第11話:智の再構築、新たな策謀の幕開け
袁紹との戦いは、公孫瓚に大きな痛手を与えた。白馬義従は多くの兵を失い、その士気は一時的に低下した。洛陽近郊の拠点都市は、勝利に沸く袁紹軍の脅威に晒され、再び不安の影が差し始めた。しかし、この敗北は、公孫瓚の慢心を打ち砕き、彼をより深く、そして現実的に天下統一の道を考えさせるきっかけとなった。
敗戦から数日後、公孫瓚の執務室には、重い空気が漂っていた。俺の前に座る荀彧と郭嘉、そして趙雲の顔には、疲労と悔しさが色濃く浮かんでいる。呂布は、この会議には呼ばれていない。彼の独断専行が、今回の敗北の一因となったからだ。
「殿……この度の敗戦、誠に申し訳ございません。私の策に、甘さがございました」
郭嘉が、珍しく真剣な顔で頭を下げた。彼のいつもの飄々とした態度は消え失せ、自責の念に駆られているのが見て取れる。
「いや、郭嘉。お前の策は間違っていなかった。ただ、私の呂布への制御が甘かった。そして、袁紹軍の粘りを読み違えた、私の慢心だ」
俺は、静かに言った。自分の非を認めるのは、転生者としてのプライドが傷つく。だが、ここで強がっても意味がない。
荀彧が、冷静な口調で口を開いた。
「殿の仰る通り、今回の敗戦は、我々の驕りが招いたものでしょう。しかし、この敗北から学ぶべきことは多い。袁紹軍の兵站は、確かに脆弱であった。しかし、彼らは数の暴力と、将兵の士気でそれを補った。特に、その名門の権威は、兵士たちを鼓舞する力を持っていた」
彼の分析は、常に的確だ。袁紹の「大義」は、民を救うものではないが、兵士たちを動かすには十分な力を持っていたのだ。
「そして、呂布の存在。彼の武は確かに天下無双。しかし、その制御がままならぬ以上、我らの戦術に組み込むのは困難を極めます」
荀彧の言葉に、俺は深く頷いた。呂布の武は諸刃の剣だ。
「では、どうする?このまま袁紹の攻勢を待つのか?」
俺は、二人に問いかけた。このままでは、袁紹は勢いを増し、さらに兵を進めてくるだろう。
郭嘉が、再び顔を上げた。その瞳には、すでに新たな策謀の光が宿っていた。
「いいえ、殿。この敗北は、我らにとって、むしろ好機となり得ます」
郭嘉は、そう言い切ると、不敵な笑みを浮かべた。その顔には、敗戦すら遊びに変えるかのような、底知れぬ愉悦が宿っている。
「好機だと?」
俺は、思わず聞き返した。
「ええ。袁紹は、今回の勝利に酔いしれているはず。そして、我らを完全に叩き潰せると過信しているでしょう。その驕りこそが、彼の最大の隙となる」
郭嘉は、卓に広げた地図を指差した。
「袁紹は、このまま洛陽を奪還し、献帝を奪い取ろうと考えるでしょう。しかし、彼の兵站は依然として脆弱。大軍を維持するには、莫大な物資と時間が必要です。我らは、その補給線を徹底的に叩くのです」
荀彧が、郭嘉の言葉に補足した。
「袁紹軍の兵站を絶てば、彼らは自壊します。そして、その混乱に乗じて、我らは再び洛陽を奪還する。今回は、呂布を主力とせず、白馬義従の機動力と、民の支持を最大限に活かします」
荀彧は、淡々と論理を構築していく。その視線は、感情を排したかのように冷徹だが、その瞳の奥には、漢室への揺るぎない忠誠が燃えているのを感じた。
彼らの言葉は、俺の心を大きく揺さぶった。そうだ、董卓戦の時も、袁紹戦の時も、俺は「呂布」という最強のカードに頼りすぎていたのかもしれない。そして、俺自身の「未来知識」に驕っていた。
「民の支持、か……」
俺は、蔡文姫の言葉を思い出した。「民を見すぎれば、国は保てぬ」と。しかし、同時に彼女は、「知識こそが、真の意味で民を豊かにし、乱世を終わらせる力になる」とも言っていた。
