最終話 光と蜜月

第一幕:新たな火の宣言

 春の風が、花びらを巻き上げる。

 かつて「焚刑場跡」と呼ばれたその場所は、いまや村の広場となり、

 丸石を敷き詰めた中央には、囲炉裏を象った祈りの台座が築かれていた。


 大人も子どもも、騎士も魔族も、元信徒も――

 集まった人々は、誰ひとりとして武器を携えていない。

 代わりに手には、花、祈りの石、小さな火種。


 「新たな火の誓い」――それは、リリアがこの地に残した唯一の命令だった。


 壇上に立つ少女――いや、もう少女と呼ぶには少し背も伸び、

 それでも相変わらず小柄な体に、大きな鉄球の影を背負っていた。


 リリア・ノクターン。

 この国を、信仰を、未来を灯し直した“聖女”は、

 今日、もう一度だけ“火”に言葉を与える。


 彼女の隣には、深紅のマントを羽織った副団長――セリア。

 そのさらに反対側には、ゆったりと微笑む、長身の女性。

 かつて“魔王”と呼ばれたリュシアが、静かに立っていた。


「……始めます」


 リリアの声は、はじめこそ風に溶けるほど小さかった。

 けれど、火のそばに立ったとたん、その声は不思議と響いた。


「かつてこの地では、“火”が罪を焼き、命を裁きました。

 けれど――火は、本来そういうものではありません」


 囲炉裏の中には、小さな火が灯っている。

 子どもたちの手でともされた、焼かない火。


「火は、本当は――寒い夜に寄り添うためにあって、

 ひとを照らし、食事を作り、声を交わすためにあるんです」


 聴衆たちの表情が、少しずつ和らいでいく。

 祈りではなく、生活の言葉がそこにはあった。


「私は、誰かの正しさに焼かれそうになった時、

 “違う火”を知りました。あたたかくて、やさしくて、

 何も壊さない火――」


 ふと、リリアは振り返る。

 リュシアが、目を細めて頷いていた。


「今日、ここで火は“祈り”ではなく、“約束”になります。

 焼かないこと。誰かの命を、赦しではなく“灯し”でつなぐこと」


 そう言って、リリアは囲炉裏に手をかざす。


「この火を、次の世代につないでください。

 今日、この日を――“火が変わった日”としてください」


 セリアが、一歩前に出て盾を掲げる。

 騎士団の全員が、それに続く。


「――我ら、聖球の盾はこの火を守ります。

 焼かれず、焼かせず、照らすために」


 広場が、拍手と歓声に包まれ始める。


 リリアの両手が、囲炉裏の上に差し出されたそのとき。


 ヒュッ――。


 その音は、風ではなかった。


 空を裂いた鋭い“風切り音”が、真横から届く。


 瞬間、リリアの身体がぐらついた。


 いや――彼女の体ではなかった。


「っ……リリア、下がって――!!」


 その声と同時に、目の前を赤がよぎった。


 矢が、リリアの胸を狙って放たれた。


 だが、それを庇うようにリュシアが前へ――

 矢は、彼女の胸元に深く突き刺さっていた。


 血が、火の前に滴る。


 「リュ……シア、さま……?」


 声が出ない。頭が真っ白になる。

 見たくないのに、目が逸らせない。


 リュシアの身体が、ゆっくりと膝をつく。


 セリアがとっさに盾をかざし、

 「射手! 狂信者だ、取り押さえろ!」と叫ぶ。


 騎士たちがすぐさま反応し、矢の方向へ飛び出す。

 十数歩先、礼装をまとった年老いた男が、弓を握ったまま取り押さえられる。


「神の赦しを……! 赦しを……!」


 もはや誰の耳にも届かない。

 この場に、赦しを求める火など、もう存在していないのだから。


 リリアは、ただ震えていた。


 リュシアの体に縋りつき、揺さぶる。


「ねえ、やだ、嘘でしょう、やだ、

 そんな……そんなのって、ないよ……!」


 魔王の目が、かすかに開く。


 その視線は、まっすぐにリリアだけを見つめていた。


 微笑むように、唇が震える。


 「……そんな顔、しちゃ……だめ」


 リリアの瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出す。

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