2章 おとぎ話
2-1 おとぎ話
放課後を告げるチャイムが鳴る。授業の緊張がぷつんとほどけ、クラスメイト達がわらわらと伸びをしたり、ペンケースを片付け始めた。
「はぁー、ちょっと今日の日本史、課題多すぎだよねぇ。ねぇ蓮ちゃん」
京平に、ふにゃふにゃと話しかけられ。
「……」
蓮はペンケースを片付けたものの、抹茶もなかスティックを手にもったまま、ぼーっとしていた。一口も齧っていない。
「蓮ちゃん?」
「ふぇっ!?」
「どしたの? なんか今日、ずーっとぼーっとしてなかった?」
「いやいやそんな、そうかなぁ」
へらへらと笑って誤魔化し、今思い出したように、抹茶もなかスティックをバリバリと二口で飲み込む。
実際、京平の指摘は当たっていた。蓮は――今日一日、ずっとどこか上の空だった。
それもこれも。
今朝、理科準備室で見つけた、霧の箱。ユキ先輩が開いた、その中身を見たからだった。
白い埃にまみれた箱の中に入っていたのは――
「腕輪?」
シンプルな銀色の腕輪だった。
それは、薄い紙に包まれ、仰々しくそこに安置されていた。
大きさも形も、シンプルだった。
洒落たアクセサリーショップの棚に並んでいたとしてもさほど違和感はないだろう。そんな、ただの、古い腕輪に見えた。
だが、箱を開け中身を確認したユキは、暫し凍りついたようにそれを凝視したのち、
「やっぱりか」
噛み締めるように、そう呟いた。
そして、蓮と初穂に言ったのだ。
放課後、写真部の部室にて詳しく話す、と。
そんなことを言われて、授業に集中できるわけも無かった。
桐の箱の事、そして祠の事。「言い伝え」の事。
およそ、「何かが起こっているらしい」という漠然とした手触りの疑念が、授業を受けている間ずっと纏わりついていた。
蓮は手早く支度を整えると、黒のリュックを背負った。ちゃりん、と柴犬のキーホルダーが揺れる。
「じゃあ俺、部活行ってくる」
蓮はさっさと教室を出て行った。そんな蓮の姿を、京平はじっと見送っていた。
***
写真部の部室は、吾垂高校の部室棟の2階の最奥にある。
部室の中は、かなり狭い。壁という壁が、窓以外はすべて棚で埋まっており、その棚のいずれにも、なにがしかの古い機材やパネルの入った箱が置いてある。
さらに、部室の最奥にかなり危なっかしく積まれた内容不明の段ボール箱の砦が、異様な圧を放っていた。
そんな棚の間にどうにか詰め込むようにして、大き目の机が一つと、椅子が数脚置かれている。
壁際の席にはユキが。そして対角に位置する隅に、初穂が座っていた。
蓮はいつもの場所――初穂の隣に、鞄を置いて座る。
蓮はちらりと、段ボールの砦の方を見た。人の気配はない。
「あの、今日は
「バイトで来れないそうだ。アイツには、今度会った時アタシから事情を説明する」
ユキが簡潔にそう説明し、蓮は頷いた。
***
「さて、どこから話したもんかな」
ユキはふぅと息をつくと、顔にかかった長い髪を耳にかけた
「アタシの家は知っての通り、歴史の古い和菓子屋。ずっと、鳴衣主神社の参道でお店をやってきた。で、アタシが小さいころから、耳について離れない歌があった」
「歌?」
「うちではね、神社に奉納するお饅頭を作ってるんだ。お客様に出す為じゃなくて奉納用だから、年始め、夏祭りとお盆の奉納、秋の収穫の儀……それぞれの分のあんこだけを、一年の始まりにまとめて作る。で、その奉納用の大福のあんこをこねる時の歌なんだけどね。それが、こう」
ユキは目を閉じると、節をつけて歌い始めた。
龍よ眠れ 龍よ眠れ
起きるならば 起きるならば
ひじりの大木割れ 江本の山は鳴き
「あれ、この歌、どこかで……」
そう呟いた蓮の隣で、初穂がボソリと言った。
「鳴衣主祭り、奉納の歌……似ている」
