1-2 前兆
蓮のオレンジ色の傘と、初穂の黒い水玉模様の傘が並んでいる。
二人の前には、三股に分かれた道がある。
一番手前の道は、校舎を左に折れてグラウンドへと続く道。
もう一つは、この吾垂高校の隣の敷地にある、
そして三つ目の道は、真っ直ぐ校門へと続いている。
いつもならば部活を終えた二人は、ごく普通に校門への道を歩むはずだった。
だが。
***
「俺の記憶違いかな。祠の周りの土ってさ、元々あんな色だっけ?」
衝動的にそう言ってから、蓮は改めて自分と初穂の状況を見て、
「あ、いや……そんな事、別にいっか」
ふるふると首を振った。
既に、2時間も埃と汗にまみれて探し物をして、クタクタだ。しかも、汗ばんだ身体を雨が冷やしていく。
これ以上寄り道するべきじゃない。素直に帰ろう。
蓮はそう判断し、うなじをザリザリと掻いた。
「いやごめん。いいんだ、別に大したことじゃ」
「……行こう」
「え、えぇっ? 待って窪、うっわ足はやっ」
蓮の言葉の続きを聞く前に、初穂が歩く方向を変えた。慌てて蓮も追いかける。
やっとのことで追いついた蓮は、ばちゃばちゃと足をばたつかせ歩きながら初穂に言った。
「いやあの、土が変って言ってもホントなんかちょっとした違和感っていうか」
「……水橋のこういう勘はよく当たる」
「えっ?」
雨に消え入りそうな声、蓮より頭一つ小さい小柄な容姿と正反対に、初穂の足はズンズンと力強く進む。
グラウンドを囲む青いフェンスと、神社の敷地に続くうっそうとした木々。
その間を、アスファルト舗装されていない土の道が一本通っている。木々が落とす濃い影の中で、雨粒が跳ね、滴っていた。
そんな道の入り口に、「水を大切にしましょう」と書かれた井戸がある。そしてその隣に、祠が7つ並んでいた。
――祠も全然無事だし。
さきほどユキが言っていた言葉が、脳裏に蘇る。
40cmほどの岩を丸くくりぬき、中に小さな地蔵を入れた形の祠。年月がだいぶ経っているのか、祠の大部分が泥や苔に覆われている。
この学校に通う生徒からすると馴染みの景色だが、何の為の祠なのかは誰も知らない。解説の石碑なども無いのだ。
「え、えぇっ……うわぁ、えっ? なにこれ」
祠に近づき、そこに「何が起きているか」を視認した瞬間、蓮は思わず声をあげた。
7つ並んだ祠の、一番手前。最も井戸に近い祠の地面が、じんわりと黒く染まっていた。
「やっぱりこんな色じゃなかったよなぁ?」
「……」
「っていうかこれなんだろう、墨?」
「……水」
「え?」
初穂が、黒ぶち眼鏡を押し上げ、言った。
「水が、祠の中からしみ出してる」
「あっ、ホントだ。水漏れかぁ」
よくよく屈んでみると、祠の内側、地蔵が立っている足元から、ちょろちょろと水が溢れ、地面に拡がっていた。
「え、でもなんでこんな所から水が」
その時。
ビシッ、という破裂音が響いた。
「えっ?」
蓮の、目の前の祠に。
突如、真一文字に、ヒビが入った。ぴし、ぴし、とひび割れは広がっていく。やがてひび割れは収まったが、変わらず地面には水が染み込み続けている。
いやよく見ると、噴き出している水の量は増えていた。
「え、えっ? なにこれ?」
「……」
焦り、答えを求め振り返る蓮に、分からない、という様子で初穂は首を振った。あまり感情を示さない黒い瞳が、僅かに動揺している。
初穂が、小さな声で――しかしはっきりと、言った。
「……何か、おかしい」
ぱたたっ、と音がして。
頭上の木々から雨水が滴り、二人の傘を脅すように叩いた。
***
それから土曜日と日曜日を挟み、月曜日の朝。
「ん、んん」
夢の中で、蓮は学校の敷地にある祠の前に居た。
ばきっ、と祠が真っ二つに割れる。二つ目の祠、三つ目の祠も同様に割れていく。
「えっ?」
そして最後。七つ目の祠が、ぱっくりと割れた。途端、祠の中から黒い煙が噴き出す。山が揺れ、黒い龍が現れた。龍が暴れる度、激しい雷雨が街を襲う――
