2-2 オリジナルの舞


 ユキの声には、深みがあった。ドッキリや悪戯では片付けられない深刻さ、落ち着いて理性的に説明しているように見えて、時々語尾が上擦っている。

 あの気丈なユキも、この事態には緊張しているのだ。蓮は敏感にそう感じ取った。


 「え、えぇと……」

蓮は自身のこめかみをグリグリと揉んだ。頭の中で必死に情報を整理しながら、なんとか声に出す。

「つまり、おとぎ話の中の龍がまた目覚める兆候……が、今この街で起きている、ってことですよね」

「そういうこと」

「えっと確か、龍が目覚めたなら……おとぎ話の中の龍は、街に大雨をもたらす」

蓮の言葉に、初穂が黒ぶちの眼鏡を押し上げ、言い添えた。

「ただの大雨ではなく、二百日の雨」

「二百日、って……」


 蓮は戸惑いながらも尋ねる。

「でも、仮にその龍が目覚めるとして。どうして突然目覚めるんです? だってあのおとぎ話って、多分今から何百年も前の話ですよね。どうして突然、このタイミングで……」


 ユキは暫し、机の上で組んだ指を見つめていたが、やがてこう答えた。

「二十年ほど前。鳴衣主神社、およびこの四三樹市の歴史について研究していた学者が居る。名前は、入江いりえ 努武つとむ。……アタシの親戚」

「え? は、はい」

「正直、この人の研究はあまり世間で注目されなかった。だが……毎年7月に、鳴衣主神社では祭りが行われるだろう? 鳴衣主祭りだ」

「あ、はい。ありますよね」

「今では『浴衣踊り子コンテスト』……言ってしまえば美人コンテストが開かれるのみだが、10年前、火事が起こるまではそこで選ばれた優勝者が『奉納の舞』を披露していた。そしてこの『奉納の舞』が、龍を抑制していた……と、努武さんは論じていた」

「龍を、抑制……?」

「ああ。イナの伝承とは要するに、『イナと呼ばれた娘が、龍を鎮める舞を踊った』という物語だ。つまり――」

ユキの吊り上がった瞳に、鋭い光が走る。

「毎年祭りで行われてきた『奉納の舞』はただの行事ではなく、実際に、この地に封印されている龍を抑える効果があった、という説だ」

「なるほど……あれ? でも、もし本当に抑制の効果があるとしたら……」


 蓮の脳裏に浮かんだのは、焼失し、建て直された神社の真新しい姿だった。


 「10年前、神社は焼けて……それ以来、浴衣コンテストは継続してるけど、肝心の奉納の舞はもう、……えっ!?」

冷や汗が、ドッと吹き出る。

 蓮の「まさか」という顔に、ユキは深く頷いた。

「20年前は『奇怪』と呼ばれ笑われた努武さんの研究は、あながち間違ってなかったかもしれない。……もしも本当に、鳴衣主神社で毎年、都度都度行われていた『奉納の舞』が、この土地に封じられた龍を大人しくさせておく為のシステムだったとしたら……ってことさ」

「じゃあ、その『奉納の舞』を、これからもう一度鳴衣主神社でやればいいってことですか? そ、それなら今すぐやった方がいいんじゃ」

ガタリと立ち上がりかけた蓮を、ユキは片手で制した。

「待て待て。どうも、そう単純な話でもないようなんだ」


 ユキは、鞄の中から本を取りだした。

 文庫本サイズの本で、ところどころに付箋が貼られていた。著者の名前に「入江 努武」とある。

「努武さんが出版した本さ。小さな出版社で自費出版だから、オカルトマニアかよほどの四三樹市の郷土史の専門家以外持ってないけどね」

ユキはそう言って、付箋が貼られたページを開いた。

「実は百年前にも、同じように歌と踊りをないがしろにして、この街に異変が起きたという記録がある」

「え、えっ、そうなんですか」

「勿論公の記録やニュースに『龍が復活した』なんて残っちゃいないよ。ただその時も、ひじりの森の大木が落雷で折れ、山から謎の唸り声が観測され、長い雨が続き――」

ユキは、本に書かれた一文を白い指でなぞった。

「鳴衣主神社の境内の端にあった七つの祠が、ある日突然ひび割れた。そして次の日から、1日に1個ずつ壊れ始めた……今うちの学校に置いてある祠は、その時作り直されたものって、ことだな」

「1日に1個ずつ……」

その言葉の意味するところを理解した途端、冷や汗がじっとりと蓮の身体を冷やしていく。


 1日に1個ずつ壊れていく祠が、もしも7個全て壊れてしまったら、その時は。


 ユキは続きを読み上げた。

「だが百年前のその異変は、祠が6個まで壊れた日に解決されている。そして百年前、その異変が起きてしまった時は――それまで夏祭りで使われてきた『奉納の舞』を捧げただけでは、異変は収まらなかった、とある。祭りで披露されている舞は、あくまで簡略化されたものだったから」

「簡略化?」

「そう。『イナの舞』には、毎年祭りで行う簡略化された舞と、そしてもう一つ、イナが踊ったというオリジナル――完成版の舞がある」


 初穂が顔をあげ、ユキを見つめ言った。

「1年に1度コツコツと行うならば簡略版で構わないが、何年もの間それを怠り、それゆえに一度異変が起き始めてしまった以上は、完成版の歌と舞の儀式じゃないと駄目、ということですか」

初穂の解釈に、ユキは深く頷いた。

「そういう事」

うへぇ、と蓮が声をあげる。

「は、はぁ……それであの、『オリジナルの舞』ってどんなのなんですか?」


 そう尋ねられたユキは、こくりと頷くと桐の箱を引き寄せた。

 古びた箱だ。

 ユキによって、表面の埃は拭われている。見た目はシンプルな、ただただ古い箱だ。


 「舞の振り付けに関しては、簡易版と変わらない、という記録が残ってる。問題は、簡易版は1番で終わるけれど、完全版は2番まであるということ。ところが、その歌詞が残っていない」

「え、えぇ!?」

「完全版を舞うのに必要な道具は4つ。その内の一つの『扇』に、2番の歌詞は書かれている……と、言われている」

「必要な、4つの道具……? あっ、それじゃあ、この腕輪ってもしかして」


 ユキは頷き、再び桐の箱を開けた。


 理科準備室で見つけた桐の箱の中には、銀色の腕輪が置かれている。

 今朝見た時には、ただ『古い腕輪だなぁ』という印象だった。今は、これがそんな儀式に使われるものなのだということ、それが手に触れるような距離にある事が、なんだか信じられない。

 腕輪は、桐の箱の中央で鈍く光っている。


 ユキが言った。

「この腕輪が、完全版の舞を踊る時に使う、『4つの道具』……その内の一つ」


ユキは、白く長い指を折りながら言った。

「完全版に必要な道具。そのいずれも、桐の箱に入れられ、この学校のどこかにあるはずなんだ」

そんなユキの言葉に、蓮は、「あれ?」と戸惑いの声をあげた。首をかしげ、尋ねる。

「え、待ってください。完全版の舞の為に色んな道具が必要な事は分かりました。でも、なんでそれがうちの学校に隠してあるんです? それも、まるで宝探しみたいにヒントまであって」


 ユキは、顔にかかった黒髪を耳にかけ、何かを言おうとして――苦虫を口の中で転がしているような顔をした。美しい形の眉が、きゅぅ、と寄せられる。

 クールなユキのあまりにも見たことがない表情に、

「せ、先輩?」

心配になった蓮が声をかける。初穂もまた、心配そうな眼差しでユキを見守る。


 やがてユキは、一息で言った。

「それは――」


<続>

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