第三幕:鉄球を構えた夜
風が、乾いた音を連れてきた。
村の広場の隅。灯りの届かない路地裏。
そこに集まっていたのは、怒号と、いくつもの足音だった。
「こいつ、またパンを盗ったってさ!」
「混血だろ? あんなの人間じゃねぇんだよ!」
「神の裁きを受けさせろ!」
罵声とともに、少年が地面に倒されていた。
膝を擦りむいた足。ぼろぼろの服。
その肩が、小さく震えている。
それでも少年は、言い返さなかった。
ただ俯いて、小さな手で何かを握りしめていた。
――干からびかけたパン。
リリアは、それを見ていた。
喉が、かすかに震える。
息が浅くなり、手が鉄球の包みにかかった。
(また……誰も止めない)
(この村は、誰ひとり、声を上げないんだ……!)
「――やめなさい!」
声が響いた。
静かな夜に、剣より鋭く。
リリアはフードを外し、広場へ踏み出した。
風にあおられた銀髪が、光を返す。
その背に背負うのは、鈍く光る鉄球。
村人たちは、一瞬息を呑んだ。
「誰だお前……! その武器、どこで――」
「この子に、手を出すな」
その声は静かだった。
だが、揺るぎなかった。
「なに正義ヅラしてんだ、巡礼者のくせに……!」
「正義じゃない。“やめてほしい”って、ただ、それだけです」
瞬間、ひとつの石が投げられた。
リリアの肩をかすめて、背後の壁に当たって砕けた。
村の空気が、一気に濁る。
次の石が投げられる。今度は、リリアの胸を直撃した。
鈍い衝撃。息が詰まる。
「魔族の味方かよ!」
「裏切り者! 神に見放された女!」
――それでも。
リリアは、少年の前に立ち続けた。
ひとつ、ふたつ、石が飛ぶ。
痛む。怖い。逃げたい。
でも、それよりも強く――あの日の声が蘇る。
《その鉄球は、誰かを守りたいと思ったときだけ使って》
リリアは、包みを解いた。
鎖が地を引きずり、銀の球が月明かりにきらめいた。
そして――振りかぶらず、地に構えた。
少年の前に立ち、鉄球を盾のように構える。
「この武器は、誰かを砕くためのものじゃない。
わたしはこれで、“この子を守る”」
次の石が飛んできた。
リリアは、微動だにしなかった。
鉄球が、鋭い音を立ててそれを弾いた。
「なんなんだ、こいつ……!」
「化け物かよ……!」
男たちは罵りながら、後ずさる。
怒号は散り、いつしか静寂が広場を包んでいた。
リリアは、そっと鉄球を下ろし、少年を振り返る。
「大丈夫?」
「……うん」
少年の頬は涙で濡れていた。
それでも、しっかりとリリアの手を握り返してくれた。
けれど、まわりの家々の窓からは――
冷たい視線が、いくつも、差し込んでいた。
閉ざされた扉。揺れるカーテン。沈黙。
誰も助けなかった。誰も、手を差し伸べなかった。
リリアは、静かに拳を握った。
(この村の“祈り”が、こんなふうにしか残っていないなら――)
(わたしが振るうこの鉄球で、“何かを守れる”ようにならなくちゃ)
ふたりは、無言のまま広場を離れた。
泥にまみれた鉄球が、その後ろを引きずられながら、静かに揺れていた。
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