「うわっ」
蓮は飛び起きた。まだ耳の中に水の音が残っていた。
「れんー? そろそろ京平くん来るんじゃない?」
階下から呼ぶ、母の
「えっ、もうそんな時間!?」
時計を見て、サッと青ざめ飛び起きる。パジャマを雑に脱いで制服に着替え、蓮は1階へと駆け下りた。
分厚いパンと目玉焼きを殆ど流し込むようなスピードでたいらげる。ゴクンッと飲み込んだところで、リビングの窓から見える塀の向こう側に、京平の姿が見えた。
「い、いってきまぁす」
「はい、気を付けて」
鞄を引っ掴んでバタバタと出ていく息子を見送り、友子は夫に言った。
「蓮が寝坊なんて、珍しいねぇ
「ウゥン」
蓮の父――英治は、昨晩贔屓の野球チームが7-1で負けてしまったため、上の空であった。
***
「あ。おはよぅ。蓮ちゃん、寝坊したの? 珍しー」
「おう。気づいたらすげぇ時間だった」
いつの間にやら180cmを超えていた京平の背は、今もまだ、伸びているのだという。おまけに肩幅も骨格もごつごつしていて、一見かなり威圧感を与える外見だ。だが、「いたいけな子犬です」とでも言いたげなとろんとした垂れ目により、見た目の威圧感は中和されている。
「って、うわぁ」
ドアから外を見て、蓮はぼやいた。
「今日も雨かぁ」
「梅雨だもんねぇ。……あ、そういえばさ。先週、雷すごかったでしょ?」
「おう」
「あれでね、ひじり山のでっかい木が折れたんだって、直撃して」
「え、なにそれこわ。え、ピンポイントで当たったってこと?」
蓮の問いに、京平は長い横髪を指先でくるくると絡めながら頷く。
「そう。なんか、真っ二つだったらしいよ」
「えー、こわ」
***
毎朝の登校時。
蓮と京平は、学校の手前にある鳴衣主神社の前の道を通る。
学校の隣の敷地にある神社は、10年前に1度、燃えている。今は再建されているが、昔の神社の姿とはかなり変わってしまったらしい。
神社の脇の看板には、ゆるキャラとして描かれた「リュウくん」が描かれている。この土地に伝わる、「雨を司る龍の神」のおとぎ話をモチーフにデザインされたキャラクターだ。
神社の前を通り過ぎると、吾垂高校の校門までは2,3分である。
生徒玄関前。
吾垂高校が創立してからの歴史――幾度かの改築工事や記念行事などの写真のパネルが並んだ壁の前で、
「おっはよぅー!」
マイクでも使っているのかと思う程の大声で挨拶をしているのは、蓮たち写真部の顧問の前嶋であった。眠そうにだらだらと歩いていた生徒が、前嶋の大声でびくりと目を覚ましている。
「相変わらず元気だねぇ」
京平が苦笑しながらスニーカーを下駄箱に入れた。
「マエジマちゃんは多分、地球滅びる日とかでもあのテンションだろ」
蓮も続けて笑った。
***
2-B教室。
ドアを開ける直前、教室の中から大きな笑い声が聞こえた。クラスメイトの島崎の笑い声である。蓮は思わず京平の方を見る。
「なんだろ」
がらり、と教室のドアを開けた。クラスの後方で、生徒たちが5,6人ほど集まっている。その中の、いつも笑い声のでかい生徒――島崎が、蓮たちに気が付いた。
「おぉ水橋、狩馬。おはよ」
「おはよ。どしたん?」
「いや、野上がさぁ」
島崎は、隣に立っている男子生徒――野上にニヤニヤとした笑みを向ける。途端野上は、
「だーかーらー」
と声をあげる。それを遮って、島崎はヒッヒッと笑った。
「野上の家の近く、怪物出たんだってサ。めっちゃウケん?」
「か、怪物ぅ!?」
素っ頓狂な声をあげる蓮に、野上が顔を真っ赤にして言った。
「別に怪物とは言ってない!」
野上は唇を尖らせ、抗議するように言った。
「夜になると、ヘンな音がするんだ。ホントそれだけなんだって」
<続>
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