第17話 オークキング

「次の授業だ」


 俺がそう告げてから、さらに森の奥深くへと進むこと一時間。

 空気中に含まれる魔力の密度が明らかに変わった。

 この森の生態系の中でも一段階上の捕食者が支配する領域だ。


「師匠、この先には……」

「オークキングだ。レベルは40前後。取り巻きにレベル30のオークジェネラルが二体。今の俺たちの連携がどこまで通用するかのテストだ」


 俺はセレスティーナに今回のRTAチャートを簡潔に説明した。


「いいか、戦闘が始まったら、お前はまずジェネラルの一体に〈サイレンス〉をかけろ。奴らの厄介な雄叫びによるバフを封じるためだ。その後、もう一体のジェネラルに〈スロウ〉。俺がキングの注意を引きつけている間に、それを完了させろ。できるな?」

「は、はい……!」


 セレスティーナは緊張に顔をこわばらせながらも力強く頷いた。

 昨日までの彼女であれば、オークキングという名を聞いただけで腰を抜かしていただろう。

 だが、俺のスパルタ教育は、彼女の精神をも鍛え上げていた。


 オークキングの縄張りに足を踏み入れた、まさにその時だった。

 前方から豚のいななきのような雄叫びと金属がぶつかり合う激しい音が響いてきた。


「……また先客か。実に効率が悪い」


 俺は舌打ちしながらセレスティーナに目配せして木の陰に隠れた。

 そしてその戦闘の当事者たちの顔を見て、俺は思わず眉をひそめた。


 そこにいたのは、ボロボロのプレートメイルで満身創痍のままオークキングの猛攻に耐えている、見覚えのある集団。

 ゼノン・フォン・ヴァルハイトとその騎士団だった。

 どうやら彼らは、あの後、屈辱にまみれて帰還するのではなく、己の名誉を回復するために無謀にもこの森の主に挑んだらしい。

 だが、結果は火を見るより明らかだった。

 指揮系統は乱れ、騎士たちの動きには絶望と疲労の色が濃い。

 完全に崩壊寸前だった。


「くそっ、なぜだ! なぜ倒せん!」


 ゼノンがヒステリックに叫ぶ。

 その時、彼の視線が木の陰から様子を窺っていた俺たちを捉えた。


 その瞬間、ゼノンの顔から血の気が引いた。

 もはや、そこに侮蔑の色はない。

 あるのは、悪夢の再来を前にした純度100パーセントの恐怖だった。


「き、貴様……! また貴様らか! なぜ俺の行く先々に現れるんだ!」


 彼の悲鳴はまるで疫病神に遭遇した男のそれだった。

 俺はそんな彼の醜態には一切関心を向けず、隣のセレスティーナに、冷たく、短く告げた。


「授業を開始する。目標、オークキング。支援内容は指示通り。実行しろ」

「は、はい、師匠!」


 俺の言葉が戦闘開始の合図だった。

 オークキングが新たな侵入者である俺に気づき、巨大な戦斧を振りかざして突進してくる。

 地響きを立てながら迫るその巨体は凄まじい威圧感を放っていた。

 ゼノンの騎士たちはその勢いに呑まれ、為す術もなく立ち尽くしている。


 だが、セレスティーナは動かなかった。

 いや、動じなかった。

 彼女は俺に教え込まれた通り、戦場を俯瞰し、自らの役割を冷静に分析していた。


「――〈サイレンス〉!」


 オークジェネラルの一体が味方を鼓舞する雄叫びを上げようとした瞬間、セレスティーナの妨害魔法がその喉を正確に封じる。


「――〈スロウ〉!」


 間髪入れずもう一体のジェネラルの足元に魔法陣が展開され、その動きを鈍らせた。

 二つの支援魔法は、完璧なタイミングと最小限の魔力消費で的確に戦場の脅威を削いでいく。


(上出来だ。これなら……)


 俺は迫りくるオークキングの戦斧を最小限の動きでひらりとかわした。

 そしてがら空きになった胴体へ、カウンター気味に魔力を凝縮させた拳を叩き込む。

 ただの物理攻撃ではない。

【魔力撃】――魔力を直接打撃に乗せる、ごく基本的なスキルだ。


 ドゴォッ!


 オークキングの巨体が、まるで巨人に殴られたかのように宙を舞い、数メートル先の地面に叩きつけられた。


 一撃。

 ゼノンたちが束になっても揺らがなかったオークキングが、たった一撃で戦闘不能に陥っていた。

 俺はまだ息のあるオークキングの眉間にとどめとして小さな〈マナ・アロー〉を撃ち込み、その作業を完了させた。


 後に残されたのは、先ほどと同じ死のような静寂。

 ゼノンと彼の騎士たちは目の前で起きた一連の流れをただ呆然と見つめている。

 規格外の力を持つ、五歳の怪物。

 それは、もう理解していた。

 だが、今回はそれだけではなかった。

 その怪物を完璧に支援し勝利への道筋を立てたのは、つい昨日まで自分たちが「役立たず」と罵り虐げていた治癒師の少女だったのだ。


 その事実が、彼らの心を昨日よりもさらに深く絶望の淵へと突き落としていた。

 俺はオークキングのドロップアイテムを回収すると、セレスティーナの方へと振り返った。


「妨害魔法の連携、タイミング、魔力配分、全て完璧だ。一〇〇点。よくやった」

「あ……ありがとうございます、師匠!」


 俺からの初めての賛辞にセレスティーナの顔が、ぱあっと明るく輝いた。

 俺はそんな彼女の様子には構わず、最後に、まだ地面にへたり込んでいるゼノンたちを一瞥した。

 そして純粋な事実として、彼らに告げた。


「これが狩りだ。お前たちのやっていたのは、ただの自殺行為。非効率極まりない。この森の資源を無駄にするな」


 その言葉は彼らにとって、これ以上ないほどの屈辱的な追撃となっただろう。

 俺はもはや何の価値もなくなった彼らに背を向ける。


(……いや、待てよ。あのゼノンという男、プライドだけは高い典型的な無能貴族。このままでは恐怖で使い物にならんが、上手く誘導すれば将来的な利用価値は残るか)


 そう考え直した俺は、事前にこっそり準備しておいた通信魔道具で父上に短く指示を送った。


『ヴァルハイト家のゼノンに、それとなく偽の情報を流してください。『シレン家の息子は実は大した力はなく、親から与えられた高価な使い捨ての魔道具でたまたまモンスターを倒しただけだ』と。彼の砕けた自尊心を回復させ、俺への恐怖を『屈辱』と『嫉妬』にすり替えさせるのです』


 その指示を一方的に送った後、俺はセレスティーナに声をかけた。


「行くぞ、セレスティーナ。次の狩り場だ」

「はい、師匠!」


 元気よく返事をして俺の後ろをついてくるセレスティーナ。

 彼女は去り際に一度だけゼノンの方を振り返った。

 その瞳に浮かんでいたのは、憐れみと、そして過去の自分との決別の色だった。


 こうして俺たちの奇妙な師弟関係は、最初の関門を完璧な形でクリアしたのだった。

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