第2話:友との岐路、義の決断

趙雲を味方につけてから数日、俺はひたすら白馬義従の訓練に没頭した。転生後の公孫瓚の肉体は、驚くほど騎馬の扱いに長けていた。まさに、生まれながらの騎兵だ。この身体能力と現代知識があれば、どんな戦も有利に進められる。しかし、俺が知っているのは、未来の歴史の「結果」だ。それをどう「過程」で変えるか、具体的な手腕が問われる。


趙雲もまた、俺の指示に忠実に従った。彼に、俺の知る最新の騎兵戦術や、後世に編み出される陣形の一部を教えると、その理解力と応用力は目を見張るものがあった。まるで乾いた大地が水を吸い込むように、彼は新たな知識を吸収していく。


「殿の教えは、まさしく戦の理(ことわり)でございます。この子龍、いまだその深淵を理解しきれておりませぬが、必ずや会得してみせます」


真剣な眼差しでそう語る趙雲に、俺は満足げに頷いた。彼の成長は、この乱世を駆け抜ける上での、何よりの希望だ。だが、同時に胸の奥にチクリとした痛みが走る。この才を、史実では劉備が最大限に引き出したはずなのだ。その絆を、俺が断ち切ったという事実が、時折、俺をざわつかせた。


白馬義従の練度は日増しに高まる。彼らの動きは滑らかで、まるで一つの生き物のように連携していた。彼らが揃って突撃する様は、まさに白い嵐だ。その圧倒的な破壊力を前に、俺は確信した。これならば、来るべき戦乱を乗り越えられる。そして、今の俺ならば、劉備ごとき、容易く出し抜けるだろう。そんなわずかな慢心が、胸の奥に芽生え始めていた。


そんな折、斥候から報告が入った。


「殿!北平(ほくへい)より、劉玄徳殿が使者として来られます!」


その報せに、俺は思わず息を飲んだ。劉備。史実では俺の義弟となるはずだった男。そして、趙雲が最終的に忠誠を誓う相手。まさか、こんなに早く出会うことになるとは。


その日の午後、粗末ながらも整えられた客間へと劉備は入ってきた。


「公孫伯珪殿におかれましては、ご壮健のほど、何よりにございます」


そう言って、深々と頭を下げる男。背筋を伸ばし、その瞳には強い光を宿している。痩せぎすの体だが、纏う雰囲気は並ではない。これが、後に三国の一角を担う漢王朝の末裔、劉備玄徳か。


俺は、彼の真摯な態度に、公孫瓚としての記憶が呼び起こされるのを感じた。


「玄徳か。久しいな。まさか、お前が幽州の地まで来るとは。何か急ぎの用でもあったか?」


俺は、公孫瓚としての言葉を紡ぎながら、内心で冷静に彼の意図を探る。史実では、俺が劉備を庇護し、後に彼を徐州に送り出すことになる。だが、今回は違う。俺は、歴史を最短で変えねばならない。


劉備はゆっくりと顔を上げた。その眼差しは、真摯で、迷いがなかった。


「はっ。実は、董卓が帝都洛陽にて専横を極め、献帝陛下を蔑ろにしているとの報せを受けました。このままでは漢室は滅び、民は塗炭の苦しみを味わうばかり。私では非力ではございますが、この状況を座して見ているわけにはまいりません」


劉備の言葉は、熱を帯びていた。彼は、まさに「漢室再興の義」を体現しようとしている。その理念は、古き良き時代の「忠」と「義」に根差している。悪しき奸臣を討ち、漢の威光を回復すれば、民は自ずと救われる。彼の言葉には、現代の合理的な視点から見れば、どこか微かな時代遅れ感が漂っていた。


「そこで、諸侯に檄文を送り、董卓討伐の義兵を募ろうと考えております。公孫伯珪殿におかれましては、この義挙に賛同いただき、ご協力賜りたいと、この劉備、参上いたしました」


彼は、そう言って、再び深々と頭を下げた。


その言葉に、俺は趙雲の顔を思い浮かべた。「弱き民が、ただ安心して生きられる世」。劉備の語る「義」は、その民を救うためのものだ。しかし、史実を知る俺にはわかる。劉備の道は、あまりにも遠く、多くの回り道をすることになる。その過程で、またどれだけの血が流れることか。


俺の目的は、天下の速やかな統一だ。そして、そのためには、劉備の「義」の精神を尊重しつつも、彼の進む道を、俺の覇道へと合流させる必要がある。


劉備が掲げる“義”と、公孫瓚が目指す“善政”。そのどちらが、乱世の民を真に救えるのか?


俺は、劉備にまっすぐ向き合った。


「玄徳、お前の義に偽りはないと理解している。だが、董卓討伐は、一筋縄ではいかぬ。諸侯の寄せ集めでは、彼奴(きやつ)の猛威の前に、散り散りになるのが関の山だろう」


劉備の顔に、わずかな動揺が走った。彼の目は、困惑と、ほんの少しの諦念を帯びている。


「では、殿は、この義挙に賛同なされないと……?」


「いや」


俺は首を横に振った。


「賛同はする。だが、私の進む道は、お前たちとは異なる」


劉備の眉間に、深い皺が刻まれた。


「私は、董卓を討つだけでは終わらせぬ。混乱する漢室を立て直し、民が心から安心して暮らせる世を、この手で築き上げる。そのために、すでに私は動き始めている」


俺は、趙雲に視線を送った。趙雲は、静かに、しかし力強く、劉備の視線を受け止めていた。彼の瞳には、俺への揺るぎない忠誠が宿っている。


劉備は、趙雲を一瞥した。そして、その表情に、ほんのわずかな驚きと、困惑が浮かんだ。彼は、趙雲の力量を本能的に察しているのだろう。そして、彼が公孫瓚の元にいることに、史実とは異なる違和感を覚えたのかもしれない。


趙雲は何も言わなかった。ただ、劉備の言葉に一瞬、そのまなざしを揺らがせた。彼の中の「義」の光が、まだ見ぬ主の言葉に、わずかに反応したのだろうか。


「玄徳。お前には、お前の義がある。だが、私の目指すは、より広く、より深く、民を救うことだ。お前が持つ『義』の心は、必ずや民を惹きつけるだろう。だが、それを結実させるには、強大な力と、先を見通す智が必要だ」


俺は、劉備の瞳をまっすぐに見据えた。


「董卓討伐の後、お前はどこへ行く?流浪し、多くの民を巻き込みながら、僅かな希望を追うのか?それでは、あまりに多くの血が流れる。私の元へ来い、玄徳。私の『善政』と、お前の『義』を合わせれば、この乱世は、より早く終わるだろう」


劉備は、信じられないものを見るように、俺を見つめた。彼の表情に、迷いが生じている。公孫瓚が、ここまで明確なビジョンを語るとは思っていなかったのだろう。そして、何よりも、趙雲が俺の傍らにいることが、彼にとって大きな衝撃だったに違いない。


この誓いが、未来に裏切りとなって跳ね返る日が来ようとは──この時、まだ誰も知らなかった。


劉備の返答は、すぐにはなかった。彼は、深く考え込むように俯き、その細い指が、わずかに震えているのが見えた。彼の心の中では、己の「義」と、目の前の公孫瓚が提示する「現実的な統一」が、激しくぶつかり合っているのだろう。

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