6.赤い悪夢

 夢を見ていた。

 呆然と立ち尽くす俺の目の前で、赤が広がっていく。

 片手に持った小さなナイフ。

 動かない、黒い服を着た男。

 動けない。

 動くことが出来ない。

 目の前の命は、既に終わっている。

 そんなことがあってたまるか。

 どうして。

 視界が赤く蕩けていく。

 入り込んできた夕日が網膜を侵す。

 目に焼き付けていたはずの小さな姿が、赤く赤く、上書きされていく。


 あぁ、神はいた。

 ただ、それはお前などではない。

 見上げたペテン師の像に絶望を叩き返す。

 赤く染まった姿の傍らに跪き、震える手で抱え上げる。

 大切なものを胸に抱いて、ボロボロと転がり落ちる涙を拭うこともせず、冷たい唇に口付けた。

 赤く赤く、二つだったものは一つに融け合っていく。

 違う、そうじゃないんだ。

 一つになりたかったんじゃない。

 お前と、笑い合える日々を取り戻したかっただけだ。

 こんな世界じゃない……こんな赤い。


 赤い。


     ***


 悪夢を見て、悲鳴を上げて飛び起きるなんて言うのは、カリカチュアされた表現だ。

 目が開き、ドクドクと狂ったように収縮を繰り返す心臓が落ち着くまで、不自然な呼吸をしながら横になっているだけだ。

 いつも体の右側を下にして寝ていたから、途中で寝返りを打ってその体勢になったんだろう。

 俺は背を向けて寝ていたはずの極夜の方を向いて横になっていた。

「……っ」

 息が詰まる。顔が目の前にあることを認識した途端に、うるさかった心臓が握り締められたようにぎゅっと縮こまった。

 ……この距離だと、眼鏡が無くても顔が見える。見えてしまう。

 極夜は、穏やかとは言えない寝顔だった。

「……」

 魘されているのか、時折微かな苦痛の声が零れる。

 観察してるのも酷く気まずくなった時、極夜の瞼が震えた。

 あ、目を覚ます。

 気付いて、体を起こそうとした。

「白夜……」

 不意に名前を呼ばれた。

「え……?」

 思わず問い返すように声を出すと、物も言わずに極夜の腕が俺の体を引き寄せた。

「ちょ……」

「白夜……どうして……」

 夢うつつなのか、極夜は俺を抱き締めたままぽつぽつと呟く。

 困惑する。

 余裕ばかり感じられていた男が、苦痛に耐えるように声を震わせていたからだ。

「……」

 寝惚けているなら、まぁ、いいか。

 そっと手を動かして、極夜の背中を少しだけ撫でた。

「…………」

 なんの夢を見ているのだろう。

 酷く苦しみながら、それでも俺を放さない。

 二度、三度と背を撫でた時、ヒュッと不安定な呼吸音が聞こえた。

「……っ、ぁ……」

 腕の中に閉じ込められているから、極夜の鼓動が伝わってくる。

 ――悪夢を見ていたんだろうな、という見当は容易についた。

 少しずつ心音が落ち着いてきたころを見計らって、俺は努めて迷惑そうな声を作って告げた。

「朝は忙しいんです、放してください」

「……ごめんな、ちょっとだけ」

 更にグイッと抱き寄せられて、極夜は俺の首筋に顔を埋めた。

「あったかい……」

 呟きが聞こえる。

 ……この男にはこの男なりに、耐え難い何かがあるんだろう。

 俺の双子の兄を自称し、どうやら俺の双子の兄である可能性も出てきたこの男は、そういえば五年後の未来から来たなどと言っていた。

 目の前で、俺が死んでいたから。

 俺を救うために過去へ戻った、などと。

 極夜の言うことが仮に全て本当なんだとしたら、ようやく見つけた双子の弟が自殺していたなどという場面に行き会ったことになる。

 ポンポンと極夜の背を叩き、俺は静かに言った。

「……そろそろ、いいですか?」

「…………悪いな、大丈夫だ」

 必死で何かを飲み込んだような苦痛の間の後に、極夜は俺を解放した。

 体温が離れる。

 それが酷く名残惜しく感じたのは、いつもの悪夢を見たせいだろう、と判断した。

 もそもそとベッドを出て、俺は身支度をするためにドアへ向かう。

 今日は気を付けていたから、ベッドに足をぶつけるような無様なことにはならなかった。

「白夜」

 名を呼ばれた。

「はい」

 返事をして、少し振り返る。この距離なら顔は見えないから多少なら視界に入れても耐えられる。

 極夜は身を起こしていた。

「朝飯、作っておくから」

「……はい」

 そろそろ量は加減してくれるといいな、と考えて、俺は部屋を出た。


 ルーティン通りの行動をして、ちょっと憂鬱になりながらキッチンへ行くと、クロワッサンとオムレツ、焼いたベーコンとサラダを用意した極夜が待っていた。

 ぼやけた視界だが、雰囲気的には昨夜までの極夜と変わらないと思う。

「ほら、冷めるぞ?」

「量が多いです……」

「多くない。これぐらいはちゃんと食べないとだめだ」

「うぅ……」

 呻く俺は椅子に座って食前の祈りを捧げ、いただきますと呟いた。


 全部美味しいのに、なんで量だけは加減が利かないんだ、極夜というこの男は。

 何とか全部食べきって、コーヒーで無理矢理に胃の腑に落ち着け、食後の祈りを口にした。

 昼は軽くしてほしい……そう思わずにいられなかった。


     ***


 表情は繕えていただろうか。

 少なくとも、視界の赤は振り払えていたが。

「はぁ……おい、

 呼びかけると、脳内に声が響く。

『気安いぞ、お前』

「うるさい。弟の状態は?」

『契約外。その観測までは出来ない。精々がんばれよー? 救国の軍師様?』

「チッ、相変わらず役立たずだな……」

 悪態を吐いたが、それを最後まで聞いてはいなかったようだ。

 ため息が勝手に口から溢れ、やれやれと呟いて食器をまとめてシンクに運ぶ。

 急に距離を詰め過ぎたか……?

 白夜の警戒は少し解けたような気はする。眼鏡を掛けておらず、距離がある時限定だが、俺の方を見る頻度は確実に上がっていた。

 露骨に視線を逸らすこともまだあるが、それでも一歩前進と捉えるべきだろう。

「さて、今日はどうするかな」

 脳内作戦会議、開催。

 議題はいつもの“白夜救済計画”だ。

 ぶわっと脳内に何人もの俺が現れ、担当者がそれぞれの情報を報告し、俺が多角的なそれを統合して判断していく。

 本日の最終結論、全会一致、白夜を甘やかしまーす。

 いつも通りだな。

 じゃあ、行動開始だ。

 スマートフォンを取り出すと、慣れない手つきで調べ物を始める。

 何をって?

 近所で美味しいプリンを売ってる店を探してるんだよ。

 白夜、プリン好きだから。

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