第四幕:鉄球と蜜月

 焦土に立つ巨大な異形――神火の具現。


 燃えさかる鉄の裁者が、炎を掲げる腕を振り下ろす。


 リリアは、その前に立っていた。


 焼け焦げた僧衣。血に濡れた腕。

 それでも鉄球を、地に這わせるように構える。


 盾を失った騎士団が後方に下がる中、

 砦の奥では子どもたちが祈るように火を見つめていた。


「……もう誰も、焼かせない」


 リリアは、小さく呟いた。


 鉄球の鎖が鳴る。


 その音は、炎の轟きにも祈祷の詠唱にもかき消されず、

 まるで時を裂く鐘のように響いた。


「――私の祈りを、あなたにぶつけます」


 リリアが走る。


 神火の具現が再び、火をまとう腕を振り上げる。


 その中心に、リリアの小さな身体が飛び込んでいく。


「鉄球、展開――!」


 鎖がほどけ、鉄球が空を裂く。

 重力と意志を込めた軌道が、炎の核へと一直線に伸び――


 ごうんっ――!


 火柱が音を立てて崩れ落ちる。


 神火の具現の心核をなす祈祷炉が、真横から打ち砕かれたのだ。


 炎が失速する。

 異形の魔具が、音もなく崩れ落ちる。


 戦場に、静寂が訪れた。


 倒れ込むリリア。


 それを駆け寄って受け止めたのは――魔王、リュシアだった。


「……よく、帰ってきたわね」


「……ただいま、です」


 リリアが微笑んだその時、

 神官長が崩れた神火炉の上に、よろめきながら立った。


「認めん……認めるものか……!

 火は……火こそが、救いなのだ……!」


 彼は、立ち上がり、揺らめく火の中へと身を投げ出そうとする。


「神よ……私を焼き、赦し給え……!」


 だが、その腕を、リュシアがつかんだ。


「やめなさい。焼かれる必要なんて、ないのよ」


「離せ! 私は――この業火の中でしか、生きられない!」


 神官長の足元に、何かが転がった。


 リリアの鉄球だった。


 その重みが、大地に音を立てる。


「あなたが焼かなくても、

 私はここにいます。

 私の火は、まだ消えていません」


 リリアは、立ち上がり、神官長を見据えた。


「私が鉄球を振ったのは、“火を終わらせる”ためじゃない。

 あなたが、それでも“生きて見つめる”ためです」


 神官長は、膝をついた。

 肩を震わせ、唇を噛む。

 その火は、祈りではなく――敗北を受け入れた者の呼吸の熱だった。


 炎が消え、風が吹いた。


 空が晴れ、砦の上に朝日が差し込む。


 子どもたちが、ゆっくりと囲炉裏に手をかざす。


 その火は、ただ静かに――誰も焼かずに、灯っていた。


 ***


 数日後。


 砦は、村になった。


 信仰を失った者たちと、信じることを選びなおした者たちが、

 小さな生活を始めた。


 囲炉裏の前に、リリアがいた。


 焚き火のそばで、子どもたちと一緒に野菜を刻んでいる。


 その背後から、大きな影が近づいてくる。


「……焼き芋の用意、できた?」


「ちょっとまだ。ほら、甘やかしすぎ」


 振り返ると、リュシアが微笑んでいた。


 リリアは言う。


「ねえ、魔王さま」


「なに?」


「――火って、あったかいですね」


 ふたりの影が、囲炉裏の火に重なり合っていく。


 鉄球は、そのそばに。

 今はただの重りのように、静かに横たわっていた。


 ―――第10章:完。

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