龍を眠らせて - 吾垂高校写真部、走り回った七日間 -

二八 鯉市(にはち りいち)

1章 前兆

1-1 図書備品室

 バコッ、と段ボール箱を開くと、白い埃が舞い散った。長年深い眠りについていた図書備品室の段ボール箱からは、おびただしい湿気と埃、カビの匂いがした。


 「ねぇーホントにあるんかなぁ、『桐の箱』なんてさ」

「……」

「そもそもさ、ユキ先輩の『お願い』も、ちょっと不思議だったよな。『図書準備室に、桐の箱があるはず』ってさ」

「……」

「今が暇な時期だからよかったけどさ。テスト期間とかコンテスト前だったら流石に厳しかったよな。ホント、先輩の無茶ぶりだけは困るっていうか」

「……」

「まあヨモギ餅と引き換えって言われたらそりゃ働くけどさー」

「……」

「あっ、待って『桐の箱』ってコレじゃね!? うわっ! 見つけた!」

「!」

「あ、違ったデカい図鑑だった」

「……」

「なぁくぼ、俺達もう何時間働いてる? 4時間は経ったよなぁ絶対4時間は働いた……あっまだ2時間か」

「……」

「お腹すいたなー。あっ、唐揚げ食べたいなー……窪は何食べたい?」

「……」


 吾垂ごたれ高校写真部の水橋みずはし れんくぼ 初穂はつみは、図書備品室でかれこれ2時間、探し物をしている。

 時刻は金曜日の放課後。夕焼けの名残はあるものの、既に外は薄暗い。無音の雨が、古い窓ガラスを濡らしている。


 「すぐ見つかると思ったよなー、『桐の箱』なんてさ」

そう言って、フゥと息をついたのは、水橋 蓮。学年で1番背が低い。ボサボサの短髪と童顔もあいまって、高校2年ながらもよく中学生に間違われる。


 「……」

その隣でもくもくと作業をしている窪 初穂は、黒ぶち眼鏡をかけた小柄な少女だ。定規で切り揃えたようなボブの髪に、水色のヘアピンをつけている。


 さて、蓮と初穂が図書備品室の鍵を借り、カビと埃と湿気と汗にまみれながら探しているものとは。


 写真部3年生のユキ先輩に言われた、こんなものであった。


――悪いんだけど今日、図書備品室で探し物してくれない? 多分これぐらいのね、桐の箱があると思うんだ。『願いの像を正面に見た時、右側の備品室』って図書備品室だもんね。よろしくー!


 今の所、成果は何も無かった。


 蓮は学生鞄をガサゴソ漁ると、『粒あん梅もなか』を四つ取り出した。

「窪、もなか食べる?」

初穂はふるふると首を振った。

 「そっか」と簡素に応え、蓮はもなかにかぶりつく。がぶがぶと噛み、飲み込んでから言った。

「なんか『願いの像を正面に見た時、右側の備品室』ってサ。探し物として漠然としてない?」

梯子に上り、本棚の最上段をもくもくと探している初穂は、何も答えない。


 願いの像とは、五垂高校の生徒玄関前にある石像である。男子と女子の像が手をとりあって空を見上げているというシンプルなものだ。


 二つ目のもなかをバクリとかじりながら蓮は言った。

「あ。っていうか今思い出したんだけどさ、『願いの像』の場所って――」


 その時だった。

 がらり、と扉が開く。薄暗い備品室に、さっと廊下の光が差した。


 そこに立っていたのは、彼らに「探し物」を依頼した、写真部の三年久城くじょう ユキだった。


 すらりと背の高い美人。久城 ユキの印象を聞かれ、誰もがそう述べるだろう。

 顔は小さく、目は切れ長で整った顔。まるでシャンプーのCMのようなつやつやとした黒く長い髪を、ハーフアップにしている。

 一見、ガラスや氷で作られた華のように、「触れてはならない冷ややかな美しさ」を纏った儚げな美人、なのだが。


 「いやーっ、ごめんね! 生徒会が長引きやがってさぁ! マジで副会長の野郎しばき倒そうかと思った! アッハッハ!」


 典型的な「喋らなければ美人」である。


 「いやでもマジマジに手伝ってくれてありがと! で、どうだった?」

ユキはそこまで一息に言ってから、後輩二人の表情を見て「あぁ」と声をあげる。

「見つからなかったかぁ……残念。やっぱ、かぁ」

「じ、実在?」

そんなものを探させられていたのか。


 いつもながらの強気な無茶ぶりに、蓮は思わず初穂の方を見た。だが初穂は一切感情を表に出さず、ユキが備品室の奥に近づいてくるのを見て、音も無く梯子を下りた。


 ユキは薄暗い備品室を見回し、

「でも、細かく探してくれたんだね、ありがと」

と改めて二人に礼を言った。そして後輩二人が何かを言う前に、パンッ! と両手を合わせた。

「で、ごめんなんだけど、実は今『トイレ行く』って言って生徒会抜けてきたところなんだ。だからちょっとアタシまだ、戻らないといけなくて……でも、本当に遅くまで残ってくれてありがとね」

