3-2 倉庫の中

 倉庫の中は、汗と埃と湿気の匂いが漂っていた。

 ボールやマットなどよく使われるものは取り出しやすい位置に置かれていたが、「一体いつ使うのかよく分からないモノ」は、壁際に追いやられている。

 倉庫の中を照らす蛍光灯の光はどことなく乏しく、高い天井際に一つだけくりぬかれたような窓からは、外の雨天の弱弱しい光がじんわりと滲んでいた。


 「うーん、無いですねぇ」

「箱はいくらでもあるけど……」

箱を一つ持ち上げる度、ぶわっ、と埃が舞う。

「へっ……くしっ!」


 棚に置かれた大きな段ボール箱の中身を覗き込みながら、蓮が言った。

「それにしても、俺、ちょっと意外でした。ユキ先輩がこういうちょっとオカルトな事に興味があること。もっと……現実主義っていうか」

「アタシは別にオカルト好きじゃないよ。努武さんの研究だって別にたまたま見つけただけだし」

ぺしょ、と。空気の抜けたバスケットボールが棚から落ちる。それを拾い上げながら、ユキは言った。

「まぁでも、昔から……そうだね、おとぎ話の方は好きだったな」

「おとぎ話の方?」

「龍の伝説だよ。……小さい頃から何度もおばあさまに聞かされたし、絵本も読んだ。ほら、龍のおとぎ話だけで何冊もあるだろう? 全部読んだね、懐かし」

「へぇー龍を…? 村を滅ぼそうとしたのに?」

「それはあくまで一説。イナの歌目線でしょ。でも、龍は日照りを解決してくれたって伝承もある。アタシはずっと前から」

ユキが、不意に顔をあげる。ぼぅっ、と。焦がれるような眼差し。

「この土地に眠る龍は一体、どんな生き物なんだろうって。もしも本当に封印されていたとしたら、どんな気持ちで眠っているんだろうって……」

それは、夢見るような声。


 まるでユキの初恋の相手について聞いてしまったみたいで、蓮が持っていた古い段ボール箱が、手汗でずるりと滑る。ユキ自身もまた「あ」と声をあげ、こほん、と咳払いをする。そしていつものユキの調子で言った。


 「ま、小さい頃のお気に入りの絵本だった、ってそれだけさ」


 そんな二人の他愛ないやり取りを、初穂はもくもくと棚の物を移動させながら聞いていた。


 それからも一同は倉庫の中を探してみたが結果は芳しくなかった。

 「一体どこにあるんだろう……」

ユキがぼやく。蓮も頷いた。

「願いの像の右、みたいな場所の違いはなさそうですよね」


 探し始めて二時間が経った。外が暗くなり、運動部が帰り支度を始めている。

 ユキは首を振った。

「限界だね。今日はもう帰ろう。一晩考えたら、何か思いつく事もあるかもしれない」

丁度そこに、京平が走ってやってきた。

「蓮ちゃん、どうだった?」

蓮は何も言わず、首だけ振った。京平は、しょぼんと落ち込んだ顔で、しかしすぐにパッと笑顔になって言った。

「俺、すぐ着替えるから。だから蓮ちゃん、一緒に帰ろ」

「おう」


 ユキたちと別れた蓮が、更衣室の前で待っていると。

「ん? 水橋くんか。珍しいですね」

「あ、先生」

分厚い紙が挟まれたバインダーを持ってそこに立っていたのは、蓮たち2年B組担任の舟木ふなき 悠都ゆうとだった。

 舟木先生の見た目は30代前半。

 蓮の両親が話していた噂によると、元々この鳴衣主の生まれらしく、20代の殆どを海外で放浪していたが、やがて実家の母親が癌を患い、地元に戻る事を決意した……らしい。噂だけれど。

 ひょろりとした体格で、肌は浅黒く日焼けしている。銀色の眼鏡をかけ、髪はやや明るい茶髪。いつもどことなく気だるげな日本史の教師である。


 舟木は怪訝そうな顔で、蓮を見た。

「写真部が、なんでこんな遅くにカメラも持たずに体育館にいるんです?」

「え、あーいや……先生こそ」

「俺は別にいいでしょう。春樹先生に、確認してほしい書類があるだけですよ」

舟木の視線の先には、女子バスケ部を指導している春樹教諭が立っていた。甲高い声で号令をかけている。


 「あ、あのー先生。ところで体育館ってえっと……倉庫ってアレだけですよねぇ」

「えぇ?」

舟木は急な切り口に、口をぽかんと開けた。

「一体なんです? また、怪談でも探してるんですか?」

「いえ、その」

咄嗟に否定しようとして、だがふと、蓮は言葉を切り替えた。

「そう、そうなんです。部活でちょっと盛り上がっちゃって。七不思議ってホントにあるのかなーって。俺は断然あるって思うんですけど」

「って言ってもですねぇ。俺はそういうオカルトは詳しくありませんから」

「で、ですよねー」

「まぁ色々古い学校ですからね。探せばあるんじゃないですか、怪談の一つや二つ」

そして舟木は悪戯を思いついた子どものようにニヤリと笑い、人差し指の背で銀縁眼鏡を押し上げた。

「とはいえ、藪をつついて呪われても、先生は知りませんけど。怪談相手にヤンチャするのは悪い子ですよ」

「はは、やだなぁ呪われるなんて」


 そう話しながらふと。

 蓮の脳内に、チカリと何かが閃いた。

「あれ?」


 そういえば、――


 「あ、やばいしまった。この書類、急ぎでした。それじゃ」

そう言って舟木は「あーめんどくさい」というような事をぶつぶつ呟きながら去って行った。

「あ、はい。すいませんっした」


 はて。

 先程何を閃いたのだったか。


 蓮が考え始めた瞬間、

「蓮ちゃん、お待たせっ」

荷物を持った京平が、部活終わりとは思えないスピードで駆け寄ってきた。

「ね、帰りコロッケ買って帰らない?」

「めちゃくちゃ食うじゃんお前」


 だから、

 あやふやの内、蓮は京平との会話に気を流されていった。



<続>

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