第16話 師弟

 翌朝、俺が目を覚ましたのは太陽が地平線から顔を出すよりも前のことだった。

 RTA走者として体内時計の正確さには自信がある。

 規則正しい生活は最高のパフォーマンスを維持するための基本だ。


 俺は、湖の畔でまだあどけない寝息を立てているセレスティーナの肩を遠慮なく揺さぶった。


「おい、起きろ。朝だ」

「ん……ふぁ……あと、ごふん……」

「無駄口を叩くな。日の出から日没まで光を最大限に活用するのが効率的なレベリングの第一歩だ。さっさと起きろ」


 俺の容赦ない声にセレスティーナは「ひゃいっ!」と飛び起きた。

 まだ眠気の残る目をこすりながら怯えたように俺を見上げている。

 しかしその姿は、昨日までの虐げられていた治癒師ではなく、まるで厳しい師匠についたばかりの新米弟子のようだった。


「いいか、今日のチャートを説明する。午前中は魔力制御の基礎訓練。午後はこの森で実戦訓練を行う。夜は、その日の反省と明日への課題の洗い出しだ。休憩は俺が許可した時だけ。食事も同様だ。質問は?」

「あ、あの……」

「質問はないな。よし、始めろ」

「ええっ!?」


 俺は有無を言わさず訓練を開始した。

 最初の課題は、湖の水を使って十個の水の玉を空中に浮かせること。

 そしてその全てを寸分違わず、同じ大きさと形で、同じ高さに維持し続けることだ。

 地味だが、魔力の精密操作と持続的な集中力を鍛えるには最適な訓練だった。


「う、うぅ……」


 セレスティーナは必死に魔力を練り上げ、水の玉を浮かせる。

 だが、その大きさはバラバラで、数秒も経たないうちに形を失い、水飛沫を上げて湖面に落ちていく。


「集中力が足りん。お前の魔力は手綱のついていない暴れ馬と同じだ。御することを覚えろ」

「で、でも、こんなの、やったことなくて……」

「言い訳は時間の無駄だ。失敗から学べ。なぜ形を維持できないのか、どうすれば均一な魔力を注ぎ続けられるのか、常に思考しろ。思考を止めた瞬間、お前のリソースとしての価値はゼロになる」


 俺の指導に優しさや励ましは一切ない。

 あるのは、バグを修正するプログラマーのような冷徹な指摘だけだ。


 セレスティーナは目に涙を浮かべ唇を噛みしめながらも、何度も何度も挑戦を繰り返した。

 その瞳には昨日までの諦観はなく、必死に食らいつこうとする強い意志の光が宿っていた。


 数時間が経過し、太陽が真上に昇った頃。

 彼女がようやく不安定ながらも十個の水の玉を三十秒間維持できるようになったのを見計らい、俺は「休憩だ」と告げた。


 俺が差し出したのは、火で炙った木の実と干し肉。

 質素だが、栄養バランスは計算済みだ。


「……これ……」

「食え。午後の実戦訓練で動けなくなってはチャートに遅れが出る」


 セレスティーナは俺の顔をじっと見つめた後、小さな声で「ありがとうございます」と呟き、ゆっくりと食事を始めた。

 ゼノンの元ではまともな食事すら与えられていなかったのだろう。

 彼女が干し肉を一口食べるごとに、ほっとしたような表情を浮かべているのを、俺はただのデータとして観察していた。


 午後の実戦訓練の舞台は〈エルフの森〉。

 俺たちは早速、三頭の〈フォレストウルフ〉の群れに遭遇した。

 一頭一頭がゴブリンなど比較にならない俊敏さと高い攻撃力を持つモンスターだ。


「いいか、よく聞け」


 俺は戦闘開始直前にセレスティーナに最終確認を行う。


「お前は攻撃するな。俺の回復も不要だ。お前のタスクはただ一つ。あの群れのリーダーと思わしき一番体の大きな個体に初級の妨害魔法〈スロウ〉をかけること。最小限の魔力で、確実にだ。その後は俺の動きを観察しろ」

「は、はい!」


 俺はミスリルの短剣を抜きウルフの群れへと突っ込んだ。

 今回は〈多重詠唱〉による殲滅ではない。

 レベルアップによって向上した身体能力と、最低限の魔力強化だけを使い、敵の攻撃をいなし、捌き、カウンターを叩き込む。

 これは彼女への「お手本」だ。

 純粋なパワーだけでなく、効率的な立ち回り、死角の突き方、敵の行動パターンの予測、その全てを彼女に学ばせるための実演だった。


 俺が二頭のウルフの注意を引きつけている隙にセレスティーナが震える声で詠唱する。


「――〈スロウ〉!」


 リーダー格のウルフの足元に鈍い光が走り、その動きが僅かに、だが明確に遅くなった。


(よし、成功だ)


 俺はそのコンマ数秒の隙を見逃さない。

 即座にリーダーの懐に潜り込み、短剣でその喉を正確に切り裂いた。

 リーダーを失い統率の乱れた残りの二頭を処理するのは、もはや作業でしかなかった。


 戦闘終了後、俺はすぐに反省会を始めた。


「今の〈スロウ〉、発動タイミングがコンマ三秒遅い。俺が対処したから問題なかったが、敵によっては致命的な遅れだ。だが、魔力消費は許容範囲内。総合評価は七〇点。及第点には程遠いな」

「な、七〇点……」

「そうだ。次までには九五点を目指せ。いいな?」


 セレスティーナは俺のあまりに厳しい評価に愕然としながらも、こくこくと力強く頷いた。


 彼女は肉体的にも精神的にも限界のはずだった。

 だが、その顔には疲労よりも、自分が確かに成長しているという実感からくる奇妙な高揚感が浮かんでいた。


 彼女は俺という存在を、もはやただの「怪物」だとは思っていない。

 自分を正しく導いてくれる唯一無二の「師」なのだと、その魂で理解し始めていた。

 そんな彼女が意を決したように俺に問いかけた。


「あ、あの……師匠」


 その呼び方に俺は一瞬だけ思考を止めたが、すぐにどうでもいいことだと判断した。


「次は何をすればいいですか?」


 俺は彼女の問いに答える代わりに、森のさらに奥深く、より濃密な魔力の気配がする方角を無言で指さした。


「次の授業だ」


 俺の言葉に、セレスティーナはゴクリと唾を飲み込みながらも、その瞳には確かな覚悟の光を宿らせるのだった。

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