「蔡文姫を呼べ。彼女の知見が必要だ」
俺は、幕僚に命じた。やがて、蔡文姫が執務室に入ってきた。彼女は静かに、しかし毅然とした態度で俺たちの話を聞いていた。
「文姫。袁紹軍が攻め込んでいる今、民の動向はどうなっている?我々への信頼は、まだ揺らいでいないか?」
俺は、彼女に直接問いかけた。
「はい、殿。洛陽での善政の噂は、既に各地の民の間に広く浸透しております。確かに、今回の敗戦で一部には不安の声もございますが、彼らは殿の統治を信じております」
蔡文姫は、落ち着いた声で答えた。彼女の言葉は、民の生の声を反映している。
「しかし、袁紹軍は各地で略奪を繰り返しております。その惨状は、我々の善政の噂を霞ませる可能性もございます。今こそ、我々の真の姿を、民に知らしめる時かと存じます。そのためには、情報戦も重要になりましょう。我々の行軍を隠し、袁紹の悪行を広めることで、民の心をさらに固めることができます」
蔡文姫は、民衆の心理を深く読み解き、情報戦にまで言及した。彼女の視点は、単なる内政だけでなく、戦略的な側面にも及んでいる。
「うむ。その通りだ、文姫。お民の心をつかむことが、最大の武器となる」
俺は、深く頷いた。彼女の存在は、俺の「善政」を、より広範囲で、より効果的に機能させるための鍵となるだろう。
「子龍」
俺は、趙雲に目を向けた。彼は、静かに俺の言葉に耳を傾けていた。
「お前の『義』は、民を守るためにこそある。今回の戦で、多くの兵を失った。だが、それは決して無駄ではない。この敗北を糧に、我々はさらに強くなる。お前は、この戦で何を感じた?」
趙雲は、ゆっくりと顔を上げた。彼の瞳には、まだ悔しさが残っていたが、その奥には、確かな決意の光が宿っていた。
「殿……私は、今回の戦で、殿の『民を見捨てぬ』という信念を、改めて肌で感じました。そして、呂布殿の武は確かに恐ろしい。しかし、その武が、民を苦しめるために使われるのならば、それは義に反します」
趙雲の言葉は、彼の純粋な「義」が、決して揺らいでいないことを示していた。そして、呂布への懸念も、彼なりに感じ取っている。
「うむ。私も、今回の敗戦で、多くのことを学んだ。民を救う『善政』は、武力だけでは成し得ぬ。しかし、武力がなければ、民を守ることもできぬ。そのバランスが、いかに重要であるか、痛感した」
俺は、深く息を吐いた。
「これより、我々は、智の再構築を図る。そして、新たな策謀の幕を開ける。袁紹には、痛い目を見てもらうぞ」
その言葉には、敗北を乗り越えた者だけが持つ、新たな決意が込められていた。
その日から、公孫瓚の陣営は、再び活気を取り戻した。荀彧と郭嘉は、袁紹軍の動向を徹底的に分析し、新たな戦略を練り上げた。蔡文姫は、民の不安を和らげるべく、各地を巡り、公孫瓚の真意を伝え続けた。そして、趙雲は、傷ついた白馬義従の兵士たちを鼓舞し、彼らの練度を再び引き上げていった。呂布は、別室で不満を漏らしていたが、俺は彼に、より厳格な規律と、明確な役割を与えることを決めた。
この敗北は、公孫瓚の陣営を、より強固なものへと変貌させたのだ。
夜の闇の中、俺は執務室の窓から、遠くの空を見上げた。そこには、袁紹軍の篝火が、かすかに見えていた。
白馬のたてがみが、夜風に揺れ、月の光を浴びて、新たな策謀の始まりを告げるかのように、静かに輝いていた。
この雪辱を晴らすため、そして民が心から笑える世を築くため、俺は再び、この乱世の舞台に立つ。
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