん?」

「学校の見取り図です。体育館は……こっち」

「おぉ有難い、流石だ」

ユキに微笑まれ、初穂は頬を赤らめた。

「……必要と思っただけです」

「ありがとうな」


 蓮とユキ、そろって見取り図を覗き込む。

「とはいえやっぱり体育館って、物を隠せる場所って限られてますよね。やっぱり倉庫かなあ」


***


 十分後、体育館の入り口。

「ん、あそこにいるのは君の友達じゃないか?」

ユキに尋ねられ、蓮は「あ」と声をあげた。


 体育館の奥で練習に励んでいる男子バスケ部。

 その中でも一際声を出し、後輩を鼓舞していたのが京平だった。


 蓮は齧っていた芋羊羹をゴクリと飲み込み、答えた。

「そうです、あいつです。えっと、狩馬 京平って言います。俺の家の近所に住んでて、幼馴染です」

「へえ」

ユキは暫し、京平を見ていたが。

「アタシは彼の事、水橋の隣で眠そうにしているところしか見た事なかったけれど。ああやって運動してるとシャキシャキだねぇ」


 本当にスポーツを心から楽しんでいる人間は、汗すらもきらきら輝いて見える。京平を見ていると、そんな感慨すら浮かんでくる。

「あんな風にスポーツができたら楽しいだろうな」

と誰でも思うような、美しさすら感じる躍動感、そして点を決めた時の弾ける笑顔。

「いいなぁ、運動できる奴」

蓮の口からは思わず、そんな声が漏れるのだった。ユキも頷く。

「まさに、運動やる為に産まれてきたような子だな。……嫉妬かい? 水橋」

「いやいや」

蓮は半分卑屈に、半分は豪快に笑った。

「俺ぐらい運動音痴だと、もう京平には嫉妬とか沸いてこないですよ、むしろ」


 「とはいえ、昔はホント小さくて可愛かったんですけどね、京平」

蓮は、自身の胸元よりもうちょっと下ぐらいに手を置いた。

「こんぐらいでした」

ユキはじっと蓮を見た。初穂が、体育館の床から蓮の手のある辺りまでを目線で二往復し、ぼそりと呟いた。

「102cm」

葵がへらりと笑った。

「レンレン、流石にハナシ盛ってない?」

「いやいやいや、ほんとに。俺より頭1個小さかったんですって」

「さて、探そうか。アタシたちには時間がない。ひとまず倉庫から」

「本当ですってばー」


 そして蓮たちは、倉庫の扉をがらりと開けた。


<続>

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