第二幕:光の人、灰の人

 囲炉裏の火が、花と涙の中でゆらいでいた。


 赤い布がほどけていくように、

 リュシアのマントが地面に広がる。


 矢が深く胸元に刺さり、その矢羽根が風に震えている。


 リリアは、何が起きたのかわからなかった。


 どうして?


 どうして火の宣言の日に――

 どうしてこの人が、笑って、倒れているの――?


「リ、ュ……リュシア、さま……?」


 口の中がからからに乾いていて、うまく声が出ない。


 地面にひざまずき、震える手でその身体を抱き起こした。


 細い肩。あたたかい――けれど、その熱が失われていくのを感じる。


 リュシアは、ゆっくりと、目を開けた。


 微笑んでいた。


 血を吐かず、苦しまず、ただ――やさしい目でリリアを見ていた。


 リリアの頬にそっと手が伸びる。


「……そんな顔、しないで。

 せっかく、火があたたかい日なのに……」


 その手はもう、ほんのり冷たかった。


 だけど、どこよりもやさしかった。


「ダメ……だって……だって、どうして……!」


 言葉が崩れる。

 堰を切ったように、リリアの目から涙が溢れた。


 震える指先で、必死に矢を抜こうとする。


「治癒の祈りを……すぐに癒しの祈りを……

 待って、まだ、助かるから……!」


 けれど、その手を、リュシアが軽く包むようにして止めた。


 彼女はゆっくりと、首を振った。


「もう……いいのよ」


 その言葉の響きに、リリアの胸が締めつけられる。


 彼女は何もわからないまま、ただ泣きながら揺さぶる。


「どうして、そんな顔で……

 どうして、そんなに、やさしくて……!」


 リュシアは、その問いかけに、少しだけ笑った。


「……ごめんなさいね、リリア。

 ほんとうは、あなたに……言ってなかったことがあるの」


「言って、ないこと……?」


 リリアが顔をあげる。


 目の奥が熱くて痛くて、ちゃんと見えなかった。


「……私、もう“魔王”としての力なんて、ほとんど残ってないの」


 静かだった。

 まるで、誰かにこっそり秘密を打ち明けるみたいに。


「……え……?」


 リリアの表情が揺れる。


「100年前の、あの戦い。

 全部、怒りに任せて、力を使い果たしちゃったの。

 それっきり、私はただの“終わった器”みたいなものになってた」


 ゆっくりと話しながら、リュシアの瞳が空を見つめる。


「そのあと、長く眠って、

 もう誰にも会わなくていいやって思ってたの。

 自分のしたことが、あまりにも怖かったから」


 リリアの目に、また涙があふれる。


「……そんなとき、あなたが来たの」


 リュシアの視線が、やさしくリリアに戻る。


「小さな体で、まっすぐで、

 神様みたいな目で火を見て……

 最初は、あの子――あの戦争の時の“娘”が、

 私に怒りをぶつけに来たのかと思ったの」


 かすかに、声が震える。


「でも、違った。あなたは私を……魔王としてじゃなく、

 一人の人として、見てくれた。

 笑ってくれて、ぶつかってくれて、

 一緒にごはんを食べて、火を囲んで……」


 声が、ほんの少しだけ途切れた。


 リリアは、泣きながら頷く。


 頷くしか、できなかった。


「私は、あなたに……愛されたかったのかもしれない。

 だから、嘘をついた。

 “加護”があるように見せかけて、全部、私の命を削ってたの」


「……そんな、どうして……」


 リリアの声は、すでにすすり泣きになっていた。


 リュシアは、やさしく微笑む。


「それでも、よかったの。

 あなたが守られるなら、私の命なんて、どうでもよかったのよ」


「やだ……そんなの、いや……」


 リリアが、子どもみたいに泣きながらしがみつく。


 髪を揺らして、肩を震わせて、言葉にならない声を漏らす。


 それでも、リュシアは静かに語り続けた。


「……ひとつだけ、もうひとつだけ、隠してたことがあるの」


 リリアが顔をあげる。


 リュシアは、ゆっくりと――でも確かに言った。


「私、星見ができるの」


「星見……?」


「未来が、少しだけ見えるの。

 あなたと出会って、あなたが笑って、

 そして今日、私があなたを庇って……滅することも」


 リリアの目が、大きく揺れる。


「そんな……知ってて……? 知ってて、こんなことを……!」


 彼女は、ただ静かに頷いた。


「あなたの未来が、焼かれずに続くなら。

 それだけで、私は……十分だったの」


 リュシアの身体が、ふわりと光を帯び始める。


 灰が、肩から、髪先から、指の隙間から、舞い落ちていく。


 リリアは、必死でその手を握りしめる。


「……行かないで……お願い、行かないで……

 わたし、あなたがいないと、火の使い方、わかんなくなっちゃうよ……!」


 リュシアの最後の笑みは、泣き顔よりも優しかった。


「あなたなら、大丈夫。

 だって――あなたが、私の光だもの」


 その言葉と同時に、

 リリアの腕の中から、光がふわりと舞い上がった。


 灰となって、空へと昇っていく。


 囲炉裏の火が、静かに揺れ続ける。


 誰も焼かず、誰も赦さず、ただ――誰かの夜を照らしていた。

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