2-5 夢
蓮は夢を見ていた。
それは、夏の日差しが降り注ぐ、鳴衣主神社の中。
大きな杉の木の下に、5,6歳ごろの蓮が立っている。その傍らに、赤い着物をまとった、16,7歳ぐらいの少女が立っていた。
髪は黒々としていて、頭の高い位置で一つにまとめ、赤い花飾りをつけている。着物は、遠くから見ると赤一色に見えたが、近くでよくよく見ると、赤と金の刺繍糸を使って、金魚の模様が浮かび上がっていた。
少女の顔は、濃い木の陰に覆われ、見えない。
そんな夢の中で、少女は言った。
「大事なのはね、四つ」
少女が指を四本立てる。小さな蓮は、それを聞いて言葉を繰り返した。
「四つ?」
「そう。一つは衣」
「ころも」
小さな蓮が、一生懸命復唱する。少女は頷いた。
「こういう服のこと。もう一つは扇」
「おうぎ」
「うん。これによく似てる」
女性は、帯に差していた小ぶりの扇を見せた。さらに指を折る。
「三つめは腕輪。これと、これ。右と左で、二つで一つ」
女性は、両手首につけた腕輪を、幼い蓮に見せ、言った。
「ふたつで、ひとつ」
蓮もまたコックリ頷く。女性は合わせて頷きながら、微笑んだ。
「ここからが大事だよ。そして四つ目。一番大事な、最後の一つは――」
ぐちゃり。夢が崩れる。黒い犬が吠える。老人が誘う。
―—こっちへおいで。
小さな男の子が泣き叫ぶ。外には出たくない――
***
暗い部屋。
ひんやりと冷えた、布団の感覚。
じっとりとした微睡みではなく、突如現実に引き戻され叩きつけられたような、急な目覚めだった。
「あ……」
蓮は、ぱっちりと目を開けた。
「……?」
額を撫で、ザリザリとした短髪を掻く。
まだ、目の奥に残像が残っている。
蓮は冷たい手の甲を、目に当てた。
今、何かとても明瞭な夢を見ていた気がする。
夏の日差し、鳥居、祭り、神輿、神社。
そうだ、あれは鳴衣主神社だった。
ただの夢だろうか?
勿論、そのはずだ。寝る直前まで『4つの道具』について考えていたから、それが夢に反映されてしまったのだろう。
いや、それでも。
頭の中に、先程夢の中で誰かに言われた言葉が響いている。確か声は、こんなことを言っていた。
『衣、腕輪、扇。それから最後の一つ』
「……ん? 最後の一つ……?」
首をかしげる。計算があわない。
4つの道具とは、衣、右の腕輪、左の腕輪、扇。それで4つだと、ユキ先輩は言っていた。けれど、先程の夢では――
「うぅ」
喉が渇き、呻く。何日も飲んでいないかのように、喉がガラガラする。蓮は足音を忍ばせ、階段を降りた。
台所のフローリングは、水のように冷たかった。裸足の足から、しっとりした冷たさが立ち上ってくる。
グラスに水を満たし、ごくごくと飲む。喉が潤い、冷えていく。
台所の端の小さな窓の外では、ホワイトノイズのような雨音が続いている。ごくり、ごくり、飲みながら、自然と、衣擦れのような雨音に耳は集中してしまう。
この雨はいつまで続くのか。
もし何も事情を知らないままこうして夜の台所に立っていたら、
「明日も雨かあ。やだなぁ」
なんて思いながら、この時間を過ごしていただろう。
――もちろん、全ては偶然ともとれる。
ユキ先輩は、苦笑いしていたけれど。
けれど、この雨が、龍が起きる前触れとするならば――蓮の背筋を、寒気が撫でていく。蓮はふるふると首を振ると、グラスを飲み干し、軽く洗った。
「とにかく、やれることをやろう。それ以外は、やれる事終わってから考えよう」
小さく呟くと、蓮は台所を出て行こうとして――
「うひゃぁッ」
漏れ出た悲鳴を、自身の手で口を塞ぐことで押しとどめた。
先程キッチンに来たときには気づかなかったが、真っ暗なリビングで、父の英治がソファに座ってテレビを見ていた。筋肉質の体格のいい身体が、紺のソファにしょんぼりと丸まっている。
「と、父さん……あ、あぁ、ラグビーかあ」
「ウゥン」
父はコクリと頷く。父の応援していたチームがどうなったかは――しょんぼりした顔と、丸まった姿勢に出ている。
「負けちゃったの?」
「ウゥム」
英治は渋い顔で頷くと、リモコンを手に取りテレビを消した。低い声で、
「お休み、坊や」
そう言って、先に二階へと上がって行った。階段を上がりながら、
「まさかあんなところから、守りが崩れるなんてなァ……」
悔しそうにぼやく声が聞こえた。
蓮もまた、二階へ上がり自分の部屋に戻ると、ベッドの中で丸くなった。
再び寝入り、翌朝目が覚める頃には。
昨夜見た「4つの道具と神社の夢」のことなど、完全に忘れてしまっていた。
<続>
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