第10話:剛性



「……………っ!?」

 寒い。

 なぜ。

 なぜ私は、こんな目にあっているのだろうか。

 私はただ、愛する娘と夫と、穏やかに暮らしていきたかったのに。


「──おらっ!!」

「……ひっ」

 意識を失えば、その瞬間に凍えるような冷水をかけられ、起こされる。

 そして毎日毎日、わざわざ悪い口調で語り続ける。


「はぁ……はぁ……」

「次は『目』だ」

「……っ……あ゛っ!?」


 私の前には、見た目も、その心も紛うことなき鬼がいる。

 鬼はその手に持つ筒のようなもので、私の目をくり抜いた。


「………なんで………なんで」


 私は、盗賊に襲われて殺された。思い出したくもないほど、身体中を痛めつけられた。


 死んだ方がましだと思い始めてから永遠のような短い時間を過ごしたのちに、やっと死ねたと思ったら、今度は『死神』と名乗る人にこの場所の近くに連れてこられた。

 そのときに、私はその男に「お前は『罪人』だ」と言われた。


 私は何もかもが訳がわからなかった。

 でも、私の理解などどうでも良いとばかりに、この地獄の日々が始まった。


 私は何度も何度も、意識がなくなるまで体を破壊され、破壊され尽くしたらすぐに。そして、水をかけられ、無理矢理意識を戻される。

 もうどれくらい経ったのか、私には分からなかった。


 助けを求めても、そもそも私の声は誰にも届かない。

 この空間には、私と同じように『罰』を受ける人間たち数名しかいなかったし、その者たちも私と同じで必死だった。



「…………」

 私は、神に祈った。

 早くこの地獄から解放されたい。と。


「……ああ、メル。貴女は元気にしていますか」


 どうか、こっちに来ないでください。




***




「はぁ。これは酷いですね。ここの『王』は今まで魂たちに随分と酷いことをしてきたようだ」


 芹たちは、管理室にある『記録帳』を見ていた。

 数多くの『記録帳』には『あの世』に送られた魂たちに対して行った罰が細かく記録されていた。


「…………っ」

 その1つを見て、蘿蔔すずしろは思わず口を押さえた。

 彼女は『記録帳』をテーブルに置くと、「申し訳ありません」と言って管理室を出ていった。


「おや。蘿蔔すずしろくん、体調不良でしょうか?」

「芹、追いかけなさい。『これら』を見て耐えられるほど強くはありません。人を皆御形ごぎょうさんと同じだと思ってはいけませんよ」

「なるほど……そういうものでしょうか」


 芹は、数メートル先で『記録帳』を手に黙々と作業を進める御形を見た。

 何ともなく作業を進めているように見えるが、改めて見ると彼はいつになく深刻な顔をしていた。彼は命を削るような働きをしていた。

 彼はただ、その精神の剛性のみで耐え続けていた。


「……私は未熟ですね」

 そう言って、芹は認識を改めた。


「『友人』、御形ごぎょうくんのサポートをよろしくお願いします」

「ええ。分かっています」


 芹は、蘿蔔すずしろの後を追った。




***




「…………ぁ」

 場所は管理室から少し離れたトイレの中。

 蘿蔔すずしろは既に、胃の中に溜まった透明の液体を吐き出した後だった。


 手を洗いながら、洗面台の前で涙を流す。

 そしえ自分はトラウマを何も克服できていないのだと、自分自身に失望していた。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 心臓の鼓動は一向に落ち着かない。それは、彼女の脳裏に『ある光景』が焼きついているからだった。



 それは疫病の蔓延。それも死亡率8割を超える超凶悪な化学兵器が、世界に広まってしまったあの光景。

 人類は一気に減少し各国は対応に追われたが、人類にできることなど、ほとんどなかった。

 その病気に一度罹ってしまえば、だんだんと体に亀裂が入っていく。そして、日に日に亀裂は大きくなり、体の端の方から崩壊していく。それも、綺麗な形にではない。無理やり宝石をハンマーで割ったように、体が割れていく。


 そして何より恐ろしかったのは、感覚としては具合は全く悪くならないこと。

 だんだんと感覚がなくなっていけばまだ諦めがつくかもしれないが、痛みや苦しみを感じる能力は完全に維持されたままゆっくりと体が崩壊していく。

 早く死にたいと思わざるを得ないくらいの苦しみが人を襲う。


 しかし、それでも人間は幸せだった。

 この病気の死亡率は約8割であるが、つまり残りの2割は死なないということ。

 2割は確かに病気からは回復し、体の崩壊は止まる。しかし、今まで入っていた亀裂の苦しみだけは治ることがない。痛みと、痒みと。それらは永遠に残り続ける。


 そのため、街には発狂する回復者が続出した。体の機能はある程度残っているため、そのままでは死ぬことはない。

 その者たちは苦しみをどうすることもできず、ただ叫ぶことしかできなかった。



 そして、当時16歳だった蘿蔔すずしろは、その2割の人間だった。



 これまで真面目に生きてきた彼女は、運命を呪った。人のために誠実に生きてきた結果が、自分も大事な人も誰もが苦しむ、というものだったのだから。運命など信じず、努力を信じたことを恨んだ。


 彼女は、父と母をこの病気で亡くした。しかし自身は病気に罹ったものの、結果生き残ってしまった。

 行き場も希望もない彼女は、自分で自分を殺そうとした。

 もはや体を引き摺る程度の力しかない彼女自身の手に、台所にあった親の包丁を引っ掛けた。



「…………ぁ………………」

 『記録帳』に書かれていた内容は、その記憶と似ていた。


 当然、完全に同じではない。だが、それは死にたいと自らが思うようような、残酷なものだった。

「……………ぁ゛ぁ」

 また、何よりも恐ろしくなったのは、『記録帳』に書かれていたこの世界の人たちは神に救われなかったということ。


『もし、彼が自分の前に現れなかったら?』


 その想像は、蘿蔔すずしろの心を再び破壊するには、充分だった。




***




「──大丈夫ですか、蘿蔔すずしろくん」

「え…………?」


 少ししたころ、洗面台の後ろから、知らない声がして、蘿蔔はおそるおそる振り向いた。


 そこには、1人の女性がいた。


「……え……誰……でしょうか?」

 身長170cmほどの高身長で白髪青眼。

 少なくとも蘿蔔の知り合いではなかった。


「おや、分かりませんか?せりですよ」

「え……?」


 蘿蔔は困惑した。声も違う。姿も違う。

 しかし、じっと見ると確かに芹の面影がある。

 それに話し方は芹そのものだった。


「……せり……様?」

「ええ。場所が場所ですので、せっかくですから女性になってみました」

「場所……あ」


 そういえばここは女子トイレだった、と蘿蔔すずしろは思い出した。


「……芹様には、そんなことも可能なのですね」


「いえいえ。そもそも今の私には、それならばと思いましてね」


「……っむ!?」

「少し、落ち着きましょう」


 芹は、蘿蔔すずしろを抱きしめた。

 いつもよりも背は低くなっているが、不思議と蘿蔔には芹の存在がより大きく感じられた。

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