第二幕:仮面の巡礼者、村へ還る

 石畳を踏みしめる足音が、かつての記憶と重なった。


 リリアは、巡礼者の衣に身を包み、頭を深く覆うフードを被っていた。

 背中には旅人の荷を偽装した小さな包み――中には、鉄球が隠されている。


 目指すは、彼女がかつて神官見習いとして滞在した村。

 教会の分堂があり、“善良な信徒たち”が暮らすとされた、あの場所。


 風景は大きくは変わっていない。

 けれど、足を踏み入れた瞬間――心がざわめいた。


(……こんなに、冷たかっただろうか……)


 村の人々は穏やかに見えた。


 だが、その笑顔の先にいたのは「同じ人間」である者たちだけだった。

 衣服のほつれた子どもには誰も目を留めず、病人を乗せた荷車には道を譲らない。


「魔族が村の水を汚してるって噂よ。

 最近、病気が流行ってるのも“混血”のせいなんだって」


「だったら“境界門”の巡視を強化しないとね。

 ああいうのは、うっかり紛れ込むから厄介なのよ」


 民家の前を通りすがるたび、そんな言葉が耳に飛び込んでくる。


 そのたびに、リリアの足取りは重くなっていった。


(“私が守りたいと思ってた人たち”って、こんなだった……?)


 あの頃、リリアは信じていた。


 “人間は弱くて、でも優しい”。

 “魔族から守らなければならない”。


 だからこそ、鉄球を振るった。


 けれど――その“守ったはずの村”は、弱者に背を向けていた。


 魔族ではなく、“見捨てていい存在”を、自らの中から選んで。


 広場で、小さな子どもが数人、輪になって何かを囲んでいる。


 リリアが目を凝らすと、その中心にいたのは、やせた少年だった。


 ぼろぼろの服、膝に擦り傷。

 その手には、小さな紙片が握られている。


「お前、魔の血が入ってるんだろ?」

「なんで目が光ってるんだよ、気持ちわりー」

「神様に祈れないやつは、人間じゃねーんだよ」


 少年は反論しない。

 ただ俯いて、両手を胸の前でぎゅっと握りしめている。


 その姿が、数日前に出会ったスライムの少女と重なった。


(やめて……)


(それは、“魔”なんかじゃない……)


 リリアは、鉄球のある包みに手をかけそうになって――


 だが、ぐっとこらえる。


 まだ、振るってはいけない。

 この村で、自分の存在が“敵”と見なされた瞬間、少年ごと焼かれてしまう。


(冷静に……今は、見極めなきゃ)


 そのとき、村の隅にある古びた宿屋の扉が開いた。


「あら、巡礼者さん? お疲れでしょう。お水でもどうですか?」


 笑顔で近づいてきたのは、宿屋の女将だった。


 豊かな体格、血色の良い頬、優しげな笑顔。


 ――その“善良さ”が、リリアにはたまらなかった。


 何も知らない顔で、差し出されるコップ。


 リリアはそっと受け取って、「ありがとうございます」と小さく答えた。


 けれどその指は、微かに震えていた。


(この人は、“異端”の子どもが目の前で石を投げられても、笑顔を保てる人だ)


(この村は――“正義の顔”をして、切り捨てることに慣れている)


 夕方。教会の鐘が鳴る頃。


 リリアは宿の部屋でひとり、荷の包みを解いた。


 銀色の鉄球が、静かに顔を出す。


 それを見つめながら、リリアは呟いた。


「わたしは……ここに帰ってきて、何がしたかったんだろう……」


 拳を握りしめる。


 けれど、まだ答えは出ない。


 ただひとつだけ――

 “昔の自分の祈りが、この空気を作っていたのかもしれない”という思いが、

 胸の奥をじくじくと刺していた。

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