「ああ二人とも知っていたんだね。奉納の歌」
「小学校の時の授業で。でも、今はもう奉納ってやってないんですよね?」
蓮の問いかけに、ユキは頷く。
「10年前の火事が原因でね」
ユキは鞄からほうじ茶のペットボトルを取り出すと、グビッと飲んだ。そして、話を続けた。
「10年前の火事。その時、神社の関係者の方で、神社の管理や奉納の行事を取り仕切っていた
「あ、それも授業で聞いたかも」
ユキは頷くと、話を続けた。
「さっき歌った歌は、久城庵に代々受け継がれてきた歌なんだ。小さい頃のアタシは龍のおとぎ話が好きで――どうしてこの歌がお祭りで流れている歌に似ていたのか、気になっていた。けど、事情を深く知ってる人は少なかった」
ユキは僅かに顔をあげる。
「でも、当時まだ存命だったひいおばあさまが、この歌についてご存じだった。この歌は――」
ぱたた、と雨が窓を叩く。
ユキは言った。
「この土地に封印された龍が起きる、その前触れを歌った歌だ、って」
部室の中は、しん、と静まり返る。
驚き、というよりも。あまりに突飛なキーワードに、ただ困惑するしかなかった。
「龍が起きる、前触れ……?」
戸惑いながらも、ふと、頭の中に繋がった事柄を思い浮かべる。龍、言い伝え。
「あの、鳴衣主神社に伝わる、おとぎ話の龍……ですか?」
「そう」
ユキは真剣に頷いた。
蓮は――どんな表情で、どんな声で、ユキの言葉を受け止めればいいのか分からず、隣の席に座った初穂の方をみた。
初穂の表情はいつもと変わらない。だが、その黒ぶち眼鏡の奥の目には、僅かに戸惑いの色が漂っていた。
ユキは言った。
「知っての通り、鳴衣主神社にはかつて、『この土地には龍が住み、雨を降らせ人々を困らせていた。そんな龍を、村に住んでいたイナという娘が、舞を踊って封印した』というおとぎ話が残っている」
「イナの伝説」あるいは「イナと龍のおはなし」など、呼び名は色々ある。
いずれにしろ、この街で育った子どもたちは保育園や幼稚園の紙芝居の時間や小学校の読書の時間で1度は聞かされたことがある、地域の伝承である。
だが。
それはあくまで、「おとぎ話」である。
蓮の顔に浮かんだそんな思いを感じ取ったのか、ユキはゆるく頷いて見せると、鞄からルーズリーフとシャーペンを取り出し、机の上に広げた。
「この歌には続きがあるんだ」
龍よ眠れ 龍よ眠れ
起きるならば 起きるならば
ひじりの大木割れ 江本の山は鳴き
七つの祠に 耳を傾け
「ん? 七つの祠、それにひじりの木……江本の山?」
なんだか最近どこかで、ひじりの木という単語を聞いたことがあるような、ないような。
ユキは言った。
「先日、ひじり山の森に、落雷が落ちて大木が折れた。そして……江本は昔の地名。今は、江崎に名前が変わってる」
「あっ!」
蓮は声をあげる。顔を真っ赤にさせた野上の顔がよぎる。
「江崎町の山の、唸り声!」
「そう」
ユキが頷く。蓮の隣の席の初穂が、「どういうことか?」という目で蓮を見る。
「うちのクラスメイトが言ってたんだ。最近、山で変な声みたいなのが聞こえる、って」
「アタシのクラスでも、江崎町の方に住んでる子がいてね。その子からその『奇妙な音』の話を聞いた時、ふとこの歌を思い出したのさ。つまり、ひじり山の木が折れ、江本の山に異変が起こる時、それは龍が目覚める前触れだって」
ユキは話しながら、白く細い指を組んだ。
「ただ、この段階では流石にただの偶然だと思ってた。けど」
「七つの祠に、異変」
初穂が呟き、ユキは「そう」と頷いた。
「祠に異変が現れたのならば、いよいよ偶然では片付けられなくなってきた、とアタシはそう思う」
<続>
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