第13話:乱世の奸雄、秩序の刃
袁紹に大打撃を与えた公孫瓚の名声は、この乱世に轟き渡った。天子を擁し、民に善政を敷く「白馬の明君」としての評判は確固たるものとなり、その影響力は中原にまで及んでいた。しかし、この勝利は同時に、新たな、そしてより強大な脅威の出現を促すことになった。
公孫瓚の執務室には、戦後処理の報告が次々と届いていた。袁紹軍の残党処理、占領地の統治、そして新たな民の受け入れ。荀彧と郭嘉が、それぞれの役割を完璧にこなしていた。
「殿、袁紹の残党は、ほぼ掃討を終えました。しかし、北方に逃れた一部が、未だ抵抗を続けております」
荀彧が、静かに報告した。彼の目には、わずかな疲労の色が見える。
「焦るな。彼らはもはや脅威ではない。それよりも、次なる動きが重要だ」
俺は地図に目を落とした。北は袁紹の残党。東は青州の黄巾賊。西は董卓。そして、南に目を向ければ、新たな勢力が急速に力をつけているのが見えた。
「曹操……」
俺は、地図上の兗州(えんしゅう)の文字を指でなぞった。
郭嘉が、不敵な笑みを浮かべた。
「やはり、殿も曹操を警戒しておられますか」
「当たり前だ。彼は、この乱世において、最も危険な男の一人だ。あの董卓とは異なる、別種の脅威だ」
俺は言った。史実を知る俺にとって、曹操は単なる敵ではない。彼は、天下を「秩序」で統一しようと本気で考えている。その方法は、俺の「善政」とは異なる「強権」だが、彼なりの正義と信念を持っている。
「曹操、字は孟徳。彼の掲げる旗は『奉天子以令不臣』(天子を奉じて不臣を討つ)……皮肉なことに、殿と同じく、天子の名の下に力を振るおうとする男」
荀彧が、冷静に曹操の動向を分析した。彼は、かつて曹操に仕えるはずだった男だ。その彼が、今、俺の元にいる。
「彼は、今回の袁紹の敗北を、最大限に利用するだろう。中原の混乱に乗じて、その勢力をさらに拡大するはずだ」
郭嘉の予測は、俺の未来知識と完全に合致していた。曹操は、機を見るに敏な男だ。
「我々は、休む暇もなく、次なる戦いに備えねばならない。だが、焦る必要はない。我々には、智と武、そして民の支持がある」
俺は、二人にそう告げた。そして、蔡文姫を呼んだ。
「文姫。曹操が台頭すれば、その影響は民にも及ぶだろう。彼の統治は、善政とは異なるものだ。民が混乱しないよう、注意せよ」
蔡文姫は、静かに頷いた。
「はい、殿。曹操殿の統治は、民を厳しく律し、法で縛る傾向にございます。それは、殿の慈悲深い善政とは異なります故、民の間には戸惑いが生じるかと存じます。しかし、同時に、その厳しさが秩序をもたらす側面もございます。彼らの統治の実態を、正確に把握し、民に伝えることが重要です。彼の統治には、どこか私の父の薫陶に通じる“学びの秩序”があるようにも感じます。」
彼女の言葉は、曹操の統治を客観的に評価しており、その洞察力に俺は感心した。彼女は、もはや単なる民の代弁者ではない。統治の陰と陽を理解し、その狭間で最適な道を探る、真の政治顧問に成長していた。
「うむ。頼むぞ、文姫」
俺は、深く頷いた。
その頃、中原では、曹操が急速に勢力を拡大していた。彼は、董卓の残党を掃討し、各地の小勢力を次々と吸収していく。彼の統治は厳格だったが、同時に乱れた治安を回復させ、秩序をもたらす側面も持っていた。
「公孫瓚が天子を擁したとて、所詮は辺境の武夫。真に天下を治めるのは、我ら曹家である」
曹操は、自らの兵士たちにそう語りかけていた。彼の目には、強い野心と、天下の混乱を終わらせるという確固たる信念が宿っている。彼が目指すのは、あくまで「強権による秩序」だった。
しかし、夜更け。曹操は、山積みの書簡の山を前に、筆を止めていた。彼の周囲には、掃討戦で捕らえた賊の首が転がり、血の匂いがわずかに漂う。
「……治安は戻った。この乱世に、新たな秩序はもたらされた」
曹操は、血のついた指先をじっと見つめる。
「だが、この血を見て、子は笑うか?」
彼の脳裏には、厳しく法で裁かれた民の、そして敵兵の、血の光景が焼き付いている。乱世を終わらせるための必要悪と割り切ってはいるが、その心には、決して癒えることのない矛盾する信義の業火が燃え上がっていた。
曹操の勢力拡大の報は、公孫瓚の元にも刻々と届いていた。
「殿、曹操軍は、既に兗州の大部分を制圧し、徐州へと兵を進めております。その勢いは、袁紹殿を凌ぐほどかと」
趙雲が、報告を持ってきた。彼の顔には、新たな強敵の出現に対する、わずかな緊張感が走っていた。
「子龍。お前はどう見る?曹操という男を」
俺は、趙雲に問いかけた。
「彼の統治は、確かに厳しいと聞きます。しかし、その厳しさゆえに、治安が回復し、民が略奪に怯えることが少なくなったとも聞きます。それは、民にとって、ある種の安寧ではございましょう」
趙雲は、正直に答えた。彼の「義」は、民の安寧を第一に考える。たとえ手段が異なろうとも、その結果を評価する、公正な視点だ。
「我らが失った命より、秩序に救われた命の方が多ければ……と、時折考えることもございます。」
趙雲は、そう付け加えた。彼の純粋な「義」が、曹操の「強権による秩序」という現実に直面し、微かに揺らいでいるのが見て取れた。
「うむ。奴もまた、乱世を終わらせようとしている。だが、その方法は、我らとは相容れぬ」
俺は、静かに言った。曹操は、民のためならば、時に非情な決断を下すことも厭わない。その「秩序の刃」は、時に多くの血を流すだろう。
夜の闇の中、俺は再び地図を広げた。公孫瓚の勢力と、曹操の勢力が、中原でぶつかり合おうとしている。
白馬のたてがみが、夜風に揺れ、天下を二分する戦の予感をはらんでいた。
――それでも、私は、私のやり方でしか、この乱世を終わらせられぬ。だが……私の理想は、どこか“甘い夢”なのだろうか?
俺は、自問自答した。完璧ではない己の弱さ。理想と現実の狭間での葛藤。しかし、この戦は避けられない。
乱世の奸雄が、今、その鋭い刃を研ぎ澄ませている。
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