「え、あ、ハイ。あの、それじゃ俺達はどうしたら」

蓮に問われ、ユキは額を抑え唸った。だが数秒後、「うん」と頷く。

「これだけ探してくれても無いんだったら、ちょっとアタシの予想が違ってたかもしれないね。なんか、祠も全然無事だし」

「祠?」

「だからまぁ、『アレ』は所詮ただのおとぎ話、言い伝えの類だったのかもしれないしな! アッハッハ!」

「祠? おとぎ話? 言い伝え? え? え? 先輩、どういう」

「ってわけで! 付き合わせちゃって悪いんだけど、でも見つからないならしょうがない! これ以上は遅くなるし、二人とも、帰って大丈夫だよ」

「え? あ、はい」

「じゃっ! 気を付けて帰れよ! 遅くまでありがとねー!」

ユキはぶんぶんと手を振ると、艶めく黒髪を翻し、足早に備品室を出て行った。一瞬で、足音が遠ざかる。


 「えぇー……」

あとに残されたのは、蓮と初穂、そして突如現れた熱気が消え、しんと静まり返った空気感、くたびれた軍手だけであった。

「じゃあまあ、出した本片付けて帰ろうか」

蓮が言い、初穂はからくり人形のような動きでコクリと頷いた。


 二人は、本棚の奥などを確認するために避けたり積み上げたりした本を棚に戻すと、図書準備室を後にして、鍵を返すため職員室へと向かった。


 四三樹よみき市は昨日から予想外の雨の予報である。うっすらとしたベールのような雨が、生徒玄関から校門に続く道を濡らしている。


 蓮はオレンジ色の傘、初穂は黒い水玉模様の傘をばさりと開き、生徒玄関を出る。


 「はー疲れた」

校門への道を歩きながら、蓮は鞄から『粒あん梅もなか』の五個目を取り出した。そして、ムシャムシャと二口で食べ終え飲み込むと、言った。

「あ、そういえば結局さ、ユキ先輩が探してた桐の箱って、なんだったんだろうな」

「……」

隣を歩く初穂は答えない。沈黙した空気の中で、灰色のアスファルトに雨粒が跳ねる。

「なんかさ、やっぱり今日のユキ先輩ヘンだったよな。今までもユキ先輩が俺達に無茶ぶりすることってよくあったけど、今回はなんか」

「確信」

「え?」

耳を澄まさないと聞こえない、ハムスターが鳴くような小さな声で、初穂は言った。

「ユキ先輩、確信なさそうだった」

「あっ、そっか。いっつもユキ先輩が俺達に無茶ぶりする時は、大体なんか先輩なりの確信があってグイグイ引っ張っていく感じだもんな。急遽フォトコンテスト出るぞとか、学祭の展示を倍に増やすぞとか……そっか、それかぁ」

 はて。

 謎が深まった、という顔で、蓮は六個目のもなかを齧った。

「あれ、じゃあなんで先輩は確信も無いお願いを、俺達にしたんだろう」

「……分からない」

「だよなぁ。そもそもさ、先輩が言ってた『言い伝え』って一体――」


 その時。

 ちょっとした違和感が、蓮の脳でチカリと弾けた。


 「あれ?」

蓮は思わず声をあげ、足を止める。

 初穂もまた立ち止まり、黒い水玉の傘越しに隣の蓮を見上げる。初穂の、長い下睫毛に縁どられた目がぱちぱちと瞬き、「どうした」と問うていた。


 蓮はぽつりと言った。


 「ねぇ。ユキ先輩はさっきさ、『祠は無事だし』って言ってたじゃん。それってあそこにある、『小道の祠』の事だよね」

蓮は、校門へ続く道の片隅を指さし、言った。生徒の誰も気にかけない地味な祠が7つ、並んでいる。

「……」

初穂は頷く。

「だよなぁ。なんかさ、俺の記憶が曖昧なんかなぁ」


 蓮は首を傾げ、言った。


 「祠の周りの土ってさ、だったっけ?」



<続>

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